内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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今朝の室温5℃。今のところ今冬最低記録だ。昨日の塩屋も寒かった。後でアメダスで確認してみると6℃台ということだから、これは例年なら1月、2月の厳冬期にあたる。北西風はかなりガスティだが7m程度。水にぬれ風にさらされた素肌は急速に冷える。
まだアビーム走行までは距離があるS君は、何十メートルかは斜め風下に走れるようになり(クウォーター・リー)、カイトを左右に振りながら、スタボーサイド、ポートサイドを繰り返しながら下っているうちに、ちょうどゴルフ場のグリーンのように緑の水草が茂っている中州に到着する。ここまで来たら、現在の彼にとってはカイトをたたんでスタート地点まで戻るしかないし、今はそれで充分だ。
「10分ほどグラハンやって、濡れたカイトを乾かしてからピックアップしなさい」と指示したが、ずいぶん手間がかかっている様子だ。後で聞いたら、手指にまったく力が入らず、エア抜きジッパーを動かすことができなかった・・・ということだった。「手が死ぬ」という真冬の海上スポーツでは当たり前の経験は彼にとっては初めてのもので、自分の身体の一部が自由を失う、という異常事態にいっとき驚き、少々焦ったらしい。
気温は厳冬だが海水はまだ初冬の暖かさだ。晩秋にはあれほど冷たいと感じていた内水面(水溜りフラット)でも、手の神経を保つには充分暖かい。アウトサイドの海水温度はもっと高い。つまり、陸上にいるより水面を走ったり泳いだりしながら、痺れかけた手を水につけておく方が暖かい・・・という、地上の常識からはちょっと遠い、冬の海の世界のお話になるわけである。
今日は穏やかな日曜日である。きわめて珍しいことに、家内と共に何の予定も入れていない。昨夜の夕食時は「丸一日、まったく何もしないで過ごすことができるかどうか・・・」などという他愛ないお話をし「それはまず不可能であろう」という結論に達した。
やはり、今朝も早くから目覚めて、紙の日のゴミ出しをしたり、S君のiCloudをXPマシンに導入したり、こんなことをしたりで、「何もしない」からはほど遠い午前中だ。やはり人間は基本的に動物(動く生物)なのだろう。
この連休(金・土)は忙しかった。しかし、先週末と異なり、ほとんど疲れが残らない種類の忙しさだ。
まず、5時間もかけて徳島からやって来たIさんと、そろそろ板を履く段階になってきたS君、このお二人はすでに基本が身に付いていてほとんど気を使うことはない。
それに、初練習になるK君とお仲間の3人・・・風の様子は、地上練習にはまずまずの3m~6mで、初日は頭上安定が取れるほどの風ではなかったので、セットアップ(準備)やピックアップ(片付け)、セイフティ・コントロールの基本、リーシュの使い方、各部名称・・・など、ちょっと一度に多くのことを話しすぎたかもしれない。
二日目は、程よい風の中、K君は10㎡を使って安定姿勢から、ピッチコントロールも含めてバーの操作とカイトがどのように連動するかが少しは分かったのではないかと思う。他の方々も初めて感じる風の力用に笑顔が絶えなかった。これが最も嬉しいことです。
この2日間でインプットされた情報がどの様に消化されるかは、これからの練習次第だが、ともかく「自然はめったに急がない」し、このスポーツは、その外見上の激しさのわりには体力を使わない。つまり相当な年齢まで楽しむことができる。私は60代後半で、流れるようなウェイブライディングをこなす方を知っているし、海外では70代もけっして珍しくない。たぶんそのうち80代90代のカイトサーファーも現れるであろう。
要するに、年齢・性別に関係なく、それぞれのスタイルを大切にしながら自由にお付き合いすればよいのである。しようと思えば、こういう自由な考え方や生き方が可能な時代に生まれ生きていることを、私は、まったく有り難いと思う。
過去の人類の歴史は必ずしもそうではなかったし、「個人の自由」に最大価値を見出した近代以降も、この種の自由を簡単に手に入れることはできなかった。近代以降はなおさらと言った方が良いかもしれない。
そして、これらの自由や喜びは、多くの人々がそれを当たり前のことだと思って油断をすると、わりあい簡単に奪われてしまうものであるという用心も、心のどこかに置いておいた方が良いかもしれない。
今朝の室温14℃・・・いよいよ冬が近い。
昨日の午後は、この季節、寒冷前線に付きものカミナリが轟音を響かせていた。近くの小学校のちょうど下校時刻。でかいのが一発落ちるごとに、女の子たちは「キャー!」と叫びながらどこか楽しげだ。ちょっと嬉しかったのは、男の子たちの反応で、あれだけ激しい雷鳴の中「か~みなり~か~みなり~もっともっとおちろ~!」とか、ワイワイ歌いながら我が家の横を行進していった。
どんな大人も子供から始まる。そして子供たちの内部には、太古の時代から流れ続ける「原始感覚」のようなものが色濃く残っているのに違いない。それが現代文明や大人社会への適応の過程で、徐々に萎縮し生命の深い部分に沈潜される。
このプロセスを世間の常識では「社会的適応」などと呼んで、当然のごとく奨励し、育児・教育の主要目的にしたりする。しかし、もし、その適応すべき「文明や社会」が、人間本来の幸福という視座から見たとき、大きな歪みひずみを抱えているものだったら、コトの経過や結果はどうなるだろうか・・・?
まあ、この辺りの私の観察は、また気が向いたときにゆっくり書く。コトの次第は複雑だが、結論はいたって簡単。20世紀を代表する飛行家で後に熱心なナチュラリストになったC・リンドバーグは、こんな言葉を残している。彼の神を大自然と置き換えたら、私の日頃の感想になる。
「我々は自分自身を知るために大地を感じ取り、その(自分自身の)価値を認識しなければなければならない。神は生命を分かりやすいものとして創った。それを複雑にしているのは人間である。」
Man must feel the earth to know himself and recognize his values... God made life simple. It is man who complicates it.
ところで、私はたいがいの自然現象とは友達になれるが、カミナリ君とだけはなかなか仲良くなれない。家や車の中にいればどういうことはないのだが、海上や山中や空中でこれに遭遇すると一目散に逃げ出したくなる。
子供の頃はこんなではなかったはずなのだが・・・そう言えば、幼い頃、「目の前を歩いている人の傘をカミナリが直撃して悲惨なことになった・・・」というような話を母から聞いた覚えがある。しかし、目前の人物に落雷すれば、当然、近くの人物にも相当の被害が出るはずで、その母はなんともなかったのだから、ちょっと膨らませた話だろうと思う。
15年ほど前、真夏のパラグライダー飛行中に、私好みの積雲に突入し、雲中飛行で気持ち良く高度を稼いでいたら、それが雄大積雲から積乱雲つまりカミナリ雲に変化して、予定外の3000mまで上昇してしまった状況は、今も鮮明に覚えている。
結果的には、これでクロスカントリー飛行の距離を伸ばし、五十崎町の神南山から重信町近くまで飛んだわけだが、山中にランディングして半時の後、案の定、激しい雷雨になった。このきわどいフライトについては、ちょっと貴重な体験の一つなので、またいつか詳しく書くつもりだ。
さて、今日の塩屋海岸は西北西の強風がアベレージで10m程度。トップブローは15mを超えていただろう。風はいつも一様に吹くわけではない。人間の呼吸と似て、その日その時のコンディションによって、強弱を含めたさまざまな調子を持つ。「平均風速」というのは、気象庁の場合、定時前10分間の風速変化を延べたもので、瞬間最大風速は、これのおよそ1、5倍~2倍に至ると考えて良い。
しばらく風に吹かれてなかったS君はやる気満々で、「今日は吹き飛ばされてみたいなー!」などと言う。「よし!塩屋なら、それもよかろう!」・・・ということで、少なくとも地上練習では安心して使えるバイロン6㎡で1時間半ほど。私も10㎡を上げてはみたが、何もできそうもないのですぐに撤収。なんにしても、心地良い午後の一時だった。
やっぱり、一杯やって良い気分でものを書こうとするとロクなことはない。さきほど、今日の出来事について少々長めの記事を書いている途中で、余計なキーを押したらしい。一発できれいサッパリ消えてしまった。
また同じことを繰り返す根気はないので、今日の塩屋はまず最高の部類に入るコンディションだったということ。ウィンド時代からの友人のK君ほかお二人が昼休みに来たこと。彼が、加藤周一の本を読んでくれていて、ありがたいと思ったこと。
アイフォン5の回線速度がとんでもなく速くなっていて、少々驚いたということ。F君から届いた速度計測アプリの回転計がクールで、あちこちで使ってみたということ。
これだけで終わりにする。
今日の塩屋海岸には、安定した腰の強い西寄りの風が入っていた。火曜日以来5日ぶりの順風だ。私の海通いは、多くの愛好家が楽しんでいる散歩やジョギングと同じで、午後の日課になっている。3日も海風を吸わないと、なんだか身体や頭の中に良からぬガスが溜まったような気分になる。
もう何年も前から、午前中は頭を使い、午後は身体を使い、夜はできるだけ何も使わないでボケーとすることを、生活パターンにしたいと計画し、それなりに実践してはいるが、もちろん計画通りにいかないことがあるのは、いい加減な人間の宿命として仕方のないことである。
昼過ぎに到着した時点で6~7m。私のラムエア19㎡でちょうど良い風だ。若干南西よりから寄せ来る波の様子では、上がっても8m余りだろうから、10mまでは何とか使える19㎡の許容範囲だが15㎡でも充分走れる。私は大体ゆったり跳びたい時は大きいサイズを、少しクイックな回転技やトランジション(方向転換)をしたい時は小さいサイズを選択する。
私の風読みの仕方が、ウィンド・サーフィンの時代と違うのは、海面をなめるように吹き渡る風の強弱によって、色の濃淡や波高・波質を変える海面の様子だけでなく、上空の雲の様子や、頬をなでる時々の風の質の変化にも注意を向けるようになった、ということだ。
これは長い空の生活で身に付いた習慣で、カイトサーフィンでは、人間はほとんど海の上を走ってはいるが、カイトウィングは飛行翼として空中を走っている。半ば以上はスカイスポーツの一分なのだ。
この海岸にまともな西寄りの風が入ると、時によってはヘッドに近い波が入る。いくらか遠浅になっているので、沖ではそこそこの波長を持ったスウェル(うねり)が入り、海岸近くではきれいな巻き波を何層か形作って、ちょっとした波乗り気分になれる。この辺りでは貴重な浜だ。
前回は、風こそ不安定だったが、少し沖のうねりはショルダー程度はあり、このエリアでは久しぶりのウェイブ・ライディング(みたいなもの)を味わった。今日はちょっと速めの順潮(風向と潮流が逆で、風上に向かって上りやすくなる)だったので、小さな波は尖り気味の潮波に変じて、あんまり面白いものではなかった。
しかし、徐々に西に傾いて行く太陽を反射する海面で千変万化する波の様子を観察しながら滑走したり、適当な波頭を見つけてジャンプや回転を繰り返したりしながら、私はある想いに浸っていた。私の場合、しばしば起こる、ほとんど日常的な出来事である。
「これらの風も波も空も光も、そして、こうやって、その中で動き、感じ、考えている自分という存在も、全てが確実に連続しながら繋がっている、一つの壮大で同時に繊細な世界の出来事である・・・」というようなことだ。
まあ、当たり前といえば当たり前のことなのだが、この感覚を、人間社会の日常で味わうことはそう簡単なことではないかもしれない。
ずっとインドア志向の青年だったS君が、海の広大な優しさや、風の力用《りきゆう》に目覚めて2ヶ月が経過しようとしている。カイトの練習もすでに15回を超えて、機材の取り扱いにもだいぶ慣れてきたようだ。優しい風の晴天日には、一人でイソイソと近くの浜まで出かけるようになった。もうじき板を履いて、海上でそれなりの走りをするようになるだろう。
もちろん海の上を走るだけがカイトの世界ではない。空の世界に習って私が「グラハン」と呼ぶ地上練習は、地上や雪上で行うランド・カイトの類と考えていいだろう。これはこれで、充分に楽しく奥も深いことは、これまでの練習生や彼の様子を見ていると良く分かるし、私自身も日常的に味わっていることだ。
頭上10mほどの風をとらえたカイトウィングは、上下左右、極めて広い範囲で運動しながら大小のエネルギーを様々な方向に向けて発生する。
そして、その豊かなエネルギーは、ハーネスの中心フックを通して、ほぼ人の重心にあるヘソ近辺に集まることで、ひとたび体内に取り込まれ、グラハンなら脚に伝わって、サンド・スライディングやちょとしたジャンプに姿を変える。
そのまま海に入れば、サーフィンの一類にボディー・サーフィンがあるように、ボディー・ドラッグという一つのスポーツや遊びになり、板(ボード)を履けば、なじみのカイトサーフィンになる・・・等ということだけのことである。
これも空気の動き、つまり風を利用するナチュラル・スポーツの仲間であることは間違いないが、カイトスポーツが他の多くの風読みスポーツと大きく異なるところは、とりあえず思いつくだけでも、次の三点ほどあるように思う。
①その動力源が、作用部分(身体)からはるか20mも離れたところにあり、しかも、大きく三次元空間で動き回るということ。
②その動き方によって多様に変化する動力の作用点が、身体の一点に集中すること。
③その動力が、身に付けた道具(カイトボードやスノーボードやスキーなど)に直接伝わらないということ。
これら極めて大きな自由度を含む特性が、具体的にどういう影響を人間の身体や心に与えことになるか・・・最近の私の関心は、この辺りにあって、その視程は、風の本体である空気の性質や、空気の動きを生み出す地球の動きから、それを大きく包み込む大宇宙の世界にまで及ぼうとしている。これはコトの必然の流れだと思う。
アイルランド僻地の一軒屋や小さなヨットの中で風に吹かれながら、あの大作『風の博物誌』を書いたライアル・ワトソンは、風を、その常識的定義である「空気の運動」に止まることなく、「風とは生命である」と見極めた上で、彼にとって可能な限りの、実に多岐にして広範な科学的解説を試みた。そして、それで充分だとは、もちろん思っていなかったにちがいない。変転、代謝して止まない生命活動の全体像を、合理的に分析し法則化し完全に再現することなど、到底不可能なことだからである。
しかし現実に、そこに風は存在し、その本質は生命に似て、人間の生命の内側に吹き込みながら、活力や喜びや勇気を与え続ける。やはり、私の風の世界に対するアプローチの方法は、論理と直感、形而下と形而上の領域の交わるところ辺りにあるのかもしれない。
15日だったか、いつものごとく堀江海岸で少し走って浜に上がり、ランディング(カイトを地上に降ろすこと)の準備に周囲を見回していたら、風下側50m辺りに2人の青年がいた。
仲間のサーフタイプ・ボードのそばで何か楽しげにしている。再び、こないだの宇宙人サーファーみたいな人が、このスポーツに興味を持ったのかなぁ・・・などと思いながら、とりあえず私のカイト・リーシュが開放されたら、その延長線上に位置することになる彼らの動きに注意していた。
すぐに2人は私の存在を認めて、ニコニコしながら近づいてきた。途中で中国語らしい会話が耳に届いた。「ああ、中国から仕事か観光にでも来て、この美しい海岸に立ち寄ったのだろう・・・」
歳のころなら25前後か・・・一人がデジカメを私に向けながら何も語ることなく、一緒に写真を撮らせてくれというジェスチャーをした。二人とも、「高校を卒業して、昨日、田舎から東京に出てきました」という風な、実に純朴な性格が見て取れたので、私はいくらか好感を持った。
一人が私と肩を組み一人が写真を撮る。その撮影係で体格の良い方が、幾らか強めの風で頭上安定しているカイトのコントロールバーを無造作に触ろうとする。それはダメダメ^^;
その後そのままの体勢で、私の知る数少ない中国語「我は君を愛す」を変成した「我愛中国」(ウォー・アイ・チュウゴク)などといういい加減なことを言ってみたら、一応通じたようだった。背の低い方の青年は、わずかな日本語が分かるらしい。
片づけが終わって一服した後も、まだ二人は石組み突堤に腰を下ろして、楽しそうにお話しながら寛(くつろ)いでいる。
先日来、竹島や尖閣の問題が私の頭の一部で動き続けている。私は台湾には長い付き合いの友人がいるが、中国大陸にはいない。この際だから、この近くて遠い大国からやって来た青年たちと、もう少し交流しておこうと考えた。
デジカメとメモ帳を持って、今度は私の方から近づき、写真を一枚。ことのついでに、彼らが松山で何をしているか、どれくらいの滞在予定か等々、しばらくの間、お話というか筆談というか・・・をした。
この筆談の有効なことは、すでに台湾で実証済みである。実に幸いなことに、日本の言語には、少なくとも4種類の表記方法がある。歴史的に並べると、漢字、カタカナ、ひらがな、ローマ字である。
現在の中国は、漢や呉の時代の漢字を多少簡素化したものを使っているが、私たちが学校で習った常用漢字の多くを、彼らも理解することができる。
私に言わせれば実に浅薄な考えだが、明治初期にも終戦直後にも、高名な学者たちから大真面目に「日本語・ローマ字化論」というのが出て、これほど豊かな表現力を持ち続けてきた漢字やひらがなの文化が消え去りそうになったことがある。
ともかく、彼らの数少ない日本語やそれ以上に少ない私の中国語、その他はボディーランゲージと以心伝心を使って、二人の名前が張さんとシンさんで、遼寧省・西安市の出身であり、西安と松山はほぼ同規模の地方都市であること。
また二人とも松山に数件ある中国料理店で働いていて、一人はすでに3年の滞在になり9年間は日本にいることになるだろうということ。その店のオーナーは日本人で、マネージャーは中国人であること。私がその店に行けば必ず何らかの付加的サービスがあるであろうこと。二人の部屋にはパソコンがありインターネットやメールが使えること・・・などが分かった。
私の紹介も少しはしたけれど、どれほど通じたかは分からない。それでも、張さんとはメールアドレスの交換をして、縁があればたぶんこれから、メール交換をすることになるだろう。
問題は、文字の何語を使うかで、私が日頃重宝している共通言語の英語が使えず、彼らに日本語習得の意思がないとすると、とりあえず、私が中国語を使うしかないことになる。
最近はWEB翻訳の技術がかなり進歩している。当面、これを利用してメールしてみようかと考えているが、こんなんで本当に意味が通じるのであろうか・・・?
「?好看?的一天,我很高?能??好。我会看到?,如果?有一个机会。?我的店在不久的将来停止。?候服?。此外。」
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