内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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ある観点から見ると、この人間世界にはどうも二種類のタイプがあるように見える。一つはモノゴトの真偽よりも自己の利害に重きを置く人たち、一つは自己の利害よりもモノゴトの真偽を優先する人たち。
たいがいの人間は、この真偽と利害を程よく調和させながらら、時に協調し時に衝突し、喜んだり悲しんだり怒ったりしながら、周囲の社会との適応生活を営んでいる。
ノンフィクション(実話)が成立するには、まずその元となる「事実」が存在しなければならない。事実は常に真偽の判断の領域と関係が深く、利害の巷(ちまた)とは縁が薄い。
そして、自己の利害に重きを置く人たちは、そもそも、或る「実話」が真であるか偽であるか、などということに大きな関心を持たない。まあ、自己の利益になればどちらでも関係ない・・・ということになるのは当然だろう。
このアダムスキが書いた奇妙な書物だけではなく、多くの「事実かもしれないし、そうではないかもしれない」種類の物語に影響された人々の反応や対応も、この観点から観察すると、その実態がよく見えるようである。
1970年当時、17歳の少年は、どんな利害にも関係していなかったから、その実話が真実か、真実ならばどんな事実に基づいているかだけに関心があったし、その後の40年間も、この分野の利害関係とは遠いところで生きてきたから、基本的な姿勢は同じである。
そしてとりあえず、この「とてつもない物語」が事実であるかどうかを検証してみようと思い、その検証方法は、自分自身で、彼の言う「空飛ぶ円盤」を目撃することから始めるしかないだろうと考えた。その後の数年間、私の大空を見る時間が増えたのはいうまでもない。
その結果は、たった「一回の目撃体験」以外に何もないし、その内容も、それほどドラマチックなものでもないが、次回少し触れることにする。
(つづく)
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