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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   
カテゴリー「その他」の記事一覧

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凛(りん)と

今夜は夕食時にすばらしい人を見かけました、久しぶりにテレビの中に。所さんのなんとか・・・という番組で登場したダンスの女先生。

宝塚の現役ジェンヌも師事する、その女性の姿勢の凛(りん)としていること!動作の機敏で美しいこと!それが御歳70!・・・どうみても外見は50代、動きは20代・・・どうしてこんなことが可能なのか・・・まったく驚いてしまいました。

もちろん、それなりの健康管理やトレーニングを日々積んでいるのでしょうが、「人間の年齢は過ぎ去った年月ではなく、心の持ち方や生き方で決まる」・・・という或る先人の洞察の現実証明がそこにありました。

人間が他の動物たちと大きく異なることの一つは、同じ歳月を生きても、人によって時に大きく異なった状態になるということです。枯渇した老人のような生き方をしている若者がいる一方、いつまでも前向きな若者のような年寄りがいる。

今年は、もう一人、同様に驚嘆した人物がいました。この方には直接お会いしてお話しすることもできたのですが、彼は御歳90!今治沖の島で現役の漁師をされている方で、新聞などにも何度か登場したことのあるその道の達人です。この方もまたその姿勢の凛(りん)として高貴なこと・・・私は心底感動しました。

こういう方々を見ると、普段ズボラな私にも勇気のシャワーみたいなものが降りてきて、なんだかやる気が沸々と湧いてくる。

これで、来年の目標が幾つか決まりました。とにもかくにも、高齢の方々が、こうして人の生き方の範を示してくれることは、まことに有難いことです^^。
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価値相対主義

このブログは一応「カイト日誌」となっているので、基本的にこのテーマに沿って進めて行こうと思っていたのですが、カイトの世界も少し掘り下げて眺(なが)め始めると、結局、この世界の森羅万象とつながっているという事実に行き当ります。

実はずいぶん前から別に少し硬めのHPやらブログやらを作っていて、まあそこでもいろんな「思いつき」を書き連ねていただけなのですが、つい最近、数年ぶりに管理ページを覗(のぞ)いてみたら、何年も前に空関係のことで書いた本への問い合わせや注文が幾つか入っていて、かなり慌ててしまう、ということがありました。

本来は届くはずのお知らせメールが管理サーバーで止まっていたという訳で、まったく間の抜けたお詫びメールをさせては頂きましたが、ブログ関係もやはりシンプルにしておくべきだと痛感した次第。

ということで、今後は、思いついたことは「およそ何でも」このブログで済ませようと思います。要は「カテゴリー」で分類しておけばいいだけの話ですから。

たぶん、単なる中年カイトボーダーには似つかわしくもない、ヘンテコリンな記事も出てくると思いますが、めんどくさい話しはポンとスルーして、面白そうな部分だけ拾い読みして頂けるとありがたいかなぁ・・・と思っております。

今回は、「価値相対主義」・・・なんて、こんな日本語がどこにあるんだ~!という感じかもしれませんが、つまりは、「幾つもの好みや考え方があるからこそ、それら(好み考え)が意味を持つ」・・・というようなことで、「何とか原理主義」や「何とか絶対主義」とおよそ正反対の思想です。

これをカイトの世界に当てはめると、「カイト・スタイルの多様性を尊重する」ということになるのですが、どの世界にも偏狭(へんきょう)な頭の持ち主はいるもので、陸上だけでなく空にも海にも、自分のスタイルを唯一最高だと自ら思い込むだけでなく、人様に押し付けようという傾向性が見えることがあります。

この姿勢の淵源(えんげん)は、たぶん人間存在自体の深い部分にあって、簡単には払拭(ふっしょく)しがたい業(ごう)のようなものなのかもしれません。

しかし、この傾向性が肥大化すると、たちの悪い権力指向から、セクショニズム(排他的派閥主義)や集団主義を生み、更には救いがたいナショナリズム(国家主義)へと発展してしまうことは、過去幾多の歴史が証明済みのことですから、時には十分に注意した方が良いでしょう。

私は、この世界は、色々なものの見方や考え方、生き方やスタイルがあるから面白いし、少し仰山(ぎょうさん)に言えば、人間社会の平和や発展生成もあるに違いないと考えています。

しかし、ただ一つ容認できないスタイルがあるとすれば、この種のもので、「いかなる寛容も非寛容にだけは寛容でいられない」という、誰かが言ってそうなフレーズ(早口言葉ではありません^^;)の通りでありましょう。

吟遊婦人

昨日はちょっと珍しいこともありました。カイトのセットアップをしていると、特に何をするという風でもなく海岸をブラブラと歩いている3人の婦人がいる。この寒い冬空、街着のコートに身を包んでいったい何をしているのだろう?

さっきはウィンドのMさんを囲んでずいぶん長いこと話していた。そうか、この時期はキリスト教に縁の深い時節だから、その関係の福祉活動みたいなことで、とりあえず行き会った人々に声をかけているのかもしれん・・・などと思いながら風待ちしていると、そのうち彼女たちはこちらの中州までやってきました。

「寒いでしょう・・・何をされてるんですか?」・・・こういう状況で初めて会う人には、およそいつもこんな感じで私の方から声をかけることが多いのですが、返ってきた答えは、なんと・・・「吟遊(ぎんゆう)」でした^^;。吟遊詩人の吟遊ですよ!・・・さすがに山頭火や俳句の街を背景に持つ土地柄だなぁ・・・と感心しながら、私もしばらくカイトのお話しをすることに。IMGP0243s80kb.jpg

その姿勢の熱心なこと、カイトや板のつくりやら風の性質やらいろいろ聞いてくるので、私も調子に乗って、「じゃあボード持ってみますか、ブログに載せる写真一枚撮りましょう・・・」などと、と半ば無理やり撮らせていただいた一枚がこれ→。

近年、写真撮影を好むご婦人方はずいぶん増えて、カイト風景は何回か撮られたことがありますが、吟遊婦人に会ったのは初めてです。まことに心温まるひと時でありました。見かけで簡単に人間を判断してはいけません^^;
 

柔らかい海面

今日は家内の誕生日・・・日本国にとっては奇妙な存在であり続ける天皇の誕生日でもあり、彼の国の宗教的習慣が、此の国ではなぜか娯楽的風習に変身するクリスマスなんとかの前日でもあります。

いずれにしても、それなりにめでたい日らしいので、我が家では毎年それなりの祝いをすることになっていて、ケーキ屋で甘いもの買って、夕食後にそれなりの儀式をするのが恒例になっています。

毎回ケーキを買ってくるのは私の役割なのですが、今日は運悪く午後3時ごろから暖かい南風が入って、粟井海岸まで直行ということになってしまいました。

仕方なく家内に私の役割を押し付けたら、近年見たこともないようなでかいのに、なんとかシャンペンまで買ってきて、その旨(うまい)いこと・・・ケーキにビールにシャンペン・・・当然、今の私にロクなことが書けるわけがありません。

というわけで、今夜は以上・・・。

↓粟井の海はちょうど潮止まりで、安定した南西風が5mほど。穏やかな海面はとても柔らかい感触でした。

101223at.JPG

理論と実践

ここのところ寒いものだから根の生えたコタツでウトウトしながら、少々理屈っぽいことを書いてきました。まあよくいう「理論と実践」の理論的な部分みたいなものです。

ヨットやウィンドサーフィンには帆走理論というものがあり、空の世界では飛行理論とか航空力学というものがある。しかし、空のイントラの私が言うのも多少気が引けるのですが、恐らくどんな活動やスポーツでも、どんなに深遠な理論を重ねても、それで技能が上達するということはまずありません。

ある技術・技能の習得に大切なのはあくまでも実践・練習であって、下手をすると机上の理論や情報過多は上達のブレーキになる場合さえあります。

それはどうしてかを一言で言うと、「人間の感覚器官は思考回路よりはるかに敏感・緻密かつ迅速に働く」からです。しかも感覚器官の総体=体で覚えたものは簡単に忘れることがない。これは私も15年ぶりにウィンドに復帰した時に明確に感じたことです。

では、理論の効用はどこにあるのか・・・一つはつまらない失敗をしないため、一つはさまざまな失敗の原因を知るため。

私は、人生万般、人間は失敗を重ねることによって成長する生き物だと考えていますから、風読みスポーツも同じような見方をします。そして、人は同じような失敗を繰り返しがちだということもある程度知っています。

ただ、きわめてリスキーな活動・スポーツによっては、その本来許されるべき失敗に2度目がない時があって、そのような場合は、体を使うの同じくらい懸命に頭や理論を使わないといけません。

変な朝

今朝はちょっと変でした。いつものように7時頃に目が覚めて、いつものようにパームの散歩を兼ねて木曜日のゴミ出しに出かけたのですが、いつもはゴミ袋でいっぱいの収集所にそれらしいものが一つもない・・・これは曜日を間違えたのかなぁ?・・・といったん引き返そうとして・・・いやいやそんなことはない、今日は確かに木曜日だ、私が最初の一人なのかもしれないのだから・・・と、いつもより丁寧にカラスよけネットをかけて、散歩コースを一周。

家に帰って、リビングの時計を見てみると・・・なんと時刻は11時40分!・・・私の部屋には掛け時計が2つあって、一つは古参、一つは新参の電波式・・・私のねむけ眼は、電池が切れて7時過ぎで止まった古参の方を見ていたのでありました。

ここのところ風邪気味だったのに加えて、昨日の寒中トレーニングで昨夜はやたらクシャミが出て寒気もするので早めに床に入ったのですが、かくしてどうやら12時間近く寝ていたらしい^^;こんなことは学生時代に無茶苦茶な日々を送っていたころ以来、初めてのことであります。

まあ、これだけ眠れて昨日までの変調がすっかり解消し、スッキリ目覚めることができるのは、私もまだ若いということでしょうか^^・・・その後、慌てて生ゴミの回収に向かったのは言うまでもありません。

年の瀬

今日から12月です。朝の室温もだんだん下がってきました。私の定義では、机上の温度計が10度を切ると冬が来たということになり、ストーブかコタツの出番になります。

コタツというと、こないだリビングにダイニング・コタツというのを入れたら、これがすこぶる快適なので、不要になった食卓に不要になった昔のコタツのヒーターを取り付けて、事務所の机も事務用コタツに改造してしまいました。

もちろん格段に快適になったのは言うまでもありません。しかし、我が日本の誇るべきコタツ文化の効用の一つは、座ったら動きたくなくなり、そのうち眠たくなる・・・ということです。「お尻に根が生える」と言いますが、まったく椅子に根が生えたように動けなくなってしまいました^^;・・・まあこれで、腰を据えてデスクワークに取り組めるのなら、大いに善しとしましょう。

さて、年末になるといつも想うのは一年間の出来事。今年は近年になく大きな年になったのかもしれません。楽しいことや悲しいこと・・・いろんなことがあったけれども、ともかく充実していました。

人間の世界では、時間の進む速さは年齢とともに加速すると言いますが、長いこと自然やその中で生きる生き物たちと付き合っていると、「時間の相対性」をある程度明確に感じるようになります。木々には木々の、鳥には鳥の、犬猫には彼ら独自の時間が流れている。

人の寿命を100年とすると、たとえば、1000年生きる大木は人間の10倍ゆっくりと、10年が寿命の動物はおよそ10倍速く進む時間の中で生きている。多くの鳥たちの寿命は10年に満たないと言われていますから、彼らは1日で私たちの10日分以上の経験を積んでいるということになります。

生きる速度の相対化は、必然的に生物の世界における人間存在自体の相対化、つまり、「人間も、一生物種として特別な存在などではない」・・・という世界観を導くことにもなるでしょう。こういう見方は、仏典に「一切衆生・悉有仏性(しつうぶっしょう」などともあるように、特に東洋では太古から存在する生きた世界観・宇宙観でした。

日本において、人間が他の生き物たちと分離され特別扱いされ始めたのは、主に近代以降、西欧のキリスト教文明が支配的になってからだと思います。彼(か)の教えでは、神と人間、人間と他の生物は峻別され、峻別されるがゆえに支配・被支配の関係が許されることになるのでしょう。

これ以上書くと、文明論・国家論などという大きな話になりそうなので、今日はこの辺でおしまい・・・これも快適な事務用コタツのなせる技です^^。

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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