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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   
カテゴリー「その他」の記事一覧

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有難迷惑 (4)

(3)の続きである。第三者の「無知」から、私がパラグライダーで1回、カイトサーフィンで3回、公共機関に無用な通報をされた・・・という話を書いた。

今後、似たような経験をするかもしれない方たちの用になるかもしれないので、その状況をもう少し詳しく書いておくことにする。カイトの3回での私の姿勢は、パラのそれと全く違って、まことに紳士的なものだった。その理由は簡単で、ことの構造が分かり過ぎるほど分かっていたからだ。

1度目は、カイト生活1年目の粟井海岸でのことで、この浜でこんなスポーツをするのは私が初めてだった。この頃の私はまだインフレータブルの15㎡を使っていて、当たり前のことだが、しょっちゅうカイトを海に落とし、風がどうにもならないときは泳いで浜まで帰っていた。

海岸近くに住む人たちがモノ珍しく思ったのは当然で、よく興味深げに見物しながら、ときどきお話もしていたから、徐々に見慣れてこのスポーツへの理解も相当に得られたのでは・・・と思っていた頃だった。

15分ほど泳いで、岸に帰りしばらくすると、海保の一人が「この辺りでパラグライダーが墜落した・・・という通報があったのですが、何かご存じないですか~?」と波除堤防の上から声をかけてきた。「こんなとこで普通パラは飛ばないから、それはたぶん私のコレと見間違えたのでしょう」「ああ、そうですか~・・・・ところで、それはなんというモノですか~?」「カイトサーフィンといって海の上で遊ぶスポーツの一種です」「ああ!そういえばテレビで見たことがあるような気がします!・・・しばらく見学させて頂いてもいいですか?それと、写真も撮らせて頂いてもいいですか?」「もちろん、ご自由にどう~ぞ^^」 なかなか気持ちの良い海保の青年だった。

2度目は1年余り経ったやはり粟井海岸で、近くのマリーナの方が、少々沖の方にチンしてカイトを漕いでいる私を見て海保に通報したらしい。私がほどなく帰ってくると、「遭難したと思って海保に通報しました。今から取り消しの連絡を入れます」ということだった。私のことは何も知らないわけで、割と寒い季節に海を漂流すると危ないと考えたらしい。私が「風も潮もしっかり計算しながらがらやっていることだから大丈夫なんですよ」と説明を加えたら、じゅうぶん納得した様子だった。

それ以降、この浜では私のカイトサーフィン姿は珍しいものではなくなったらしく、その後も何度か泳いだが、親切なおせっかいをする人は誰もいなくなった。

3度目は、塩屋海岸で比較的新しく2年ほど前だったと思う。この時は20分ほど泳いで岸に上ってしばらくしたら、海保のヘリコプターがかなりの低高度で近づき、頭の上を旋回し始めた。私は何ごとかと怪訝に思いながら眺めていたのだが、そのうち県警のパトカーもやってきた。警部と部下の3人たった。

この時も私は既に上陸して一服しているのだから、国民の生命を守ろうと意気込んでやって来た彼らが拍子抜けするのは当たり前だ。まったくご苦労だと思ったので、私は「ご苦労様です!」と声をかけた。「そうなんですよ。パラグライダーが海に落ちて大変だ!・・・という通報がありましてね、やってきたんです。これは何というモノですか?」・・・いつもの質問だ。

私は、ちょうど良い機会だから、今回はしっかり説明しておこうと考えて、カイトとパラの構造の違いや楽しみ方の違い、その安全性や危険性・・・などについて、2人の若い警官も含めて3人の前で、ちょっとした講習会みたいなことをやった。歳のいった警部はともかく、若い二人は相当に興味深く聞いていたので、「君もやってみるといいよ、いいストレス解消になるぞ^^」と言うと、二人は微笑みながら頷(うなず)いた。

この国の法律では、事故の通報者の個人情報は守られる仕組みになっているらしい。これまでの経緯では、その主は、よほど暇で心配性のご老人辺りではないかと私は想像したりする。最後にこの警部には「通報する方には、今の話を少ししてあげて、よく注意してことの成り行きを見てからにするように助言してください」と、お願いをしておいた。その後、このエリアで同じことが起こったことはない。 

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年齢について

昨日「梅雨空が戻って来てなんだかホッとした」なんて書いたら、一夜明けて本日、気象庁が西日本の梅雨明け宣言を出した。例年よりかなり早いが、何にしても今年も本格的な夏が来てくれて私は嬉しい。堀江の浜で19㎡の痛んだプーリー交換の方法をF君に教えてもらいながら、缶コーヒーで梅雨明けのカンパイをした。これからいよいよ、“あの”別府と小松の季節なのだ。

私と同世代のF君いわく「年寄りには残り時間が少ないのだから、(残り時間の多い若者よりも)一生懸命やるのは当然だ・・・と若い仲間には言っている」。もちろん半分冗談だが、彼のことだから半分は本気だろうと、なんだか感心した。自分の本当にやりたいことに、真っ直ぐに取り組んでいる人間の姿ほど美しいものも少ない。

暦計算では、私もあと3年で還暦を迎える年齢に達した。それなりの「歳月を重ねた」ことは事実だ。たしかに、数十年前の自分と比べると身体の動きは徐々に硬くなってきている。ところが若い時の予想に反して、精神の動きははるかに柔らかくなってきている。「歳を取ると考え方が硬直化し頑固になる」という巷間(こうかん)の常識はまったく当てはまらず、事実は逆だ。こんな「非常識」な人間は、同時代に限らず、歴史的にも地理的にも広く存在するので、そう珍しい現象でもないらしい。

中国や日本の長い歴史を通じて、実に多くの人々に影響を与えた続けた孔子という人物は、彼の人生を10年区切りに整理し、「吾(われ)十有五(15)にして学に志し、三十にして立つ。四十にして惑はず、五十にして天命を知る。六十にして耳順ひ、七十にして心の欲する所に従ひて矩(のり)を踰(こ)えず」と言っている。四十の「不惑」の字義は「惑(まど)わない・迷わない」ではなくて、「狭い枠にとらわれない」といったほどの意味だ。四十歳を超えた頃の私は、「不惑からはほど遠いなぁ・・・」と、ごくたまにだが、ため息をついた。そして、20代、30代で逝ってしまった何人かの友人が、「惑わず」も「天命」も「不惑」も知らなかったとは、簡単には思えない。

単なる物理的時間で人間の年齢を測ることに、大きな意義を感じることがない私の理由はこの辺りにある。この世界に二つとはない大切な一人の人間の人生は長短さまざまで、この世界に「絶対的」な何かがあるとするなら、それは神や仏ではなく、この「一人の人間の生命の大切さ」だと私は信じている。この絶対の世界を年齢という相対のモノサシで測ることにどれほどの意味があるというのか。

ちなみに、孔子の『論語』は現代でもなお多くの経営者にも、座右の書の一つとして教訓を与え続けているが、じゃあ、現在の教育論では非常に大切だとされる15歳までの幼少年期はどうしてたの?・・・と聞いても記録がないから分からず、72歳までしか生きなかった彼に、今では珍しくない80代、90代の人生指針を聞くことはできない。

こう書くと、なにか「論語読みの論語嫌い」のように響くかもしれないが、とんでもない。私は『老子・荘子』や『孟子』と並んで、かなりの『論語』好きである。

バックアップの喪失

若干困ったことに先日、5~6年前から使っていた外付けハードディスクが、突然クラッシュした。まあ、主にバックアップ用だったから、痛痒(つうよう)はないけれども、マメに残していた大量の写真画像や動画などはみな消えてなくなってしまった。

信頼していたIOの250GBだったのだが、原因は常時通電のオーバーヒートによるものではないかと思う。ヘビーユーザーのハードディスクの寿命は3年~5年が当たり前だという。まあ、今は1TBが数千円で手に入る時代で、最近の外付けハードは動く必要の無いときは通電量を落とす節電機能なるものが付いているらしい。

そういえば、何年か前に愛用のノートPCがハードクラッシュを起こしたときの経緯(いきさつ)を書いたことがあったなぁ・・・と、4~5年前のブログ記事に検索をかけたら、懐かしい記事がいろいろと出てきた。ブログ管理を簡素化しておくためにも、目ぼしい記事は徐々にこちらに移動することにする。

YBBからNTTへ (私のPC歴)

「この数年お世話になったYahooBBから思い切ってNTTの光フレッツに変えることにした。思い切ってというのは、ホームページやらメールアドレスの件があって長い間躊躇していたということがあるのだが、これが実は杞憂であることが分かった。

ソフトバンクもこういう顧客が多いことを想定してちゃんとそれなりのサービスを用意しているのだ。ジオシティーズ・ライトとかゴールドとか・・・今日の解約申し込みの電話では解約ではなく休止ということにすれば、月額300円ほどかかるが、ネット接続を除いて今まで通り何の支障もなくYahooBBのサービスを継続することができることを知った。次のサーバーは老舗のニフティが運営する@ニフティに決めた。これで、サーバーの全体容量も幾らか増えるので、少々大きなファイルも安心してUPすることができるだろう。

ウィンドウズ95が出てすでに12年、干支が一回りしたわけだが、この間のインターネットやパソコンの技術革新は目まぐるしかった。ほとんど驚異的と言ってよい。私が手にしたWin95最初のPCは14インチモニター一体型のNECキャンビーだった。(当時25万円、今これだけ使えばかなりの性能のデスクトップが3台は買える。)Win3.1に比べると格段に扱いやすいOSになって、随分多くの時間をワクワクしながら、時にはノイローゼになりそうなくらい熱心にこの世界との付き合いを始めた。

ちょっと振り返ってみると、私のパソコンの原点は25年前のまだマイコンと呼んでいた頃のシャープMZ7000だ。これを安月給をはたいて購入したときの嬉しさは格別だった。モニターは家庭用のテレビ、プログラムはBASICをカセットテープで小さなメモリに何分もかけて読み込ませてから更にゲームソフトのテープを読ませる。それでやっと『スタートレック』などのアドベンチャーゲームみたいなものが楽しめる・・・というもので、ともかくゲームがしたくて始めたようなものだった。

そして、このBASIC言語を何日もかけて組んでやっと完成させ大喜びしたのが単純なピンポンゲームだった。これで充分感動できた時代だ。このゲーム熱も数年後にファミコンなる万能ゲーム機が出て一挙に冷めてしまうことになる。

12年前のネット環境は今から考えるとバカ高い料金の従量制で、ピーヒョロと鳴く14.4Kbpsのモデムで、常に時間を気にしながら100kb程度の(楽しい)画像を落とすのに何十分もじっと待っていたこともあった。これが今や100Mbpsの時代だ。ざっと1000倍の速度!

HPを中心とするネット上の情報の総量も圧倒的に少なかったけれども、英語サイトの文書類にはかなり使えるものがあった。すごい時代になったな!これからもっとすごいことになるだろうなー・・・と考えていた。そして、その通りになった。PCのCPUやハードなどはもう言葉にもならないくらい大変なもので、私の想像をはるかに超えていた。メガバイトの単位のハードディスクの容量がギガバイトになったのだから、これも単純に1000倍進歩したということになる。10年ちょっとで1000倍に変化するものなんて、第一次世界大戦後のドイツを除いては、終戦直後の日本の物価くらいのものだろう。

人間の環境適応能力は全ての動物に優れる・・・という人がいる。私もある程度はこの説に賛同するが、しかし、どんどん前に進むだけが人間の幸せでないことも良く知っている。つまり、日の当たる進歩の裏にはおそらく同程度の退歩の影がくっ付いているという見方をする。長い目で見た場合、その退歩・後退が人類の存続にとって決定的な負荷になり、取り返しの付かないものにならないことを、とりあえず今は願うよりないのかもしれない。」
 

有難迷惑 (3)

ずいぶん前に「有難迷惑」の(2)まで書いた。起承転結の「起」の部分だ。今回からようやく「承」に入る。

改めて一般的に使われている意味を確かめようと思って、小学館の統合辞書で「有難迷惑」を引いてみたら、国語辞書には無いのに和英辞書には幾つかの用例と共に載っていた。少なくとも英語圏には同じような煩わしさを抱える人がいるらしい。いわく"unwelcome favour"、「歓迎されない好意」・・・最も使えそうな文は、"Thank you for nothing."「有り難いけど何の用にもならないよ」・・・だそうな。私は聞いたことも使ったこともないが、ハッキリものを言う英米人なら時々言いそうなことだ。

当人には「何の用にもならない」どころか「迷惑なばかり」の他人(ひと)の好意は、多くの社会人が日常しばしば遭遇することで、そう珍しいことではない。頼みもしないのに勝手にモノやサービスを与えようとする電話勧誘や訪問販売の類(たぐい)は最も分かりやすい有難迷惑だろう。もっともその動機が「好意」かどうかは大いに怪しいので、私はたいがいの場合、完全に無視する。

これだけ情報化が進んでいる時代だ。自分が必要とするものは自分の方からアプローチする方法を全く知らない人間など、極めて稀(まれ)なことは充分分かっているはずなのに、あんなバカげたことに大事な時間と労力を使わせる経営者はバカに大を付けてあげた方が良い。

ところが、これら日常世界の出来事と似たようなことは、かなり非日常的な「風読みの世界」でもしばしば起こり、まだその「社会的現象の基本構造」に理解が及んでなかった若い頃の私は、まったく余計なことをする人たちに腹を立てて噛み付くことさえあった。

その基本構造の本質は、要するに「無知」にあり、未だ社会的認知度の低い(多くの人が知らない)何かをする人間が、たいがい似たような経験をするのは、当然といえば当然のことだった。少しシャレた言葉を使えば、「あらゆる分野のパイオニアの宿命」と言っても良いだろう。

その一例は、パラグライダーが今ほど多くの人に知られていない頃のことだ。変な形をした飛行物体に人がぶら下がりながら山の林に降下するのを見かけた人がビックリしたらしく、「飛行機みたいなものが墜落した!」と警察や消防に救助通報をした。これはパラグライダーの世界ではよくある「ツリーランディング」で、これ自体で怪我をすることは自転車でこけて気絶するより難しい。高い樹から安全に降りる技術や機体の回収方法などは、その技能の初歩として一人前のパイロットはみな身に付けている。しかし、そんなことは何も知らない地元の住人が、これを「墜落事故」だと思ってしまったらしい。

私が木の上のサルになったよう気分で、のんびり機体の回収をしていたら、間もなく、ご苦労にも消防所の人たちが数人、息を切らしながら急な山の斜面を登ってきた。「お~い、大丈夫か~!」私の姿を認めても何も出来ず、何度も大声をあげる彼らに、まだ30代半ばで血の気の多かった私は少々イラついて「大丈夫なのは見たら分かるだろう!こっちに用はないから帰れ!」・・・と、まあ今の私ならまずしない無慈悲な言い方で追い帰した。大いにガッカリした彼らは、帰り際に「降りたら警察に寄って事後報告をするように・・・」などと言い残したが、こちらが頼んだわけでもないのに、そんな面倒くさいことをしなければならない義理はない。

国民の生命と財産を守るために、国民の税金で作っている警察や消防の組織制度は、国民から要請があればそれに応えるのが当然の職務義務で、この場合も当然のことを当然行ったに過ぎない。また、何も知らずに事故だと思い込んで通報した親切な人をとがめる理由もない。単なる「無知」が、私も含めて、それぞれの立場の人々の貴重な時間と労力と多少の税の浪費を招いた・・・という事実だけが残る。

同様のできごとは当然、まだまだ知る人の少ないカイトサーフィンにもある。ただ空と違って海の風読みスポーツは人目につく環境で行うことが多いから、その機会も多くなるのだろう。この4年ほどの間に、私は3回通報されて、一度などは海上保安庁のヘリが飛んで来たりしたこともあった。基本構造はパラの場合と同様。まったくご苦労なことだ。ただ、たぶん親切な通報者の方々には、とりあえず、もう少し落ち着いてじっくり事の成り行きを観察してから、ほんとうに必要なときに警察なり消防なり海保なりが活躍できる場を与えるように・・・と願っておきたい。

和歌山と地震

9日から和歌山の西海岸を廻ってきた。およそ予想通り南紀の海は外洋の明るい光に輝き、有名な白浜は春休みの自由を楽しむ女学生たちの元気で溢れていた。千畳敷や三段崖を眺めた後、岬の先端に位置する南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館を訪れた。この小さな施設の屋上からの大眺望はまことに見事なものだった。IMGP0051s1024pix100kb.jpg

熊楠が半生を送った田部市と和歌山市を結ぶ高速道を降りた頃に息子から電話が入った。とんでもない地震が起きたらしい。やがて県の海岸部にも大津波警報が出て、先ほどまで走ってきた高速道は通行止めになり、復路も予定していた徳島行きフェリーは運休になった。

仕方なくというべきか、これ幸いというべきか・・・帰路は大阪まで出て山陽道を走り、縁ある岡山で寄るべき場所に寄って、しまなみ海道を渡る・・・という10時間にも及ぶものになった。いっぺんに二つの旅をしたような気分だ。道中のテレビもラジオも全て地震報道で、まさに想像を絶する被害の情報が次々に入ってくる。山陽道では被災地支援に向かう消防車や救急車の一団にも出会った。IMGP0059s1024pix100kb.jpg

地震国に生きる人間の一人として思い感じることは多くある。「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったのは文士的物理学者の寺田寅彦だが、今や地震は忘れる間もなくやって来る。この悲しみや苦しみは、決して遠くの他人事ではない。私もできる限りの支援と可能な限りの準備を少しは真剣に考えることにする。

文明的

日本でも有数の保守王国と言われるこの愛媛県に、どうしてこれほどリベラルな匂いのする愛媛新聞が普及しているのか、不思議な気もする。我が家の皆も、ずいぶん長い年月この新聞を眺めているが、中でも随論に類するコーナーには、加藤周一や山折哲夫や養老猛・・・など、時に驚くほど意外な人物が登場して、私を大いに喜ばせる。110217e-gennrons1024pix200kb.jpg

今回は入江昭先生だ。少しでも国際問題に興味を持つ者で彼の名前を知らない人はいないだろう。私もリベラルな国際学者として名前くらいは覚えていたが、未だに彼の著作をまともに読んだことはない。しかし、今日の「論壇」の2000字ほどの小論を読んでいると、その見識の広さと深さは充分に推して知ることができ、読後感を圧縮すると、「やはりそうか^^!」という感慨の一言だ。

彼は冒頭、バートランド・ラッセルの文明観を提示しながら「国家」の非文明性を論じ、間に少し国連など国際機関の使命を挟んでから、今後の国際社会における文化的文明論に触れ、「太平洋文明」に期待を寄せて論を閉じている。

私がこの小論に共鳴する理由の一つは、たまたま現在、私もラッセルの著作の幾つかを再読・熟読している最中であるということもある。そして、文明史と呼ばれることの多い人類の歴史が、小さく閉じた世界から、より広大で開かれた世界に向かって着実に進行していることも、否定しようのない事実だからである。

ちなみにラッセルは、

"Do not fear to be eccentric in opinion, for every opinion now accepted was once eccentric.”
「風変わりな意見を持つことを恐れるな。現在受け入れられている意見の全ては、かつて風変わりだったのだから」・・とか
"Men are born ignorant, not stupid. They are made stupid by education.”
「人は無知に生まれるが、愚かに生まれるわけではない。人を愚かにするのは教育である」

とか言ったりする人物である。(全て寛太郎の拙訳)

有難迷惑(2)

「有難迷惑」とからめて、「シーマン・シップ」について少し考えてみる。

地上には彼の国で古くから「ジェントルマン・シップ」があり、時代の変遷に従って多少とも意味合いが変化しながら、近代以降は概(おおむ)ね「品格があって礼儀正しく、相手の立場を尊重する」ことを規範とする。

空には「エアマン・シップ」があり、航空の歴史が始まってからできた言葉だからそう古いものではない。「ジェントルマン・・・」よりずっと「自由」の薫りが強く、20世紀初頭生まれの動力飛行機が第一次世界大戦で戦争の具(愚)になった頃に生まれ、1920年代のバーンストーミングの時代にかけて熟成されたものだろう。

バーンストーミングといえば、たちまち連想するのが複葉機だ。ヨーロッパ戦線に投入するために米国で量産された複葉機の一種が大量に民間に払い下げられ、大空のロマンと自由を求める多くの人たちの夢を現実のものにした。「翼よあれがパリの灯だ!」で有名なチャールズ・リンドバーグなどもその一人だ。彼はやがて大西洋の単独横断飛行に成功して世界的英雄になった。後に婦人と共に太平洋の北方西回り航路を開拓しながら日本にも滞在している。

アメリカという大陸はまだ広大な自由の許容量を有している。毎年春に行われるフロリダの航空ショーの会場の一角では、中には自宅の庭から飛んで来たウルトラライトの数々や、真っ赤に輝く複葉機の翼にハンモックを引っ掛けて昼寝している青年を見かけたりして、私は嬉しかった。だんだん狭苦しくなるばかりの世界の一角で、あの夢のような時代の自由の気風に出会ったような気がしたからだ。この辺りの話を始めるとまた脱線して長くなるのでまたの機会にしよう。

さて、「シーマン・シップ」なんて言葉はもう死語になったのだろうか・・・近頃、目にすることは滅多にない。昔もそうたびたび耳にした訳ではないが、私がウィンドサーフィンに熱中していた頃は、海で風読みをする人々も当然心得ている常識のようなものだったと思う。その意味合いは、やはり「ジェントルマン・シップ」を踏襲してはいるが、「相手の立場を尊重する」から「弱い人や困っている人を助ける」、つまりは「思いやり」の精神に多少シフトしたものと理解している。

言葉の生死はともかく、その精神は、同じ海で生きる各種の「船乗り」や「漁師」や、時にはプレジャーボートなどを楽しむ人たちの中にも今なお厳然と生きていて、私も何度かその「思いやり」の現場に両方の立場で遭遇している。この数年では、カイトサーフィンに関係して、通りがかった漁師の方が声をかけてくれたり、近くの水上バイクには3回ほど乗せてもらったり岸まで引っ張ってもらったことがある。前にも書いたように、私にとっては必要性のない助けではあるが、こういう種類のシーマン・シップの発露は、ただ「有り難いこと」で、その行為や好意を無にするのは返って礼に失するだろう。

その純粋な親切に喜んで応える私の行為を、何を思ったか「(あなたのしたことを)どう思うか?」などと詰問する人間もいた。その後、「みんな心配している・・・」などと、まことに底の浅い理由付けをしようとした。これなどはとりあえず不愉快で迷惑な話だが、これから彼(彼ら)も、もう少し広い世界を知り自然の妙を知るに至れば、自己の未熟さ加減に気が付く時が来るだろう。人間は誰しも、「間違いを繰り返しながら成長する動物」である。

有難迷惑

通常、「有難いこと」と「迷惑なこと」は相反価値なので、両方が同時に成立することはない。しかし、この世界にはいろんな人がいて、様々な人が様々な考え方や立ち位置で関係し合うことから、特に狭い世界では、本来は単純で簡単なものごとが、複雑でめんどくさいものになることがある。「有難迷惑(ありがためいわく)」などもその一つだ。

たいがいの物事は単純で簡単な方が人は幸せだろう・・・と思うので、私の例を少し挙(あ)げることで、有り難いことが増加し、迷惑なことが減少するよう願うことにしよう。

人の例に漏れず私も、今まで生きる過程でずいぶん多くの人のお世話になり、また迷惑もかけて来た。もっとも「お世話になった」と思うのは私で確かなことだが、「迷惑をかけられた」と思うのは私以外の人の領分だから確かではない。

しかし、こと自然の中で単独で行うような趣味に関しては、36年前のスキューバダイビングに始まり、ウィンドサーフィン、パラグライダー、マイクロライト、ディンギー、カヌー・カヤック・・・・・・現在のカイトサーフィンに至るまで、人の助けを必ずしも要しなかったという意味で、お世話になったことはない。そもそもスキューバやパラグライダーはその歴史が始まったばかりで周囲にやっている人がいなかったし、ウィンドサーフィンその他も全て独学独習が当たり前だと考えていたから、最初から自己完結するような付き合い方しかして来なかった。

もちろん、あることを長い間やってると、自ずと同好の知人や友人や後輩ができ、彼らから学び取ることは常にあって、時には複数で自然の恩恵を享受するのも楽しいものだが、大自然の中で一人で行う種類の活動は基本的に「自己完結」するものでないと、その真の醍醐味に触れることはまずできない。これは私にとっては確実な経験則であり、様々な角度から考察を進めることもできそうな気がするが、ここではこれ以上触れない。

正しくは有り難い要素など一つもない話ではあるが、私の「有難迷惑」でまず思い出すのは、ウィンドサーフィンでショートボートの分野が生まれたばかりの頃の堀江海岸・東の浜での出来事だ。板は『ロケット99』という、それまでのサーファー艇などと比べるとずっと短くて格段にスピードが出る作りで、今では当たり前のフットストラップに足を突っ込むとちょっとしたジャンプができるようになった頃のことだ。

実に良い風でひとっ走りして疲れたので中の浜の車で一服した後現場に戻ってみると、浜に置いてあった道具一式が無くなっている。たった30分ほどの時間で・・・これには驚いた。探し回るもなにも障害物など何もない見通しの良い浜であれだけ大きな物体がどうして消えてしまうのか・・・たまたま通りかかった婦人に何か知らないか聞いてみると、彼女は「あそこの人が家に運び込んでましたよ・・・これは私から聞いたとは言わないで下さい」と言って、近在のある家を指差した。

急いでその家を訪ねたら、さっきまで使っていた私の道具が庭にあった。事情を聞けば「誰かが落としたか忘れて帰ったと思って持ち帰ったのだ」と言う。誰がこんなにピカピカでデカイ持ち物を置き忘れるだろうか^^;「ああ、これは典型的な占有離脱物横領(せんゆうりだつぶつおうりょう)だな」と思ったが、とりあえず傷も無く、その人がなにか哀れな気がしてそれ以上追求することはなかった。一つ目の迷惑な話だ。

風遊び

今日も最高気温は10℃を超えず、冷たい北風が入っていた。海に出れれば久々にディレクショナルを使って思い切り沖まで上ってみようと思っていたのだが、安定した3m/sほどの海風。1時間余り、いつものカイティングでほどよい汗をかいて終了。IMGP0355s1024pix100kb.jpg

エア抜きに寝かせたカイトの横で、小さな女の子が砂遊びを始めた。可愛らしいバケツにスコップで砂を入れ、砂プリンみたいなものを作っている。その若いお母さんの幸せそうなこと・・・女の子の楽しそうなこと・・・^^。

小さな子供は砂と、私は風と遊ぶ。使う道具はいくらか違うが、していることの本質に何の違いがあろうか・・・。

ある仏典は「衆生所遊楽(しゅじょうしょゆうらく)」と説き、この娑婆世界は苦しいことや悲しいことで充満しているが、本来、人は「遊び楽しむ」ためにこの世界に生まれ出て来るのだ・・・と言う。無論、この「遊楽」は浅薄な快楽主義の一類などではない。インド生まれの釈尊が、誰人も避けて通ることのできない「生・老・病・死」(四苦)という厳しい現実とまっすぐに向き合い、全生命をかけて取り組んで得た結論の一つだ。

「衆生が遊楽する所」・・・この世界に「仏という何か」が存在しているとするなら、この平凡な砂浜は、彼の目には眩しいほどに光り輝く「遊楽」の浄瑠璃世界と映っているのかもしれない。

ヒドリガモ

曇り空ながら昼から堀江へ。海岸横の小さな砂州ではカモがくつろいでいた。雌雄4羽づつ8羽。近所の池でよく見かけるマガモとは色合いが違うので、調べてみると「ヒドリガモ」と言うらしい。なんにしても、見れば見るほど愛らしく美しい。IMGP0342s1024pix100kb.jpg

ついでに、渡り(わたり)についても少し。最近は高性能な発信器を付けた追跡調査で、繁殖地や飛行経路については、かなり正確なことが分かってきたようだ。こんな小さな鳥たちが、持って生まれた身体と能力だけで、毎年何千kmにもわたる長途の旅をしている。

海上を飛行するに昼間はいいとして夜はどうしているのか・・・たぶん近くの島に降りるか波間を漂っているのだろう・・・と思っていたら、南方に帰るツバメなどは飛びながら寝るということもあるらしい。

その方法が、片目づつ閉じて脳の半分を休めながらの飛行だというのだから驚く。目はまだ良いとして、脳が半分休んだら身体の半分はどうなっているのだろう?翼が動き続けていなければ、少なくとも「羽ばたき飛行」は成立しない。h20-fig1miyazaki-ls1024pix100kb.jpg

彼らには、私たち人間には容易に感知できない「空の道」があるのだろう。その道は、ひょっとしたら夜でも安定した上昇風に恵まれているものかもしれない。なるほどやはり、科学的探究が進めば進むほど、さらに自然はその不思議を顕(あら)わにする。

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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