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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

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瀬戸の夕日

まだ水平線には少し距離がある夕陽だった。しかし海面はもちろん、浜辺に寄せる細波も、海砂の玉砂利も淡く夕陽色に染まっているように見えた。いつもより暖かめの、そして、いつも静かな晩秋の夕暮れ時である。

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ライン

私が使っているラムエア・カイトは、効率の良い翼形を作るために極めて細いサスペンションラインを数多く使い、それらを集めて微妙な調整を可能にするコントロールラインに、2個の滑車を介してつなぐという構造になっている。

滑車に通る黄色いラインは絶えず激しく動くから、その摩擦によって消耗していく。もちろん使い方次第なのだが、私のように跳んだり回ったりを多用するスタイルでは、1年を待たずして切れる。

ここのところ最もお世話になっている15㎡は、2ヶ月ほど前に右側が切れ、スペアで付いていた新品に換えたのだが、何も考えずに箱にまとめて入れておいた何本かの中から一本取り出して付けたら、長さが違っていた^^;

カイトが3サイズあるのだから、それぞれ長さが違うのは当たり前のことなのだが、この辺りが私のいい加減なところで、長い方にこぶしを作り短縮して間に合わせた。そして、およそ予定通り、昨日の塩屋順風では、反対の左側が切れた。

今日の塩屋は、当面穏やかな天気だったので、このライン交換を済ませ、風が8m程度まで上がった頃に、19㎡から15㎡に切り替えて調子を見ることにした。ところが、どうも右ウィングの様子がおかしい。ピッチが低すぎてパカパカつぶれ、カイト全体が不安定な動きをする。

まあ、なんとかなる範囲の問題で、実際、これで今日も少々跳んだり回ったりしてきたのだが、これだけハードに使ってると、何十本もあるサスペンションライン自体のバランスも狂ってきているのかもしれない。近いうちに総チェックしよう。

塩屋順風

やっぱり、一杯やって良い気分でものを書こうとするとロクなことはない。さきほど、今日の出来事について少々長めの記事を書いている途中で、余計なキーを押したらしい。一発できれいサッパリ消えてしまった。121106s.JPG

また同じことを繰り返す根気はないので、今日の塩屋はまず最高の部類に入るコンディションだったということ。ウィンド時代からの友人のK君ほかお二人が昼休みに来たこと。彼が、加藤周一の本を読んでくれていて、ありがたいと思ったこと。

アイフォン5の回線速度がとんでもなく速くなっていて、少々驚いたということ。F君から届いた速度計測アプリの回転計がクールで、あちこちで使ってみたということ。

これだけで終わりにする。

カーテン他

昼過ぎから思わぬ北東風が入る。30分ほど、いつものごとく回転技の練習を繰り返す。練習といってもただ楽しんでいるだけのことだ。

3回転程度ならまったく目が回らなくなった。軟着陸の確率は徐々に上がっている。まあ、好きなことを飽きることなく繰り返していれば、どんなことでも上達する道理の通り。 雨、多少降る。

冬の車中泊キャンプに備えて、断熱遮光カーテンを注文する。いろいろ見ていたら、夏の蚊対策に網戸の網を適当な大きさに切って、マグネットで取り付けている人がいた。これはグッド・アイデアだと思う、来年の夏はやってみよう。

便利な時代

静かな日曜日だった。そう風のことを気にするでもなく。朝は、アメリカ大陸の東はずれに住む友人家族とのスカイプ交流の楽しみにS君も加わって・・・まあ、とんでもなく便利な時代になったものだ・・・。

運よく数百年後まで現在路線の人類文明が残っていたとして、今という時代は、まさに「大情報革命」の時代であったと評価されることは間違いないだろ。それが本格的に始まったのは、ほんの20年ほど前、Win95が出て、マックも頑張り、インターネットが大普及を遂げてからのことだ。この間の世界的技術革新はどんなに驚嘆してもしきれないくらいだ。

何年か前に、こんな記事を書いたことがある。こんな変化がまだまだしばらくは続くだろう。e84c1a48.jpeg

「ウィンドウズ95が出てすでに12年、干支が一回りしたわけだが、この間のインターネットやパソコンの技術革新は目まぐるしかった。ほとんど驚異的と言ってよい。私が手にしたWin95最初のPCは14インチモニター一体型のNECキャンビーだった。(当時25万円、今これだけ使えばかなりの性能のデスクトップが3台は買える。)Win3.1に比べると格段に扱いやすいOSになって、随分多くの時間をワクワクしながら、時にはノイローゼになりそうなくらい熱心にこの世界との付き合いを始めた。

ちょっと振り返ってみると、私のパソコンの原点は25年前のまだマイコンと呼んでいた頃のシャープMZ7000だ。これを安月給をはたいて購入したときの嬉しさは格別だった。モニターは家庭用のテレビ、プログラムはBASICをカセットテープで小さなメモリに何分もかけて読み込ませてから更にゲームソフトのテープを読ませる。それでやっと『スタートレック』などのアドベンチャーゲームみたいなものが楽しめる・・・というもので、ともかくゲームがしたくて始めたようなものだった。

そして、このBASIC言語を何日もかけて組んでやっと完成させ大喜びしたのが単純なピンポンゲームだった。これで充分感動できた時代だ。このゲーム熱も数年後にファミコンなる万能ゲーム機が出て一挙に冷めてしまうことになる。

12年前のネット環境は今から考えるとバカ高い料金の従量制で、ピーヒョロと鳴く14.4Kbpsのモデムで、常に時間を気にしながら100kb程度の(楽しい)画像を落とすのに何十分もじっと待っていたこともあった。これが今や100Mbpsの時代だ。ざっと1000倍の速度!

HPを中心とするネット上の情報の総量も圧倒的に少なかったけれども、英語サイトの文書類にはかなり使えるものがあった。すごい時代になったな!これからもっとすごいことになるだろうなー・・・と考えていた。そして、その通りになった。PCのCPUやハードなどはもう言葉にもならないくらい大変なもので、私の想像をはるかに超えていた。メガバイトの単位のハードディスクの容量がギガバイトになったのだから、これも単純に1000倍進歩したということになる。10年ちょっとで1000倍に変化するものなんて、第一次世界大戦後のドイツを除いては、終戦直後の日本の物価くらいのものだろう。

人間の環境適応能力は全ての動物に優れる・・・という人がいる。私もある程度はこの説に賛同するが、しかし、どんどん前に進むだけが人間の幸せでないことも良く知っている。つまり、日の当たる進歩の裏にはおそらく同程度の退歩の影がくっ付いているという見方をする。長い目で見た場合、その退歩・後退が人類の存続にとって決定的な負荷になり、取り返しの付かないものにならないことを、とりあえず今は願うよりないのかもしれない。」

やはり問題は、これで「人類が幸せになるかどうか」ということで、大概のモノゴトには明と暗があるから、手放しで喜んでいると、たぶん痛い目に会うこともあるだろう。

人間が作った道具を使うのは、もちろん人間であり、おそらく宇宙大に広大深遠な人間存在そのものの「科学的」探求は、どんなにひいき目に見積もっても、序の口に付いたばかりじゃないかと思われる。

もっとも私は、いわゆる現在の科学的方法のみが、人間探求方法の全てではないと考える人間の一人である。

雲の道

 まだ緩き 瀬戸を横切る 雲の道
まだぬるき せとをよこぎる くものみち

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上空に寒気が入る季節になると、しばしばこの様に一定方向から帯状に雲の列ができる。相対的に冷たい空気は下降気流となって海上(地上)に達し、海面付近で温められて上昇する。上昇した空気はまた冷やされて下降気流となる。

この繰り返しがこのような現象を生むのだが、風の本流が中国地方から瀬戸内海を抜け四国に向かっている時などは、海面付近の水蒸気を吸収して吹き上がるので、特にこういう雲の道(クラウドス・トリート)ができやすい。

よく見ると、雲は海の上空だけに現れていて、広島地方上空にもこちら松山の平野部上空にもないことが分かる。

雲底高度はおよそ1500mほどか・・・横にすれば歩きでも15分ほどで到達する。すぐソコにありますという距離だ。もちろん、これが海上を吹き渡る風に影響しないわけがない。

今日の堀江は、この図式どおり、5m前後の北風が吹いたり止んだりの穏やかな晴天だった。
 

日記

今日から「一言日記」を始めようと思う。一言になるか二言以上になるかは気分次第。私は何かを書き始めると、連想が連想を生んで、どうも話が長くなる。日々徒然なるままに・・・ではないけれど、徒然の小さな記録をささやかに残して行くのも悪くないだろう。

iphone5が今夕到着した。こんなに速く来なくてもいいのに・・・まあ来たものは仕方ないから、早速セットアップを済ませる。これまでの4は数時間前からまだ初期化の作業を続けている。一体いつまでかかるのか・・・まあ明日の朝までには終わっているだろう。

S君のグラハン・・・15㎡でちょうど良い風になる。ほぼオンショア満潮で浜が狭く、セイフティコントロールの大事さの一分が分かったそうだ。それにしても楽しくて仕方がないという風で私は嬉しい。

Kさんと取り組んでいる論文の翻訳作業・・・朝のうちに「超意訳」を試みてみる。やはりというか、予想以上にというか、これまでの単なる「意訳」よりも、時間がかかる。なんにしても新しい試みなので大変だが、これが結構楽しい。最終的に、どのスタイルをとるか・・・これからの問題だ。

S君のAK1の二次試験・・・会場が分かったので、明日は宿の予約をしておこう。

瀬戸の風波

大海も 磯もとどろも なけれども 塩屋に騒ぐ 瀬戸の風波
おおうみも いそもとどろも ないけれど しおやにさわぐ せとのかざなみ

今日の塩屋の海を見て、鎌倉幕府三代目、源実朝の「大海の磯もとどろによする波われてくだけて裂けて散るかも」を少しパロってはみたが、まちがいなく、正岡子規先生に怒られるだろう。IMGP0667-s.jpg

子規は実朝を次のように評する。「・・・実朝といふ人は三十にも足らで、いざこれからといふ処にてあへなき最期を遂げられ誠に残念致し候。あの人をして今十年も活(い)かして置いたならどんなに名歌を沢山残したかも知れ不申候。とにかくに第一流の歌人と存(ぞんじ)候。強(あなが)ち人丸(ひとまろ)・赤人(あかひと)の余唾(よだ)を舐(ねぶ)るでもなく、固(もと)より貫之(つらゆき)・定家(ていか)の糟粕(そうはく)をしやぶるでもなく、自己の本領屹然(きつぜん)として山岳(さんがく)と高きを争ひ日月と光を競ふ処、実に畏(おそ)るべく尊むべく、覚えず膝(ひざ)を屈するの思ひ有之(これあり)候。古来凡庸の人と評し来りしは必ず誤(あやまり)なるべく、北条氏を憚(はばか)りて韜晦(とうかい)せし人か、さらずば大器晩成の人なりしかと覚え候。人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例なれども、実朝は全く例外の人に相違無之(これなく)候。何故と申すに実朝の歌はただ器用といふのではなく、力量あり見識あり威勢あり、時流に染まず世間に媚(こ)びざる処、例の物数奇(ものずき)連中や死に歌よみの公卿(くげ)たちととても同日には論じがたく、人間として立派な見識のある人間ならでは、実朝の歌の如き力ある歌は詠(よ)みいでられまじく候。・・・」  『歌詠み与うる書』の冒頭。

ここで子規が「人の上に立つ人にて文学技芸に達したらん者は、人間としては下等の地にをるが通例(権力や社会的地位を持ち、ある程度の文学や芸術・技術を心得た人間は、多くの場合、傲慢になり人格としては下劣の類となる※寛太郎的解釈)と断っているあたり、私は子規その人の偉大さを直感する。

若干26歳で暗殺された実朝については、加藤周一も、彼の最期の遺言的映像『それだけではない』で繰り返し語っていた。その和歌の偉大さは、今のところ私の理解の向こう側にある。しかしそれらは、おそらく長い日本の詩歌の歴史の中で、桁外れに優れた虹彩を放っているのにちがいない。

ただ、実朝の来歴・事跡を知るにつれ、色々と興味深い事々が浮かび上がってきて、私のような歴史音痴でも、どんどん深みにはまりそうになる。例えば、彼が渡宋を計画するに至った経緯に、こういうのがある。

彼が21歳、東大寺大仏の再建を行った宋人の僧が彼に会うために鎌倉まで参上して御所で対面した時、実朝を三度拝んで泣いた。実朝が不審に思って聞くと、僧は「あなたは、昔、宋朝の医王山(薬草がたくさん採れる山からの命名らしい)の長老であり、私はその時の門弟の一人であった」と述べる。それは、実朝が5年ほど前に見た夢に現れた高僧が語った内容と同じであり、実朝はそれを他言したことはなかった・・・というような話である。

「転生輪廻」云々の思想について、私は「神の存在」云々と同様、とりあえず証明不可能、つまり「在るかもしれないし無いかもしれない」類の問題として、解答を保留してある。

については、その存在を前提とした時代と、それを消し去った時代が残っているから、話はいくぶん簡単になる。あると考えたらとうなるか、ないと考えたらどうなるか・・・ということが分かりやすいという意味で。しかし、転生輪廻については、かなり複雑でややこしいことになるだろう。

どんなにややこしいことになるかは、複雑なことを書くのが、めんどくさくない時に書くことになるだろう。私なりに想うところはある。いずれにしてももしこれが事実であれば、非常に面白いことになることになるな・・・とは思っている。

 

反省と後悔

たいがいにおいて、不完全な人間という動物は、さまざまな局面で失敗をする。失敗を繰り返すことによって、経験を重ね、経験の蓄積が、成長の土台になる。だから、失敗は「成功の元」になるだけでなく「成長の元」になることも明らかな事実だ。

ただ、気を付けるべきは、多くの場合、失敗には後悔の念が伴うということだ。「ああすればよかった、こうすればよかった」の類である。このマイナス感情に捕らわれると、「失敗が失敗の元になる」ことも多い。

過去は過ぎ去ったものであるから、元にはもどることはない。しかし、普遍のものでもない。過去の事実は変えようがないが、過去の事実に対する評価や意味づけ・・・言い換えれば「過去の見え方感じ方」は、現在の自分の変化によって如何様にも変化する。

だから、通常は苦しみを伴う「後悔」という人間的行為に、ほとんど意味はない。無駄な苦悩と言い切って良いだろう。

そして、過去を振り返ることに積極的な意味があるとすれば、その事実と評価の中に、適当な反省材料を見出しながら改善や改良を加え、未来に向かって、より良く幸せな自分や環境を作り出していくということであろう。

塩屋の順風

今日の塩屋海岸には、安定した腰の強い西寄りの風が入っていた。火曜日以来5日ぶりの順風だ。私の海通いは、多くの愛好家が楽しんでいる散歩やジョギングと同じで、午後の日課になっている。3日も海風を吸わないと、なんだか身体や頭の中に良からぬガスが溜まったような気分になる。

もう何年も前から、午前中は頭を使い、午後は身体を使い、夜はできるだけ何も使わないでボケーとすることを、生活パターンにしたいと計画し、それなりに実践してはいるが、もちろん計画通りにいかないことがあるのは、いい加減な人間の宿命として仕方のないことである。
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昼過ぎに到着した時点で6~7m。私のラムエア19㎡でちょうど良い風だ。若干南西よりから寄せ来る波の様子では、上がっても8m余りだろうから、10mまでは何とか使える19㎡の許容範囲だが15㎡でも充分走れる。私は大体ゆったり跳びたい時は大きいサイズを、少しクイックな回転技やトランジション(方向転換)をしたい時は小さいサイズを選択する。

私の風読みの仕方が、ウィンド・サーフィンの時代と違うのは、海面をなめるように吹き渡る風の強弱によって、色の濃淡や波高・波質を変える海面の様子だけでなく、上空の雲の様子や、頬をなでる時々の風の質の変化にも注意を向けるようになった、ということだ。

これは長い空の生活で身に付いた習慣で、カイトサーフィンでは、人間はほとんど海の上を走ってはいるが、カイトウィングは飛行翼として空中を走っている。半ば以上はスカイスポーツの一分なのだ。

この海岸にまともな西寄りの風が入ると、時によってはヘッドに近い波が入る。いくらか遠浅になっているので、沖ではそこそこの波長を持ったスウェル(うねり)が入り、海岸近くではきれいな巻き波を何層か形作って、ちょっとした波乗り気分になれる。この辺りでは貴重な浜だ。

前回は、風こそ不安定だったが、少し沖のうねりはショルダー程度はあり、このエリアでは久しぶりのウェイブ・ライディング(みたいなもの)を味わった。今日はちょっと速めの順潮(風向と潮流が逆で、風上に向かって上りやすくなる)だったので、小さな波は尖り気味の潮波に変じて、あんまり面白いものではなかった。

しかし、徐々に西に傾いて行く太陽を反射する海面で千変万化する波の様子を観察しながら滑走したり、適当な波頭を見つけてジャンプや回転を繰り返したりしながら、私はある想いに浸っていた。私の場合、しばしば起こる、ほとんど日常的な出来事である。

「これらの風も波も空も光も、そして、こうやって、その中で動き、感じ、考えている自分という存在も、全てが確実に連続しながら繋がっている、一つの壮大で同時に繊細な世界の出来事である・・・」というようなことだ。

まあ、当たり前といえば当たり前のことなのだが、この感覚を、人間社会の日常で味わうことはそう簡単なことではないかもしれない。

 
 

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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