9日から和歌山の西海岸を廻ってきた。およそ予想通り南紀の海は外洋の明るい光に輝き、有名な白浜は春休みの自由を楽しむ女学生たちの元気で溢れていた。千畳敷や三段崖を眺めた後、岬の先端に位置する
南方熊楠(みなかたくまぐす)記念館を訪れた。この小さな施設の屋上からの大眺望はまことに見事なものだった。
熊楠が半生を送った田部市と和歌山市を結ぶ高速道を降りた頃に息子から電話が入った。とんでもない地震が起きたらしい。やがて県の海岸部にも大津波警報が出て、先ほどまで走ってきた高速道は通行止めになり、復路も予定していた徳島行きフェリーは運休になった。
仕方なくというべきか、これ幸いというべきか・・・帰路は大阪まで出て山陽道を走り、縁ある岡山で寄るべき場所に寄って、しまなみ海道を渡る・・・という10時間にも及ぶものになった。いっぺんに二つの旅をしたような気分だ。道中のテレビもラジオも全て地震報道で、まさに想像を絶する被害の情報が次々に入ってくる。山陽道では被災地支援に向かう消防車や救急車の一団にも出会った。
地震国に生きる人間の一人として思い感じることは多くある。「天災は忘れた頃にやって来る」と言ったのは文士的物理学者の
寺田寅彦だが、今や地震は忘れる間もなくやって来る。この悲しみや苦しみは、決して遠くの他人事ではない。私もできる限りの支援と可能な限りの準備を少しは真剣に考えることにする。
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お帰りなさい
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