内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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今回も今朝の唐突な思いつきで吉野川へやって来た。私は自分のことを相当に理屈っぽい人間の一類だと思うことが多いが、実際の行動はほとんど、その場その時の「感性」に拠っている。
人間の行動は、ある程度の予測や計画に従うのが通常だし、私もたいがいはこの通常に従って生きている。ところが時々、突然不意に或る種の衝動が心の中に湧き出して、それが指し示す方向に私を突き動かすことがある。どういう経緯でこうなったのかはまだよく分からない。
ただ少し思い当たるのは、「風」という目に見えず、簡単にはこちらの都合や論理に従ってはくれない相手との長い間の付き合いが、大きく影響しているのではないか・・・ということだ。
最新コンピューターの計算能力をもってしても、一葉が風に吹かれて落下する地上位置を正確に予測することはできないという。論理や計算に関して、愚鈍な私がコンピューターに勝ることなど一つもあるはずがない。
ところが、それが正確であろうと無かろうと、現実に風の世界に身を置いて、海を走り空を飛ぶためには、可能な限りの気象データを集め、身体に備わったあらゆる感覚器官を使いながら、必要な時点で、行動を開始するための判断を下さなければならない。
その判断は、時に生死を左右することもある。それに内包されながら自分一人で向き合う自然世界では、人間社会では通用するかもしれない、どんな種類の虚飾もウソも誤魔化《ごまか》しも小賢《こざか》しさも通用しない。正直に自分の全てを曝け出すしかない・・・という現実が突きつけられる。そういう時、この生命の極めて深い部分が働き始めるのを感じることがある。
この感覚は説明するのが難しい。それをあえて言葉にすれば「澄み切った直観力」とでも言うべきもので、たぶん、西丸震也はこれに似たものを「原始感覚」と名づけたのだろうし、ここで宮本武蔵を引き合いに出すのは気が引けるが、『五輪の書』の空の巻に出てくる「心の直道」などは、その先にある「何ものか」なのかもしれない。
ともかく、ほとんど何の合理的な裏づけも無く去来する、この私的《わたしてき》「直感」に従うことで、少なくとも自然世界では、対応困難な危険に陥ったり、不愉快な思いをしたことが一度もないだけでなく、大概は何らかの新しい発見があり、楽しい出会いがある。私にとっての不思議現象の一つである。
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