このブログは一応「カイト日誌」となっているので、基本的にこのテーマに沿って進めて行こうと思っていたのですが、カイトの世界も少し掘り下げて眺(なが)め始めると、結局、この世界の森羅万象とつながっているという事実に行き当ります。
実はずいぶん前から別に少し硬めのHPやらブログやらを作っていて、まあそこでもいろんな「思いつき」を書き連ねていただけなのですが、つい最近、数年ぶりに管理ページを覗(のぞ)いてみたら、何年も前に空関係のことで書いた本への問い合わせや注文が幾つか入っていて、かなり慌ててしまう、ということがありました。
本来は届くはずのお知らせメールが管理サーバーで止まっていたという訳で、まったく間の抜けたお詫びメールをさせては頂きましたが、ブログ関係もやはりシンプルにしておくべきだと痛感した次第。
ということで、今後は、思いついたことは「およそ何でも」このブログで済ませようと思います。要は「カテゴリー」で分類しておけばいいだけの話ですから。
たぶん、単なる中年カイトボーダーには似つかわしくもない、ヘンテコリンな記事も出てくると思いますが、めんどくさい話しはポンとスルーして、面白そうな部分だけ拾い読みして頂けるとありがたいかなぁ・・・と思っております。
今回は、「価値相対主義」・・・なんて、こんな日本語がどこにあるんだ~!という感じかもしれませんが、つまりは、「幾つもの好みや考え方があるからこそ、それら(好み考え)が意味を持つ」・・・というようなことで、「何とか原理主義」や「何とか絶対主義」とおよそ正反対の思想です。
これをカイトの世界に当てはめると、「カイト・スタイルの多様性を尊重する」ということになるのですが、どの世界にも偏狭(へんきょう)な頭の持ち主はいるもので、陸上だけでなく空にも海にも、自分のスタイルを唯一最高だと自ら思い込むだけでなく、人様に押し付けようという傾向性が見えることがあります。
この姿勢の淵源(えんげん)は、たぶん人間存在自体の深い部分にあって、簡単には払拭(ふっしょく)しがたい業(ごう)のようなものなのかもしれません。
しかし、この傾向性が肥大化すると、たちの悪い権力指向から、セクショニズム(排他的派閥主義)や集団主義を生み、更には救いがたいナショナリズム(国家主義)へと発展してしまうことは、過去幾多の歴史が証明済みのことですから、時には十分に注意した方が良いでしょう。
私は、この世界は、色々なものの見方や考え方、生き方やスタイルがあるから面白いし、少し仰山(ぎょうさん)に言えば、人間社会の平和や発展生成もあるに違いないと考えています。
しかし、ただ一つ容認できないスタイルがあるとすれば、この種のもので、「いかなる寛容も非寛容にだけは寛容でいられない」という、誰かが言ってそうなフレーズ(早口言葉ではありません^^;)の通りでありましょう。
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