内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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昨秋に続いて今秋もキンモクセイが二度咲きした。再び、あの美しい香りが我が家の周辺を満たしている。セミの抜け殻はまだ頑固にくっ付いている。
しかし、ほとんど日常的なことであるが、こんな身近な樹についても、私は何も知らないに等しいなぁ・・・ということで、少し調べてみた。
すると、これが江戸時代に中国南部から渡来したものだということが分かった。ということは、紫式部も鴨長明も源実朝も、戦国時代の武将や庶民の皆さんもこのすばらしい香りを知らなかった・・・ということになる。
また、元の名を桂花といい、濃いオレンジ色の花はワイン漬けにしたり、花茶にしたり、蜜で煮て香味料になったりすることや、様々な料理にも使われていることが分かった。この強烈ともいえる芳香で、かつては便所の臭い消しとしても植えられていたことなども面白い事実だと思った。
英語名は"fragrant orange-colored olive"「薫り高きオレンジ色のオリーブ」・・・実に分かりやすい命名だ。
実家の昔の玄関にはジンチョウゲが一本植えてあり、この芳香がこれまた強烈で、初春の開花期になると、思春期前後の少年のウキウキした情感を更にかき立てるような働きをしていたように思う。
春のジンチョウゲと秋のキンモクセイは、その「香りの持つ力用」という点で、私にとっては庭木の双璧に位置している。
今年も、米粒ほどの緑の蕾(つぼみ)が目立ち始めた頃から開花の日を楽しみにしていた。すでに樹齢20年を迎え、樹高は5mほどある。
落ち葉などは元より放ったらかしなので、庭の土は一部、腐葉土と化し、これがまた、ミミズやセミの幼虫たちにとっても絶好の住処(すみか)になっている。枝のあちこちには、今夏大いに歌い騒いだクマゼミの抜け殻が、10月になっても落ちることなくそのまま残っていた。
花の命はたいがい短いものだ。10日ほど前だったか、一斉に開花した我が家のキンモクセイも1週間足らずで花を落として、いつもは殺風景な庭の一面がオレンジ色に染まった。もちろん、これも掃除したりはしない。そのままにしておけば、自然に土と同化して、また来年の花の一部に姿を変える。
いくらか気になるのは、この木の下に居をかまえるビーグル犬のパームで、息子と遊ぶことと食べることのみを生きがいとしているような彼が、どんな気持ちで、毎年一定の時期、頭の上から、雪のように降ってくるキンモクセイの花を眺めているのか・・・ということだ。
彼の目線や鼻線にとっては、かなり刺激的で壮大な秋の花見・・・ということになるのではないか、と思ったりもするのだが・・・
中庭のゴールドクレストに野鳩が卵を産んだ。私が喫煙場所にしている部屋の真正面、ベランダから2mも離れていない。
かなり以前から、この大木がたいそう気に入っている鳩が近所に住んでいて、時々ベランダの手すりを不器用に歩きながら、それとなく私の動きに注意していることには気付いていたし、私の方も鳥たちの来訪は大いに嬉しいことなので、「なんも悪いことはしないからいつでも好きなときにおいで」・・・ぐらいの気持ちで放っておいた。
それが、まさかこんな至近距離に質素な巣を構えて子作りをしているとは思ってもいなかった。しかも夫婦の二羽で。
人間の基準でいくと、これがまた、とんでもなく仲が良い。一羽はたぶんメスだろうが、少なくとも日中の大半の時間は卵を抱えているのでかなり痩せている。そこへカタワレがお腹にしっかりと餌を蓄えて帰ってきて、ツバメの親が子ツバメにするあの口移しの要領で、けなげに栄養を与えている。
とりあえず、たった一個の卵が無事に孵《かえ》って、家族がもう一羽増えるのを、そっと観察しながら楽しみにすることにする。
この嘴(くちばし)だけ黄色く目立つ鵜君は、もう一つ見事な技を見せてくれた。螺旋(スパイラル)を描くランディング・アプローチである。
人間の世界では、どんな大型のジェット旅客機も小型のプロペラ機も、各種のマイクロライト機でも、さらに無動力のグライダーやパラグライダーでさえも、着陸の最後のアプローチ(ファイナル・アプローチ)は直線で行う。
アクロバット飛行を好むパラグライダーのパイロットが、たまにスパイラル・ダイブで地面スレスレまで急速に降下して、接地寸前に横向きの揚力を縦に戻しながら無事着陸することはある。これにはかなりの危険が伴い、当然、極めて高度な技量を必要とする。私にはとてもあんな器用なことはできない。しかし、それとても、大きなバネを縦にしたようなマヌーバ(軌跡)で、正確にはネジ状の螺旋スパイラルではない。
ところが多くの鳥たちにとって、スパイラル・アプローチは当たり前の日常的技術だ。今回の鵜君は高度三十メートル辺りから右に旋回をはじめ、正確に旋回半径を縮小しながら五旋回ほどした後、彼が目星を付けておいた水面の或る一点に、ほとんど音もなく着水した。
自然に生きるものたちが、滅多なことでは、まず無理や無駄というものをしないことを、私はよく知っている。彼(彼女かもしれない)が、もっと単純な直線アプローチを採らなかった理由は、朝食の餌に供する小魚の様子を上空から正確に伺《うかが》い、もっとも効率的に必要量の食餌を済ませること・・・そして、それが彼にとって大きな喜びであっただろう・・・ということである。
動物や植物は人間のような言葉は使わない。しかし、それぞれの表現手段を持っていることに疑いの余地はない。ドリトル先生がオームのポリネシアに動物語を習い始めるとき、ポリネシアがまず教えたのが、「彼らは身体の動き全体を言葉にする」ということだった。
私も多くの人のように、少なくとも犬や猫やイルカが、身体だけでなく、その鳴き方や顔の表情で幾つかの感情や意思を現すことを知っているが、それ以外の動物たちも仲間内では、恐らく相当に明白な顔面表現も使っているのではないか・・・と想像している。
人間と他の動物たちの間に本質的な違いはなく、大きく見れば似たような身体器官を持ち、似たようなものを食べ、生きて死ぬことは同じである・・・という事実を、あのB・ラッセルも、かなり厳しかったはずのアメリカ生活時代に、『動物が喋れたら』と題する、彼らしい随想の中で述べている。
興味がある方は以下のリンクからお読み頂きたい。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/ANIMALS.HTM
先の日曜・月曜は徳島で過ごした。いつもの思い付きではあるが、松山周辺は当分風が弱く、昼間は耐え難く暑く、太平洋高気圧がまだまだ元気な天気図をどう見ても、徳島にはあの南寄りの風が入り続けるように思ったからでもある。
今回は日曜日の午前中から出発して、ノンストップで車を走らせたら、どれくらい速く到着するか試してみることにした。結果は約五時間。道中今まで、お店に寄ったり森や川を眺めたりの休み楽しみに、一時間以上使っていたということだ。
小松海岸に三時半に着いた頃には、すでにIさんは12㎡でグラハンに精出していた。南南東から7mほどの順風。昨年の7月に知り合ってから、彼の技術や道具にとっては、初めてのまともな風だった。
もう一年以上が経過したわけだが、これまでご一緒した数回、海上走行には弱すぎたり強すぎたりで、一定角でカイトパワーを維持しながら走り続けるのは難しかったのだ。結果、数レグの三角走行ができるようになったので、この日を「初走行記念日」とした。後は、成功体験のイメージ・トレーニングやら、徹底した楽観主義の話やら、あれこれの思い付き話を暗くなるまで。
この夜はいつもの私的小松海岸には珍しいことに、雨もカミナリもなく、対岸遠くに見える花火大会や、紀伊水道上空を覆うようにまたたく星々を眺めながら、涼しい夜を過ごした。翌日もほぼ同様の風。昼過ぎから4時間近くぶっ続けで自分の走りに没頭した。
最近見つけた吉野川上流域のパラダイスによって、徳島行きの楽しみは二倍になった。ここは愛媛の東のはずれ、徳島の西のはずれに位置している。一服休憩にはもってこいの場所である上に、ダムの上流にあたるから水が実に澄んでいる。
前回、水際の水中に腰を下ろして涼をとっていたら、たぶんアユの稚魚が大勢でやってきて、まるでドクター・フィッシュのごとく、私の脚の甲をツンツンとつつくのである。こんな嬉しい出来事も少ないだろう。
近くにはダイサギの夫婦か恋人たちが住んでいて、夜の暗がりの中で、「ガー、ギャー」とお話をする。「鳥類は夜目がきかない」というのは、一般論としては間違いである。百メートルほどの距離から、下流の一羽が少し控えめにグアーと鳴くと、零点数秒後に上流の一羽が元気にギャーと鳴き、そのやり取りを何回か繰り返しながら、互いの間隔を徐々に詰めていく様子が、暗闇の中でも手に取るように分かった。
早朝には、これも近くに居を構えているにちがいない鵜《う》が一羽やってきて、まことに見事な直線ローパスを見せてくれた。高度は三十センチほどだろう。もちろん羽ばたいているのだが、鏡のような水面がまったく乱れないのである。
地面効果というか水面効果というか・・・航空の世界ではそれなりに高度な理論や技術以上のものを、彼らは自然のままに身に付けているのだ。
(つづく)
今回も今朝の唐突な思いつきで吉野川へやって来た。私は自分のことを相当に理屈っぽい人間の一類だと思うことが多いが、実際の行動はほとんど、その場その時の「感性」に拠っている。
人間の行動は、ある程度の予測や計画に従うのが通常だし、私もたいがいはこの通常に従って生きている。ところが時々、突然不意に或る種の衝動が心の中に湧き出して、それが指し示す方向に私を突き動かすことがある。どういう経緯でこうなったのかはまだよく分からない。
ただ少し思い当たるのは、「風」という目に見えず、簡単にはこちらの都合や論理に従ってはくれない相手との長い間の付き合いが、大きく影響しているのではないか・・・ということだ。
最新コンピューターの計算能力をもってしても、一葉が風に吹かれて落下する地上位置を正確に予測することはできないという。論理や計算に関して、愚鈍な私がコンピューターに勝ることなど一つもあるはずがない。
ところが、それが正確であろうと無かろうと、現実に風の世界に身を置いて、海を走り空を飛ぶためには、可能な限りの気象データを集め、身体に備わったあらゆる感覚器官を使いながら、必要な時点で、行動を開始するための判断を下さなければならない。
その判断は、時に生死を左右することもある。それに内包されながら自分一人で向き合う自然世界では、人間社会では通用するかもしれない、どんな種類の虚飾もウソも誤魔化《ごまか》しも小賢《こざか》しさも通用しない。正直に自分の全てを曝け出すしかない・・・という現実が突きつけられる。そういう時、この生命の極めて深い部分が働き始めるのを感じることがある。
この感覚は説明するのが難しい。それをあえて言葉にすれば「澄み切った直観力」とでも言うべきもので、たぶん、西丸震也はこれに似たものを「原始感覚」と名づけたのだろうし、ここで宮本武蔵を引き合いに出すのは気が引けるが、『五輪の書』の空の巻に出てくる「心の直道」などは、その先にある「何ものか」なのかもしれない。
ともかく、ほとんど何の合理的な裏づけも無く去来する、この私的《わたしてき》「直感」に従うことで、少なくとも自然世界では、対応困難な危険に陥ったり、不愉快な思いをしたことが一度もないだけでなく、大概は何らかの新しい発見があり、楽しい出会いがある。私にとっての不思議現象の一つである。
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