忍者ブログ

寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   
カテゴリー「自然」の記事一覧

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

二度咲き

昨秋に続いて今秋もキンモクセイが二度咲きした。再び、あの美しい香りが我が家の周辺を満たしている。セミの抜け殻はまだ頑固にくっ付いている。IMGP0654-s.jpg

しかし、ほとんど日常的なことであるが、こんな身近な樹についても、私は何も知らないに等しいなぁ・・・ということで、少し調べてみた。

すると、これが江戸時代に中国南部から渡来したものだということが分かった。ということは、紫式部も鴨長明も源実朝も、戦国時代の武将や庶民の皆さんもこのすばらしい香りを知らなかった・・・ということになる。

また、元の名を桂花といい、濃いオレンジ色の花はワイン漬けにしたり、花茶にしたり、蜜で煮て香味料になったりすることや、様々な料理にも使われていることが分かった。この強烈ともいえる芳香で、かつては便所の臭い消しとしても植えられていたことなども面白い事実だと思った。

英語名は"fragrant orange-colored olive"「薫り高きオレンジ色のオリーブ」・・・実に分かりやすい命名だ。

実家の昔の玄関にはジンチョウゲが一本植えてあり、この芳香がこれまた強烈で、初春の開花期になると、思春期前後の少年のウキウキした情感を更にかき立てるような働きをしていたように思う。

春のジンチョウゲと秋のキンモクセイは、その「香りの持つ力用」という点で、私にとっては庭木の双璧に位置している。

PR

キンモクセイ

我が家の小さな庭にはキンモクセイが5本ほど植えてあり、毎年この季節になると、オレンジ色の花を無数につけ、半径50mほどのご近所中に、あの(私にとっては)すばらしく豊かな香りを放つ。

今年も、米粒ほどの緑の蕾(つぼみ)が目立ち始めた頃から開花の日を楽しみにしていた。すでに樹齢20年を迎え、樹高は5mほどある。

落ち葉などは元より放ったらかしなので、庭の土は一部、腐葉土と化し、これがまた、ミミズやセミの幼虫たちにとっても絶好の住処(すみか)になっている。枝のあちこちには、今夏大いに歌い騒いだクマゼミの抜け殻が、10月になっても落ちることなくそのまま残っていた。IMGP0648-s.jpg

花の命はたいがい短いものだ。10日ほど前だったか、一斉に開花した我が家のキンモクセイも1週間足らずで花を落として、いつもは殺風景な庭の一面がオレンジ色に染まった。もちろん、これも掃除したりはしない。そのままにしておけば、自然に土と同化して、また来年の花の一部に姿を変える。

いくらか気になるのは、この木の下に居をかまえるビーグル犬のパームで、息子と遊ぶことと食べることのみを生きがいとしているような彼が、どんな気持ちで、毎年一定の時期、頭の上から、雪のように降ってくるキンモクセイの花を眺めているのか・・・ということだ。

彼の目線や鼻線にとっては、かなり刺激的で壮大な秋の花見・・・ということになるのではないか、と思ったりもするのだが・・・わんわん

鳩の卵

中庭のゴールドクレストに野鳩が卵を産んだ。私が喫煙場所にしている部屋の真正面、ベランダから2mも離れていない。IMGP0565-s.jpg

かなり以前から、この大木がたいそう気に入っている鳩が近所に住んでいて、時々ベランダの手すりを不器用に歩きながら、それとなく私の動きに注意していることには気付いていたし、私の方も鳥たちの来訪は大いに嬉しいことなので、「なんも悪いことはしないからいつでも好きなときにおいで」・・・ぐらいの気持ちで放っておいた。

それが、まさかこんな至近距離に質素な巣を構えて子作りをしているとは思ってもいなかった。しかも夫婦の二羽で。

人間の基準でいくと、これがまた、とんでもなく仲が良い。一羽はたぶんメスだろうが、少なくとも日中の大半の時間は卵を抱えているのでかなり痩せている。そこへカタワレがお腹にしっかりと餌を蓄えて帰ってきて、ツバメの親が子ツバメにするあの口移しの要領で、けなげに栄養を与えている。IMGP0567-s.jpg

とりあえず、たった一個の卵が無事に孵《かえ》って、家族がもう一羽増えるのを、そっと観察しながら楽しみにすることにする。

 

再び徳島 2

この嘴(くちばし)だけ黄色く目立つ鵜君は、もう一つ見事な技を見せてくれた。螺旋(スパイラル)を描くランディング・アプローチである。

人間の世界では、どんな大型のジェット旅客機も小型のプロペラ機も、各種のマイクロライト機でも、さらに無動力のグライダーやパラグライダーでさえも、着陸の最後のアプローチ(ファイナル・アプローチ)は直線で行う。

アクロバット飛行を好むパラグライダーのパイロットが、たまにスパイラル・ダイブで地面スレスレまで急速に降下して、接地寸前に横向きの揚力を縦に戻しながら無事着陸することはある。これにはかなりの危険が伴い、当然、極めて高度な技量を必要とする。私にはとてもあんな器用なことはできない。しかし、それとても、大きなバネを縦にしたようなマヌーバ(軌跡)で、正確にはネジ状の螺旋スパイラルではない。

ところが多くの鳥たちにとって、スパイラル・アプローチは当たり前の日常的技術だ。今回の鵜君は高度三十メートル辺りから右に旋回をはじめ、正確に旋回半径を縮小しながら五旋回ほどした後、彼が目星を付けておいた水面の或る一点に、ほとんど音もなく着水した。

自然に生きるものたちが、滅多なことでは、まず無理や無駄というものをしないことを、私はよく知っている。彼(彼女かもしれない)が、もっと単純な直線アプローチを採らなかった理由は、朝食の餌に供する小魚の様子を上空から正確に伺《うかが》い、もっとも効率的に必要量の食餌を済ませること・・・そして、それが彼にとって大きな喜びであっただろう・・・ということである。

動物や植物は人間のような言葉は使わない。しかし、それぞれの表現手段を持っていることに疑いの余地はない。ドリトル先生がオームのポリネシアに動物語を習い始めるとき、ポリネシアがまず教えたのが、「彼らは身体の動き全体を言葉にする」ということだった。

私も多くの人のように、少なくとも犬や猫やイルカが、身体だけでなく、その鳴き方や顔の表情で幾つかの感情や意思を現すことを知っているが、それ以外の動物たちも仲間内では、恐らく相当に明白な顔面表現も使っているのではないか・・・と想像している。

人間と他の動物たちの間に本質的な違いはなく、大きく見れば似たような身体器官を持ち、似たようなものを食べ、生きて死ぬことは同じである・・・という事実を、あのB・ラッセルも、かなり厳しかったはずのアメリカ生活時代に、『動物が喋れたら』と題する、彼らしい随想の中で述べている。

興味がある方は以下のリンクからお読み頂きたい。

http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/ANIMALS.HTM

 

再び徳島

先の日曜・月曜は徳島で過ごした。いつもの思い付きではあるが、松山周辺は当分風が弱く、昼間は耐え難く暑く、太平洋高気圧がまだまだ元気な天気図をどう見ても、徳島にはあの南寄りの風が入り続けるように思ったからでもある。

今回は日曜日の午前中から出発して、ノンストップで車を走らせたら、どれくらい速く到着するか試してみることにした。結果は約五時間。道中今まで、お店に寄ったり森や川を眺めたりの休み楽しみに、一時間以上使っていたということだ。

小松海岸に三時半に着いた頃には、すでにIさんは12㎡でグラハンに精出していた。南南東から7mほどの順風。昨年の7月に知り合ってから、彼の技術や道具にとっては、初めてのまともな風だった。

もう一年以上が経過したわけだが、これまでご一緒した数回、海上走行には弱すぎたり強すぎたりで、一定角でカイトパワーを維持しながら走り続けるのは難しかったのだ。結果、数レグの三角走行ができるようになったので、この日を「初走行記念日」とした。後は、成功体験のイメージ・トレーニングやら、徹底した楽観主義の話やら、あれこれの思い付き話を暗くなるまで。

この夜はいつもの私的小松海岸には珍しいことに、雨もカミナリもなく、対岸遠くに見える花火大会や、紀伊水道上空を覆うようにまたたく星々を眺めながら、涼しい夜を過ごした。翌日もほぼ同様の風。昼過ぎから4時間近くぶっ続けで自分の走りに没頭した。

最近見つけた吉野川上流域のパラダイスによって、徳島行きの楽しみは二倍になった。ここは愛媛の東のはずれ、徳島の西のはずれに位置している。一服休憩にはもってこいの場所である上に、ダムの上流にあたるから水が実に澄んでいる。IMGP0560-s.jpg

前回、水際の水中に腰を下ろして涼をとっていたら、たぶんアユの稚魚が大勢でやってきて、まるでドクター・フィッシュのごとく、私の脚の甲をツンツンとつつくのである。こんな嬉しい出来事も少ないだろう。

近くにはダイサギの夫婦か恋人たちが住んでいて、夜の暗がりの中で、「ガー、ギャー」とお話をする。「鳥類は夜目がきかない」というのは、一般論としては間違いである。百メートルほどの距離から、下流の一羽が少し控えめにグアーと鳴くと、零点数秒後に上流の一羽が元気にギャーと鳴き、そのやり取りを何回か繰り返しながら、互いの間隔を徐々に詰めていく様子が、暗闇の中でも手に取るように分かった。

早朝には、これも近くに居を構えているにちがいない鵜《う》が一羽やってきて、まことに見事な直線ローパスを見せてくれた。高度は三十センチほどだろう。もちろん羽ばたいているのだが、鏡のような水面がまったく乱れないのである。

地面効果というか水面効果というか・・・航空の世界ではそれなりに高度な理論や技術以上のものを、彼らは自然のままに身に付けているのだ。

(つづく)

 

直感

今回も今朝の唐突な思いつきで吉野川へやって来た。私は自分のことを相当に理屈っぽい人間の一類だと思うことが多いが、実際の行動はほとんど、その場その時の「感性」に拠っている。

人間の行動は、ある程度の予測や計画に従うのが通常だし、私もたいがいはこの通常に従って生きている。ところが時々、突然不意に或る種の衝動が心の中に湧き出して、それが指し示す方向に私を突き動かすことがある。どういう経緯でこうなったのかはまだよく分からない。
 
ただ少し思い当たるのは、「風」という目に見えず、簡単にはこちらの都合や論理に従ってはくれない相手との長い間の付き合いが、大きく影響しているのではないか・・・ということだ。
 
最新コンピューターの計算能力をもってしても、一葉が風に吹かれて落下する地上位置を正確に予測することはできないという。論理や計算に関して、愚鈍な私がコンピューターに勝ることなど一つもあるはずがない。
 
ところが、それが正確であろうと無かろうと、現実に風の世界に身を置いて、海を走り空を飛ぶためには、可能な限りの気象データを集め、身体に備わったあらゆる感覚器官を使いながら、必要な時点で、行動を開始するための判断を下さなければならない。
 
その判断は、時に生死を左右することもある。それに内包されながら自分一人で向き合う自然世界では、人間社会では通用するかもしれない、どんな種類の虚飾もウソも誤魔化《ごまか》しも小賢《こざか》しさも通用しない。正直に自分の全てを曝け出すしかない・・・という現実が突きつけられる。そういう時、この生命の極めて深い部分が働き始めるのを感じることがある。

この感覚は説明するのが難しい。それをあえて言葉にすれば「澄み切った直観力」とでも言うべきもので、たぶん、西丸震也はこれに似たものを「原始感覚」と名づけたのだろうし、ここで宮本武蔵を引き合いに出すのは気が引けるが、『五輪の書』の空の巻に出てくる「心の直道」などは、その先にある「何ものか」なのかもしれない。
 
ともかく、ほとんど何の合理的な裏づけも無く去来する、この私的《わたしてき》「直感」に従うことで、少なくとも自然世界では、対応困難な危険に陥ったり、不愉快な思いをしたことが一度もないだけでなく、大概は何らかの新しい発見があり、楽しい出会いがある。私にとっての不思議現象の一つである。

桃源郷

一昨日はまったくよく吹いた。昼からはちと吹き過ぎた。私は2時頃に小松海岸に移動したのだが、南東強風はすでに10mを超えていて、後でアメダスの記録を見たら、徳島市のトップブローは18m。

これでは、11~12mまでは使えるSP3の12平米君も、浜で上げた途端にギブアップの様子だった。それでも海に出さえすれば何とか走るだろうとみて、かなりのサイズのダンパー波で遊ぶ多くのサーファーやウィンドの皆さんの隙間が空くのを待っていたのだが、明らかにオーバーのコンディションで多少でもリスキーな行動をとることはできない。GOPR0071.MP4_000008742s1024pix100kb.jpg

結局、12平米君は浜の砂の中で八つ折りにされて、ほとんど埋蔵品の一種となった。後はちょっと前にテスト走行を済ませたばかりの6平米君しかないわけで、サーファーラッシュで出れそうもない南浜から、F君たちのカイトが見える北浜まで、高波のために遊泳禁止になった海水浴エリアをカイティングで横切りながら移動した。まあ、とりあえず走るには走ったけれど当然アンダーで、カイト自体の特性は汎用練習の範囲で楽しい種類だ。

夕方六時も近くなった頃に南浜に広いスペースができた。風模様にほとんど変化なし。されど、出れるなら出てみよう・・・ということで、30分ほどは風に遊ばれた次第。

ーーーーーーー

昨日、今日は、川の日・・・・といっても、モバイル事務所の環境がほぼ整ったので、時間の使い方は家での日常とさほど変わることなく、午前の時間は、あれこれの読み書き仕事に熱中しているうちにあっという間に過ぎて、小さな脳みそが疲れ気味の午後が来る。GOPR0301s1024pix100kb.jpg

この2日間は、吉野川の上流部にある池田町のきれいに整備された公園キャンプサイトに停留したまま、SUPで川の世界の静寂を味わった。

数百m上流までこいで、古き良き時代の清流がそのまま残っているような趣の小さな支流に入ってみた。

そこでは、稚魚の群れが澄み切った水流と遊び、濃紫色の糸トンボが川面近くでヒラヒラと舞い、季節外れのウグイスが唄う。その辺り中に、おそらく太古から変わることのない、あの懐かしい空気の香りが漂っていた。GOPR0103s1024pix100kb.jpg

自然世界を傷め続けて来た日本の経済至上主義的・物質文明の末期にも、まだまだこういう、大げさにいうと桃源郷のような場所がヒッソリと隠れたように存在しているのだ。

私は「自然を保護する」なんて傲慢な表現は好まない。自然によって保護されているのは、常に私たち人間の方ではないか。どこのどの人間が、海や川や風や水・・・その他多くの生命(いのち)たちが生き死にする基(もとい)を創り続けているというのだ。しかし、今後の世代のためにも、こういうまさに「有り難い」自然の恵みは、なんとしても、いつまでも守り残していかなければならない・・・と再び強く感じたのであった。GOPR0265s1024pix100kb.jpg

風と水といえば、タイ国に住むFSディーラーのアレックス氏も古代中国から共産主義中国まで連綿と伝承される「風水思想」に少し言及していた。陰陽五行説の五大要素(地水火風空)の中でも、宇宙や生命の「構成」と共に「運動」の部分に大きく関係する要素として、殊に縁の深い「風と水」については、少し掘り下げて考えてみたいとも思っている…もうちょっと暇になったら・・・。

さようなら原発1000万人 アクション

さようなら原発1000万人 アクション」に賛同署名した。現在総計800万人弱。

原発が全て無くなれば、当面、電気不足になり、大小の不便は起こるだろう。しかし、自然界はもともと「膨大なエネルギー」で満ちている。大自然とはそもそも、あらゆる「エネルギー」のカタマリみたいなものだ。こんなことは心ある人々は皆知っている。

覇権や利権好きの人たちには期待しない方が賢明であることは言うまでもなく、日本も含めて世界のより多くの人たちがその一部でも取り出す努力を進めれば、電力供給に限っても、たちまち解決するであろうことは明らかで、まあ、先の人たちの邪魔に右往左往しなければ、まちがいなく、「心配無用」のエネルギー社会が実現する・・・と私はここに予言しておく。

似たような思いでいる方は、ぜひ署名参加していただければ・・・と願う。

ハマヒルガオ

今年もあちこちの浜にハマヒルガオが花を付け始めた。ほとんど世界中の海浜で見られるという、なんとも可愛らしい植物だ。年中潮風の塩分で洗われる荒い砂地の、一体どこからその栄養分を得ているのか。IMGP0510s1024pix100kb.jpg

生物学や植物学はいろいろ説明を試みるだろうが、どう分析しても、その生命力の源、こんなに可憐な生き物がこういう場所に存在する理由、その花には時に蝶やミツバチがそっと立ち寄り、なにごとかの交流を楽しんでいるらしい・・・などという事情は、ただ不思議なる驚異としか言いようがない。

『方丈記』の鴨長明は、人生の無常をアサガオに結ぶ露、日光に萎える花のはかなさに例えた。彼は朝日に輝くそのスッキリとした美しさも、仏教的無常の一種ととらえていたようだが、しかし、それだけでもなかっただろう・・・と私は思う。

私たち動物と違って基本的に動かない植物たちは、数千年生きる「縄文杉」のような大樹だけではなく、こんなにはかなく見える多年草でも、その奥に広がる永遠なる何かの一端を示唆しているような気がするのである。
 

庭仕事

今日は朝から雨、日中も曇り空で久々に涼しい。ここのところ茹だるような暑さが続き、とても取り掛かる気にならなかった庭仕事に精を出す。ビワの大木の根おこし・・・これがやっぱり大変だった。

17年前に家を新築するとき、「モモ・クリ三年カキ八年」などという常識は本当かどうか確認してみようと考えて、庭の東と西の端に桃と栗の苗木を一本づつ植えた。確かにモモちゃんは三年を待たずして可愛らしい実を付け、豊作と寡作(かさく)の年を交互に重ねながら成長を続けた。何の手入れもしないので虫に食われ放題で、冬季は葉が落ちて無残な姿になり、これは枯れてしまったな・・・と見えても、毎年春になるとピンクの香しい花を付けて、家族の皆を楽しませてくれている。

ところが、クリ君の方はなかなか背が伸びず、やはり三年目辺りからゴルフボールくらいのイガグリを数個付けたが、とても収穫するほどのものではなかった。そのうち、その根元に誰か(多分私^^l)が捨てたビワの種が根付いてしまった。その生命力の旺盛なこと・・・あっというまにクリ君を追い越して、10年もすると狭い庭の入り口を覆いつくすほどの大木になるのと平行して、クリ君はすっかり枯れてしまった。

おかげで、我が家は毎年6月になると食べきれないほどのビワに恵まれることになるのだが、スズメやヒヨドリなどの野鳥にとっても格好の食餌場になり、その下に停めてある家内の車は鳥のフンだらけ、大量の落ち葉に困った隣のアパートの家主からは苦情が来るようになってしまった。

剪定など少し手を入れれば良いだけのことなのだが、元来ナマケモノで「自然のままが一番」などという好い加減な信条の持ち主が、そんなことをするわけがない。

それが、ことの成り行きで、この庭の一部にカーポートを設置することになった。業者に見積もってもらうと、その支柱の一本がちょうどビワの大木の位置に来る。これはなんとしても処分しないと仕方がない・・・ということで、数週間前にチェーンソーでバッサリ切り倒した。

残るは根っこの処理。これはそう簡単にはいかんぞ・・・新たに鍬や昔の炭鉱夫が使うようなツルハシまで用意して作業を始めた。にわか開拓民は・・・やっぱり・・・大変。あんなビー玉ほどのビワの種が、10年以上経つとこれほどまで強大な根を張るものか・・・。ある程度全体像が見えてきた段階で、愛車の四駆に牽引ワイヤーをつないで引っ張りだすことにした。これで、やっとこさ、1時間半ほどの作業を終了。

私は漁師にはいつでも成れそうな気がするが、とても百姓のマネはできない。

LINK

ブログ内検索

カレンダー

02 2025/03 04
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31

最新記事

ハンディムーン

エリアマップ

最古記事

プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

最新トラックバック

カウンター

最新コメント

[06/10 寛太郎]
[06/10 寛太郎]
[06/10 柴田幸治]
[06/10 小林博行]
[03/26 寛太郎]

バーコード

P R

Copyright ©  -- 寛太郎のカイト日誌 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]