内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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かくして、宇宙人やUFOの問題に少なからぬ興味持った高校時代から今日まで、時々の状況や気分にまかせて、大空のどこかに現れるかもしれない「説明困難な飛行物体」に注意を向けてきたのであるが、この一回を超える出来事は起こらなかった。
しかし、これが「ET(地球外“知的”生命体)」や彼らの乗り物が存在せず、地球を訪問したこともない、ということを意味しないことは言うまでもない。
私はエジプトの砂漠もピラミッドも見たことはないが、そこには広大な砂の広がりや緑のオアシスがあるだろうし、大小さまざまな石組み四角錐やスフィンクスも鎮座しているだろう。私の検証の試みは、実にわずかなものであり、それなりの結果しかもたらさなかった、というに過ぎない。したがって、この件については未だ「審議未了」であり「興味継続中」である。
こんな浮世離れした事々に想いを巡らせながら、私は二冊の本を書棚から引っ張り出していた。中央アート社から出ている『新アダムスキー全集』の第一巻と、アメリカのアダムスキー財団からアマゾン経由で購入した"Inside The Spaceships"だ、両巻の内容は対応している。
外部世界の大空に、真偽判断の材料を見つけることが困難なら、筆者が書いた本の内部世界、つまり「言葉の使い方」の中に、何か新しい発見があるかもしれないと思ったからである。その読み方は40年前とは大きく異なり、相当に慎重かつ批判的なものになるのは当然だろう。
はるかに優れた多くの読書家に比べれば、私の本の読み方などは「寡(か)にして雑(ざつ)」に過ぎないが、年月の経過は、この種の英文をほとんど難なく読むことを可能にしてもいた。
そして、私の「読み」がどの程度、正鵠(せいこく)を得ているかは別として、書かれた内容の論理性や、文脈の展開や、語句の選び方などによって、文字の裏側にあるもの(筆者の性格や意図や傾向性など)に、ある程度の推察は及ぶ。「文は人なり」。加藤周一の表現を借りれば「文章にあらわれた概念的秩序は、世界に対する特定の態度を反映し、その特定の態度は、また特定の人格を前提とする」のである。
アダムスキが誠実な人格なら彼の文章もそれを表し、彼の世界に対する特定の態度も、概念的秩序として感じ取ることができるだろう。そして、誠実な人格が常に正確な事実を述べるとは限らないにしても、作為的な虚偽を語ることはないだろう。
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