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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   
カテゴリー「その他」の記事一覧

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ブログの引越し

寛太郎のカイト日誌は、以下「風にまかせて」に引越ししました。今後ともよろしくお願い致します。 寛太郎

http://wind.ap.teacup.com/kantaronatural/



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ブログの統合

私のブログ歴はほぼ10年前、2003年の12月に始まる。 Teacupというブログサービスで数年間、やはり日々の思い付きを書き連ね、その後ちょっとの間Mixiを使い、2010年の秋からこの忍者ブログのお世話になっているわけだ。

このブログは文字のレイアウトや使い勝手が私の感性に合っていて、かなり気に入っているのだが、ただ一つの難点は、多くのブログサービスにある製本機能がないことだ。

これまでの自費出版はかなりの費用がかかってそう簡単にではなかったのだが、製本サービスを使うと、とりあえず一冊単位で活字本を作ることができる。さらに出版社から一般書籍として本を出す際にも、企画の一助として大いに役に立つだろう。

実は、Teacupのブログ「風に吹かれて」の「PPG入門」は書籍化したことがあり、記事の中に「希望される方には実費でお分けします」と記したら、過去何人かの方々から申し込みがあった。
 

ところが、しばらくこのブログを離れている間、メッセージ通知機能がなぜか働かず、申し込みから1年以上経って返信したものの時すでに遅し・・・連絡が取れなくなっていて、大変申し訳ない思いをしたことがある。そしてこないだ、再び新しい申し込みのメッセージが届いた。当たり前のこと、一度書いたものは何年経っても残るのである。

やはり、私のようないい加減でズボラな人間は、一度に多くのことはできないらしい・・・ということで、去年からブログの統一(一本化)を試みることにした。

まだ全ての記事が移行できたわけではないが、こちら記事については全てLivedoorのブログサービスに「風にまかせて」とブログ名を改めて移行してある。当面はバックアップの用もなすので、こちらとあちらの両方を並行的に進めることになるだろう。昔の記事に興味のある方は、あちらもちょっと覗いて頂きたい。

入院

年初来から続いていた腹の不具合、つまり下痢気味は、さして大きくは気に留めていなかった。厳寒の季節でもあるし、今年は特に、真冬の冷風と冷水が腹を冷やしすぎたのだろう・・・また春が来て暖かくなれば自然に収まるにちがいない・・などと気楽に考えていた。

ところが、1月が2月になり、梅香る3月が去り、桜散る4月を迎えても一向に快方に向かわないだけでなく、そのうちピロリ菌の除去以来、壮健この上なくなっていた胃まで痛くなってきた。これはちょっと尋常ではない。

まず、ピロリ菌の再発を疑った。2つの内科で2度の胃カメラ検査や血液検査を行い、これはまったく問題なし。結局、胃炎気味でもあることから、過敏性胃腸症候群という診断を頂いた。

1305病室2-s

しかし、処方された幾つかの薬は、一向に効いている様子がない。そのうち、安眠できなくなってきた。たまに海に出かけても、元気が出ないだけでなく、あの爽快感がない。これはさらに尋常ではない。

ついに5月13日、入院治療を受けることにした。特に熱が出たり、じっと寝てないといけない種類の病気でもないから、3週間足らずの入院生活は退屈極まりないものだったのだが、美人U女医の診断と処方は見事なもので、1週間もしないうちに、あれほど長引いていた下痢はピタリと止まり、胃痛も不眠もきれいに収まった。ただ、先週土曜日に退院してまだ1週間もたっていないし、投薬治療はしばらく続けることになる。

私もそれなりの年齢になったらしい。これまで、生来の元気に頼って、健康に関しては余りに無頓着だったのかもしれない。今回は深く反省の機会になった。体調不良を感じたら早めに対処することだ。

或る婦人への一筆

拝啓、

今朝はまた、無邪気なスズメの声を聴きながら、言い得たるかな、文は言を尽くさず、言は意を尽くさず、意は心を尽くさず。されば人の心の何処(いずこ)にありや・・・の趣であります。GOPR0895-s.jpg

また、我が知恵寡薄にして、時に禽獣草木に劣るを知る。知解の基(もとい)は分別に在り、天地自然の営みは和合一体の相を常として、人為稚拙の分断差別を容れざる故と観えり。また、草の枕の名言の至るところ、少分ながら心得たる身にして、人の世の稀なる縁(えにし)を貴とも感じ煩とも応ず・・・という次第でもあります。

しかして、仰せのごとく、まことに奇にして妙なる「今」の時を、事に於いて中途、人に於いて半端なる徒輩の戯言などに徒労することなく、長く短き今生の旅を真に遊楽せんことを、自らに諭し他にも願う、これ我が祈願の所以一端と成すところであります。

敬具

 

ツイッターの利用法

私の読書の半分以上が、ipadやキンドルなどの電子書籍になった・・・ということはどこかに書いたような気がする。121122k-s.jpg

従来の書物の魅力はもちろん捨てがたいもので、今後も紙の本が無くなることはないだろうし、断じて無くなるべきではないと私は思っている。しかし、デジタル本に慣れると、この軽便性や機動性や汎用性もまた捨てがたいものになる。

キンドルなどは、ちょっと大き目の手帳サイズだ。この中に1000冊ほどの本がまるまる入ってしまう。1000冊というと、紙本なら、大き目の本棚を数個設置しても足りないくらいの空間を必要とする。

最近、この電子読書ディバイスの機能に、「シェアする」というのがあって、書中の気に入った文句や気になる箇所をタップして選択すると、ツイッターやフェイスブックに簡単に送れることを知った。これは極めてありがたいこだ。私流のツイッターの使い方がやっと分かったような気がする。

これまでの紙本では、まず赤ペンや蛍光ペンで線を入れて、必要ならメモを取る、という作業をしていたわけだが、これらの手間がまさにワンタッチで完了する。後は、ツイッターの画面からコピーしてエディタに移し、たちまち翻訳や作文などの作業を始めることが出来る。

こうやって、あえて公開するようなものでもないが、長年、私が楽しんでいる翻訳修行の結果も、このブログ・サーバーの中に保存していくことにした。すべては私のかなりいい加減な拙訳である。

もし、これらが目に留まって、「その訳はちょっとおかしいんじゃない?」・・・などと意見下さる奇特な方がいたら、これも又ありがたいことである。

無料が通って道理が引っ込む前に

一昨日だったか、石原都知事が突然の辞任会見を行った。40数分に渡って、彼らしい饒舌で、次期衆院選への出馬や新党結成の意気込みや、憲法改正への情熱や国家の中央官僚批判などを語っていたが、私はその全てを聞いたわけではない。

彼が、この4期13年余りの間に、例えばジーゼル車の排ガス規制条例や東京国際マラソンの開催などで、首都東京の活性化に尽くしたことは、多くの支持者が認める通りだろう。また、その「活性化」の恩恵に浴すること少ない多くの都民がいることも事実だろう。

彼がまた、尖閣諸島の都有化に情熱を注ぎ、結果的にそれが国有化されることによって、多くの都民や国民が、我が国の利益につながると考えていることも事実だろう。

更に、彼が少なくとも都民の多数派の支持によって、その地位を与えられ続けたということ、もしも今期の任期を満了して5期目の都知事選があったとしても、おそらく当選するだろうという推測も、かなりの蓋然性をもって成り立つだろう。

彼の弁舌は実に歯切れの良いもので、マスコミ各社との質疑応答の姿勢の中にも、私は一種の爽やかささえ覚えた。しかし、私が視聴した範囲で、ちょっと気になり、けっして聞き逃すことができず、全く賛同できない発言もあった。

ちょっと気になったのは、最後の「お国のために最後のご奉公をさせていただく」という言葉で、そこには「国民のため」はもちろん、「世界の人々のため」などという表現がなかったこと。

そして、聞き逃すことができず、全く賛同できないのは、憲法改正に触れた部分。彼はおよそ「今の憲法は、占領軍に押し付けられた、醜いものである・・・」というようなことをハッキリと語っていた。

彼の改憲姿勢は今に始まったことではないから、改めて驚くこともない。だが、日本国憲法の条項が「押し付け」であり「醜いもの」であり、したがって改正すべきものであると観る根拠は、彼の場合どこにあるのだろう。

私は日本の一国民として、日本国憲法を押し付けられたとも、醜悪だとも、読んで分かりにくいと思ったこともない。こんなに簡潔な日本語も少ないだろうとさえ思う。(※)

もっとも、国家統治の側に立ち権力を有する人たち、つまり、立法・司法・行政などを担当する公務員は、これを「尊重し擁護する義務(99条)」を負っていることから、石原氏を含む彼らがその義務を「押し付けられている」と感じても何も不思議ではない。

憲法の第一義は、公的権力を持たない国民(統治される側)が、それを持つ国民(統治する側)に対して「押し付ける」種類のものであることは、少しでも憲法を知る者の常識であり、全世界を通して近代的立憲国家の常識でもある。

彼が言いたいのは、もちろん「第9条の平和条項」がアメリカの占領軍によって、日本国民全体に押し付けられたもので、日本人が自ら考え作り出したものではない、ということは明らかだ。

それは、彼が、少なくとも平和条項を素直に読んでないこと、明治以降の憲法史に疎(うと)いこと、当時まさに現行憲法の草案作成の現場にいた、首相「幣原喜重郎」の『外交五十年』も、占領軍総司令官「マッカーサー」の『回顧録』も、まともに読んでないこと・・・なとも明らにしているだろう。

憲法によって国家は作られている。国民は国家の存在に無関心でいることはできるかもしれないが、国家は決して、国民を無関心の対象としない。つまり、たえず干渉し、時に強制し、服従を強いることもある。

だから、興味がある人も無い人も、たまには実に簡潔な日本国憲法を読んでみることを、多くの憲法愛好家の方々同様、私もお勧めする。また、さらに趣が至れば、少しでもその「成立過程」に興味を持ってもらいたいと思う。

また再び、多数の無理が通って、少数の道理が引っ込む時代が来る前に・・・。

宇宙人 5

かくして、宇宙人やUFOの問題に少なからぬ興味持った高校時代から今日まで、時々の状況や気分にまかせて、大空のどこかに現れるかもしれない「説明困難な飛行物体」に注意を向けてきたのであるが、この一回を超える出来事は起こらなかった。

しかし、これが「ET(地球外“知的”生命体)」や彼らの乗り物が存在せず、地球を訪問したこともない、ということを意味しないことは言うまでもない。

私はエジプトの砂漠もピラミッドも見たことはないが、そこには広大な砂の広がりや緑のオアシスがあるだろうし、大小さまざまな石組み四角錐やスフィンクスも鎮座しているだろう。私の検証の試みは、実にわずかなものであり、それなりの結果しかもたらさなかった、というに過ぎない。したがって、この件については未だ「審議未了」であり「興味継続中」である。

こんな浮世離れした事々に想いを巡らせながら、私は二冊の本を書棚から引っ張り出していた。中央アート社から出ている『新アダムスキー全集』の第一巻と、アメリカのアダムスキー財団からアマゾン経由で購入した"Inside The Spaceships"だ、両巻の内容は対応している。adamski.JPG

外部世界の大空に、真偽判断の材料を見つけることが困難なら、筆者が書いた本の内部世界、つまり「言葉の使い方」の中に、何か新しい発見があるかもしれないと思ったからである。その読み方は40年前とは大きく異なり、相当に慎重かつ批判的なものになるのは当然だろう。

はるかに優れた多くの読書家に比べれば、私の本の読み方などは「寡(か)にして雑(ざつ)」に過ぎないが、年月の経過は、この種の英文をほとんど難なく読むことを可能にしてもいた。

そして、私の「読み」がどの程度、正鵠(せいこく)を得ているかは別として、書かれた内容の論理性や、文脈の展開や、語句の選び方などによって、文字の裏側にあるもの(筆者の性格や意図や傾向性など)に、ある程度の推察は及ぶ。「文は人なり」。加藤周一の表現を借りれば「文章にあらわれた概念的秩序は、世界に対する特定の態度を反映し、その特定の態度は、また特定の人格を前提とする」のである。

アダムスキが誠実な人格なら彼の文章もそれを表し、彼の世界に対する特定の態度も、概念的秩序として感じ取ることができるだろう。そして、誠実な人格が常に正確な事実を述べるとは限らないにしても、作為的な虚偽を語ることはないだろう。

 

宇宙人 4

それは或る秋の晴天の夕空で起こった。私は当時、川崎市の多摩区という南北に長い地域の北部に位置する「菅」という地域の、田中荘というボロアパートに住んでいた。

単車で南に10分かそこらに登戸駅があり、その近くでは2歳年上のS大学生Mさんが下宿生活をしていた。彼は信州上田市出身の苦学生で、その人柄の誠実なことこの上なく、私はいろいろと世話になったのだが、その一つに自炊の仕方があった。

彼は長いコックのバイト経験から料理に長け、不精でほとんど外食に頼っていた私に、旨い米の炊き方やニラレバ炒めの作り方などを伝授した。ある冬休みなどは、単車の二人乗りで上田市まで帰郷し、私はそこで初めて「馬刺し」なるものを食した。それはご両親の質素な暮らしぶりから察しても、日常の食卓に上るほど安価でありふれた食材ではなかったはずだ。

彼とはもともと学外活動で知り合ったのだが、2年後には神奈川県の小学校の事務の職を得て忙しくなり、その後間もなく、私は愛媛県松山市の団体の職員になったから、彼との付き合いは比較的短いものだった。しかし私の8年間の学生時代を通して彼ほど心を許した友人も少ない。二人はその間、ほとんど隔日程度の頻度で会いながら様々な話をしていた。

前置きが長くなった。私の一度限りの「未確認飛行物体」の目撃は、その彼をいつものごとく単車の後部席に乗せて、私のアパートに向かっている時に起こったから、彼も同様の体験をしていたのである。

秋の夕日は美しい。西の空は薄い茜色に染まり、ひときわ明るい宵の明星が西に落ちる太陽の少し上空で輝いていた。私はしばし単車を止めて二人で夕空見物をすることにした。

「今日の金星は格別明るくてきれいだね~」・・・などと話しながら、その光点や、背後遠くに見える丹沢山系、富士の裾野の色合いの静かな変化などを味わっていた。a003ced0.jpeg

やがて「しかし、いつもの金星にしてはちょっと明るすぎるなぁ・・・」二人は同じ感想を持った。たしかに輝度にして3倍以上あるように見えた。そしてしばらくの後(30分程度だったか)、その極めて明るいオレンジ色の光点の異常に気が付いた。

通常、宵の明星は太陽と共に動く、ところがそれは、太陽が西の山陰に姿を隠した後も、最初の位置にずっと留まったままで全く動かないのである。ということは、少なくとも金星ではないということになる。それでは一体、これは何だ?

「ひょっとしたら、これがUFOというものかもしれんぞ!写真を撮っておくべきだな!」・・・その光点から決して目を離さないよう彼に指示して、私は大急ぎでアパートまで走り、コダックのインスタントカメラを持って現場に復帰した。その間10分もかからなかったと思う。

しかし、その時すでに、その光点は無かった。状況を聞くと、「数分後に、突然、パッと消えた」ということだった。私たちはしばらくその場を離れることなく、夕暮れ迫った西空を注意深く観察したが、それ以上のことは何も起こらなかった。

これが一体何だったのか・・・幾つかの可能性はあるが、未だに納得できる説明も明確な解答も得ていない。それから10年ほどが経過して、私は空を飛ぶようになり、更に高い位置から広い視野で大空を観察できるようになった。しかし、今日まで一度もこのような説明困難な物体に出会ったことはない。

 

宇宙人 3

ある観点から見ると、この人間世界にはどうも二種類のタイプがあるように見える。一つはモノゴトの真偽よりも自己の利害に重きを置く人たち、一つは自己の利害よりもモノゴトの真偽を優先する人たち。

たいがいの人間は、この真偽と利害を程よく調和させながらら、時に協調し時に衝突し、喜んだり悲しんだり怒ったりしながら、周囲の社会との適応生活を営んでいる。

ノンフィクション(実話)が成立するには、まずその元となる「事実」が存在しなければならない。事実は常に真偽の判断の領域と関係が深く、利害の巷(ちまた)とは縁が薄い。

そして、自己の利害に重きを置く人たちは、そもそも、或る「実話」が真であるか偽であるか、などということに大きな関心を持たない。まあ、自己の利益になればどちらでも関係ない・・・ということになるのは当然だろう。

このアダムスキが書いた奇妙な書物だけではなく、多くの「事実かもしれないし、そうではないかもしれない」種類の物語に影響された人々の反応や対応も、この観点から観察すると、その実態がよく見えるようである。

1970年当時、17歳の少年は、どんな利害にも関係していなかったから、その実話が真実か、真実ならばどんな事実に基づいているかだけに関心があったし、その後の40年間も、この分野の利害関係とは遠いところで生きてきたから、基本的な姿勢は同じである。

そしてとりあえず、この「とてつもない物語」が事実であるかどうかを検証してみようと思い、その検証方法は、自分自身で、彼の言う「空飛ぶ円盤」を目撃することから始めるしかないだろうと考えた。その後の数年間、私の大空を見る時間が増えたのはいうまでもない。

その結果は、たった「一回の目撃体験」以外に何もないし、その内容も、それほどドラマチックなものでもないが、次回少し触れることにする。

(つづく)

宇宙人 2

宇宙人といえば、ジョージ・アダムスキの『空飛ぶ円盤同乗記』に触れておかないわけにはいかない。この「驚くべき本」に出合ったのは、私が高校2年の下校時、いきつけの古本屋の一角だった。「一日一冊読書」の修行を続けていた頃だ。
 
空飛ぶ円盤?・・・同乗記?・・・表題につられて何気なく手に取った古びた文庫本は100円ぐらいだったと思う。1970年の当時は、60年代に始まる「UFOブーム」の興隆期みたいな時期で、そのブームの火付け役ともなったのが、この本であり、翻訳者はたしか鳥取の高校教師、久保田八郎だった。4f3442cb.jpeg
 
彼は、アダムスキが初めて金星人に会ったとされる50年代初期からアダムスキと文通交流を続け、その後も多くの翻訳本を残している。やがて、たしか"Get Acquainted with People" (人々に“真実”を知らせる)のイニシャルをとった「GAP」という団体を日本にも創り、一時は二千人もの会員がいたらしい。1999年に75歳で亡くなるまで続く、彼の講演や多くの翻訳書や機関紙に、深く影響を受けた日本人も少なからずいたにちがいない。
 
当時、私が読んだのは、この他に『空飛ぶ円盤実見記』だけだったと記憶するが、ともかくその内容が、一般的な科学的常識からすると、途方もないものだった。アダムスキの言では、彼はアメリカのモハベ砂漠で、現実のの金星人に会っただけでなく、やがて彼らの小型円盤や母船に乗って金星まで行き、その住人からも多くの“具体的な話”を聞き、それを多くの人々に語り書き、多くの写真や宣誓書付きの証言と共に、「事実の記録」として残しているのである。単なるフィクションとして読んでも、面白くないわけがない本を、私はまさにノンフィクション(実話)として読んで、じゅうぶん過ぎるほど興奮した。
 
この一冊の奇妙な本との出会いは、江戸末期の日本が近代西欧との遭遇によって国家として「相対化」されたことに似て、私にとってはひとっ飛びに、自分の生きている地球という世界を「相対化」する方法(哲学)が、現実に存在するかもしれない・・・ということを示唆することになった。小さな島を出て今治市という田舎町の高校に通い始め、生まれ育った小島を相対化したばかりで、日本の歴史や文化の多くを、いわんや、他の一国の事情についても、ほとんど何も知らないような段階で・・・である。
 
近頃の日本でのUFO問題を取り巻く状況に、かつてのような盛り上がりはないように見えるが、あの時代からこの時代まで何十年間も、これらの本に書かれてある「事実かもしれないし、そうでないかもしれない物語」の解明や応用に、マジメに取り組んでいる人たちが、かなりの数、存在し続けていることも私は知っている。近在では、宇和島市に、私にはサッパリ理解できなかった『超相対性理論』などを書き、「反重力装置」の研究開発を続ける清家新一がいた。

TV画面で時々見かける、韮崎なんとか氏や、矢追なんとか氏や、あごひげのペテン師面をしたなんとか氏や西条市の自称UFOコンタクティー(彼の自宅には20年ほど前に伺って話を聞いたことがある)などは、マジメなのかオチャラケなのか分からない。単なるホラ吹きなのか、ウソつきなのか、詐欺師なのか、商売の種にしようとしているのか・・・それぞれの動機や事情があるのだろうが、おそらく彼らの誰もが、多かれ少なかれ、アダムスキや訳者の久保田八郎が書き残したものの影響を受けている。

(つづく)
 

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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