内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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一昨日だったか、石原都知事が突然の辞任会見を行った。40数分に渡って、彼らしい饒舌で、次期衆院選への出馬や新党結成の意気込みや、憲法改正への情熱や国家の中央官僚批判などを語っていたが、私はその全てを聞いたわけではない。
彼が、この4期13年余りの間に、例えばジーゼル車の排ガス規制条例や東京国際マラソンの開催などで、首都東京の活性化に尽くしたことは、多くの支持者が認める通りだろう。また、その「活性化」の恩恵に浴すること少ない多くの都民がいることも事実だろう。
彼がまた、尖閣諸島の都有化に情熱を注ぎ、結果的にそれが国有化されることによって、多くの都民や国民が、我が国の利益につながると考えていることも事実だろう。
更に、彼が少なくとも都民の多数派の支持によって、その地位を与えられ続けたということ、もしも今期の任期を満了して5期目の都知事選があったとしても、おそらく当選するだろうという推測も、かなりの蓋然性をもって成り立つだろう。
彼の弁舌は実に歯切れの良いもので、マスコミ各社との質疑応答の姿勢の中にも、私は一種の爽やかささえ覚えた。しかし、私が視聴した範囲で、ちょっと気になり、けっして聞き逃すことができず、全く賛同できない発言もあった。
ちょっと気になったのは、最後の「お国のために最後のご奉公をさせていただく」という言葉で、そこには「国民のため」はもちろん、「世界の人々のため」などという表現がなかったこと。
そして、聞き逃すことができず、全く賛同できないのは、憲法改正に触れた部分。彼はおよそ「今の憲法は、占領軍に押し付けられた、醜いものである・・・」というようなことをハッキリと語っていた。
彼の改憲姿勢は今に始まったことではないから、改めて驚くこともない。だが、日本国憲法の条項が「押し付け」であり「醜いもの」であり、したがって改正すべきものであると観る根拠は、彼の場合どこにあるのだろう。
私は日本の一国民として、日本国憲法を押し付けられたとも、醜悪だとも、読んで分かりにくいと思ったこともない。こんなに簡潔な日本語も少ないだろうとさえ思う。(※)
もっとも、国家統治の側に立ち権力を有する人たち、つまり、立法・司法・行政などを担当する公務員は、これを「尊重し擁護する義務(99条)」を負っていることから、石原氏を含む彼らがその義務を「押し付けられている」と感じても何も不思議ではない。
憲法の第一義は、公的権力を持たない国民(統治される側)が、それを持つ国民(統治する側)に対して「押し付ける」種類のものであることは、少しでも憲法を知る者の常識であり、全世界を通して近代的立憲国家の常識でもある。
彼が言いたいのは、もちろん「第9条の平和条項」がアメリカの占領軍によって、日本国民全体に押し付けられたもので、日本人が自ら考え作り出したものではない、ということは明らかだ。
それは、彼が、少なくとも平和条項を素直に読んでないこと、明治以降の憲法史に疎(うと)いこと、当時まさに現行憲法の草案作成の現場にいた、首相「幣原喜重郎」の『外交五十年』も、占領軍総司令官「マッカーサー」の『回顧録』も、まともに読んでないこと・・・なとも明らにしているだろう。
憲法によって国家は作られている。国民は国家の存在に無関心でいることはできるかもしれないが、国家は決して、国民を無関心の対象としない。つまり、たえず干渉し、時に強制し、服従を強いることもある。
だから、興味がある人も無い人も、たまには実に簡潔な日本国憲法を読んでみることを、多くの憲法愛好家の方々同様、私もお勧めする。また、さらに趣が至れば、少しでもその「成立過程」に興味を持ってもらいたいと思う。
また再び、多数の無理が通って、少数の道理が引っ込む時代が来る前に・・・。
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