内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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今朝の室温14℃・・・いよいよ冬が近い。
昨日の午後は、この季節、寒冷前線に付きものカミナリが轟音を響かせていた。近くの小学校のちょうど下校時刻。でかいのが一発落ちるごとに、女の子たちは「キャー!」と叫びながらどこか楽しげだ。ちょっと嬉しかったのは、男の子たちの反応で、あれだけ激しい雷鳴の中「か~みなり~か~みなり~もっともっとおちろ~!」とか、ワイワイ歌いながら我が家の横を行進していった。
どんな大人も子供から始まる。そして子供たちの内部には、太古の時代から流れ続ける「原始感覚」のようなものが色濃く残っているのに違いない。それが現代文明や大人社会への適応の過程で、徐々に萎縮し生命の深い部分に沈潜される。
このプロセスを世間の常識では「社会的適応」などと呼んで、当然のごとく奨励し、育児・教育の主要目的にしたりする。しかし、もし、その適応すべき「文明や社会」が、人間本来の幸福という視座から見たとき、大きな歪みひずみを抱えているものだったら、コトの経過や結果はどうなるだろうか・・・?
まあ、この辺りの私の観察は、また気が向いたときにゆっくり書く。コトの次第は複雑だが、結論はいたって簡単。20世紀を代表する飛行家で後に熱心なナチュラリストになったC・リンドバーグは、こんな言葉を残している。彼の神を大自然と置き換えたら、私の日頃の感想になる。
「我々は自分自身を知るために大地を感じ取り、その(自分自身の)価値を認識しなければなければならない。神は生命を分かりやすいものとして創った。それを複雑にしているのは人間である。」
Man must feel the earth to know himself and recognize his values... God made life simple. It is man who complicates it.
ところで、私はたいがいの自然現象とは友達になれるが、カミナリ君とだけはなかなか仲良くなれない。家や車の中にいればどういうことはないのだが、海上や山中や空中でこれに遭遇すると一目散に逃げ出したくなる。
子供の頃はこんなではなかったはずなのだが・・・そう言えば、幼い頃、「目の前を歩いている人の傘をカミナリが直撃して悲惨なことになった・・・」というような話を母から聞いた覚えがある。しかし、目前の人物に落雷すれば、当然、近くの人物にも相当の被害が出るはずで、その母はなんともなかったのだから、ちょっと膨らませた話だろうと思う。
15年ほど前、真夏のパラグライダー飛行中に、私好みの積雲に突入し、雲中飛行で気持ち良く高度を稼いでいたら、それが雄大積雲から積乱雲つまりカミナリ雲に変化して、予定外の3000mまで上昇してしまった状況は、今も鮮明に覚えている。
結果的には、これでクロスカントリー飛行の距離を伸ばし、五十崎町の神南山から重信町近くまで飛んだわけだが、山中にランディングして半時の後、案の定、激しい雷雨になった。このきわどいフライトについては、ちょっと貴重な体験の一つなので、またいつか詳しく書くつもりだ。
さて、今日の塩屋海岸は西北西の強風がアベレージで10m程度。トップブローは15mを超えていただろう。風はいつも一様に吹くわけではない。人間の呼吸と似て、その日その時のコンディションによって、強弱を含めたさまざまな調子を持つ。「平均風速」というのは、気象庁の場合、定時前10分間の風速変化を延べたもので、瞬間最大風速は、これのおよそ1、5倍~2倍に至ると考えて良い。
しばらく風に吹かれてなかったS君はやる気満々で、「今日は吹き飛ばされてみたいなー!」などと言う。「よし!塩屋なら、それもよかろう!」・・・ということで、少なくとも地上練習では安心して使えるバイロン6㎡で1時間半ほど。私も10㎡を上げてはみたが、何もできそうもないのですぐに撤収。なんにしても、心地良い午後の一時だった。
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