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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

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人間の地球 2

It is only when we become conscious of our part in life, however modest, that we shall be happy. Only then will we be able to live in peace and die in peace, for only this lends meaning to life and to death.
 "Wind, sand and stars" translated by Lewis Galantiere from "Terre Des Hommes" by Antoine de Saint-Exupery:

私たちが幸せになるのは、それがどれほどささやかなものであれ、人生の中に自らの役割を知ったときだけである。そうしてのみ、私たちは平和に生き平和に死ぬことになるだろう。なぜなら、生に意味を与えるものが、死にも意味を与えるからである。
121220sunset-s.jpg- 『風と砂と星と』ルイス・ギャランティエール仏英訳 : 『人間の地球』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ原著 (堀口大學の仏日訳の題は『人間の土地』)

"Quand nous prendrons conscience de notre role, meme le plus efface, alors seulement nous serons heureux. Alors seulement nous pourrons vivre en paix et mourir en paix, car ce qui donne un sens a la vie donne un sens a la mort."

上がフランス語の原文だが、堀口大學はこれを、「たとえ、どんなに小さかろうと、ぼくらが、自分たちの役割を認識したとき、はじめてぼくらは、幸福になりうる。そのときはじめて、ぼくらは平和に生き平和に死ぬことができる。なぜかというに、生命に意味を与えるものは、また死にも意味を与えるはずだから」と訳している。

なんと無理のない、柔らかく流れるような日本語だろうか・・・私はまたまた唸ってしまう。やはり結局、翻訳の優劣を決定するのは母国語の優劣であり、詰まるところ、他国語の理解能力ではない。 (画像:興居島に落ちる今日の夕陽)

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10日ぶり

ほぼ10日ぶりか・・・昨日は存分に走った。いくぶんガスティな東寄りの風が、昼過ぎから徐々に北東に触れ、安定して8m前後まで上がる。こないだまでの寒さが不思議なくらい暖かい。日中の気温は15℃近かったのではないか。海水温はまだ充分に高く、グローブもいらなかった。

田舎の用事を済ませて堀江海岸に向かったら、既に小さなカイトが上がっている。こないだから練習を始めたK君と奥さんだ。スッキリしたアウトラインのトレーニングカイトはラムエア3㎡だが、これくらい吹くと結構なパワーを生み出す。2ラインでハーネスを使うタイプでなかったので、余ったリーシュを使って開放装置付きチキンループにした。

ラムエアのリーシュシステムは、緊急時だけではなく、通常のランディング(カイトを降ろすこと)でも当たり前に使う。私が、少なくともセイフティ・コントロールという点で、インフレータブルよりもラムエアが優れると考える理由の一つはここにある。

「緊急時に使う技術は、日常的に反復練習して、必要が生じたら反射的に使えるようにしておかなければならない」。この種のスポーツは、そのような場合、ほとんど「考えている暇はない」からである。

自由からの逃走 2

We believe that the realization of the self is accomplished not only by an act of thinking but also by the realization of man's total personality, by the active expression of his emotional and intellectual potentialities. These potentialities are present in everybody; they become real only to the extent to which they are expressed. In other words, positive freedom consists in the spontaneous activity of the total, integrated personality."
- "Escape from Freedom by Erich Fromm p.257 | Summary & Study Guide" by BookRags


自己の実現は、考えるという行為によってだけでなく、人間の全体的人格の実現、感情的・知性的な潜在能力を積極的に表現することよって達成される、と我々は信じている。これらの潜在能力は全ての人間に備わっていて、それらが表現される割合にしたがって現実になる。言い換えれば、完全な自由は、全体的で統合された人格の自発的な活動の中にあるのである。
- 『自由からの逃走』P257 エーリッヒ・フロム著 スタディーガイド

人間の地球 1

This viscous whiteness became in my mind the frontier between the real and the unreal, between the known and the unknowable. Already I was beginning to realize that a spectacle has no meaning except it be seen through the glass of a culture, a civilization, a craft. Mountaineers too know the sea of clouds, yet it does not seem to them the fabulous curtain it is to me.
- "Wind, sand and stars" translated by Lewis Galantiere from "Terre Des Hommes" by Antoine de Saint-Exupery:


この粘着性のある純白(雲)は、私の精神の中で、現実と非現実、既知なるものと未知なるものとの境界線となる。私はすでに、目に見える世界は、教養や文明や職能というメガネを通して観られることなくしては意味を持つものではない、ということが分かり始めている。山中に住む人々も雲の海を知ってはいるが、それは私が知るこの素晴らしいカーテンのようなものではない。
- 『風と砂と星と』ルイス・ギャランティエール仏英訳 : 『人間の地球』アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ原著 (堀口大學の仏日訳の題は『人間の土地』)

海からの贈り物 3

When one is a stranger to oneself then one is estranged from others too. If one is out of touch with oneself, then one cannot touch others. How often in a large city, shaking hands with my friends, I have felt the wilderness stretching between us. Both of us were wandering in arid wastes, having lost the springs that nourished us?or having found them dry. Only when one is connected to one’s own core is one connected to others, I am beginning to discover. And, for me, the core, the inner spring, can best be refound through solitude.
- "Gift from the Sea" by Anne Morrow Lindbergh


人は自分自身に対して疎遠であるとき、他人からも疎遠である。自分自身の理解がなければ、他人を理解することもできない。都会で友人たちと握手しながら、互いの間に広がる大きな距離を、私はどれほど頻繁に感じたろう。私たちは、自分を潤し育む泉を失い、渇いた不毛の荒地をさまよっている。人は自分自身の中核に繋がった時のみ、真に他人と繋がる事ができるということを、私は発見しつつある。そして、私にとっての中核、内なる泉は、孤独を通すことで最も良く再発見されるのである。
-『海からの贈り物』アン・モロー・リンドバーグ著

手がしびれる

今朝の室温5℃。今のところ今冬最低記録だ。昨日の塩屋も寒かった。後でアメダスで確認してみると6℃台ということだから、これは例年なら1月、2月の厳冬期にあたる。北西風はかなりガスティだが7m程度。水にぬれ風にさらされた素肌は急速に冷える。121206w.JPG

まだアビーム走行までは距離があるS君は、何十メートルかは斜め風下に走れるようになり(クウォーター・リー)、カイトを左右に振りながら、スタボーサイド、ポートサイドを繰り返しながら下っているうちに、ちょうどゴルフ場のグリーンのように緑の水草が茂っている中州に到着する。ここまで来たら、現在の彼にとってはカイトをたたんでスタート地点まで戻るしかないし、今はそれで充分だ。

「10分ほどグラハンやって、濡れたカイトを乾かしてからピックアップしなさい」と指示したが、ずいぶん手間がかかっている様子だ。後で聞いたら、手指にまったく力が入らず、エア抜きジッパーを動かすことができなかった・・・ということだった。「手が死ぬ」という真冬の海上スポーツでは当たり前の経験は彼にとっては初めてのもので、自分の身体の一部が自由を失う、という異常事態にいっとき驚き、少々焦ったらしい。121206s-1-s.jpg

気温は厳冬だが海水はまだ初冬の暖かさだ。晩秋にはあれほど冷たいと感じていた内水面(水溜りフラット)でも、手の神経を保つには充分暖かい。アウトサイドの海水温度はもっと高い。つまり、陸上にいるより水面を走ったり泳いだりしながら、痺れかけた手を水につけておく方が暖かい・・・という、地上の常識からはちょっと遠い、冬の海の世界のお話になるわけである。

 

朝日と夕日

今日は(も)嬉しい一日だった。まず、この夏からカイトサーフィンの練習を始め、カイト操作やボディドラッグなどの基本はほぼマスターしたS君が、初めて板に乗って数十メートルを走った。天気晴朗。塩屋の水溜りフラットはほぼ満潮、風は北西から8m程度。
121204w.JPG
カイトの世界は、地上で行うランド・カイトや、海上走行の前に多くの人が練習するボディドラッグだけでも充分楽しいのであるが、やはり、板を履いたらそれなりの走りをしたくなる。その気持ちが、彼の中で徐々に強くなっているのは分かっていたが、ともかく、これからも続く「基本の反復練習」には充分すぎるぐらいの時間をかけようと考えていた。

元来インドア派の彼にとっては、海のスポーツも風読みスポーツも初めての分野である。本日を彼の初走行記念日とするが、ともかくまだ若い。これからこのスポーツを通して、じっくりと大自然の奥深さを感じ取って欲しいと思う。

それから、サーフィンも楽しむK君が素晴らしい夜明けの写真を送ってくれた。松山の我121204okihama-sunrise-s.jpgが家からは日の出を見ることがなく、私はめったに朝焼け時に起きることもないので、瀬戸の夕空かと思ったら、高知の大岐浜の朝日だった。有名なサーフィンエリアだ。この旭日は、来年の年賀状に使わせて頂くことになるだろう。

この浜は、ウィンド時代の初期にウィンド用のロングボードでサーフィンの真似をしたことがある。片道5時間ほどかかり、前夜はほとんど寝てなかったことなど思い出す。もう30年近く前の話だ。その後、キャンプに出かけて一泊したが、太平洋から寄せるユッタリした波音を聞きながら、長くて美しい砂浜を端から端までゆっくり歩いた。8a5bb82e.jpeg

ついでに、今日の塩屋の夕暮れ時の西空も一枚。海に囲まれた土地で、太陽と共に生活できることは、実はまったく在り難いことなのだ・・・と最近とみに思う。
 

冬の蜘蛛

今朝の室温7℃。すでに12月、じゅうぶん冬の季節ではあるのだが、ちょっと冷え込みが早すぎはしないか・・・。昨夜は珍しく、夜中の3時半頃に寒さで目が覚めた。薄手の掛け布団2枚では足りなかったようだ。8e144c0c.jpeg

朝のタバコ一服の定位置から眺める中庭のゴールドクレストの大木は、ハトが巣を作ったり、スズメやヒヨドリが遊んだり、女郎蜘蛛が網を張ったり、西風を告げる風見になったり・・・で、いろいろと役に立っている。

昨夜は少し雨が降ったらしく、9時を回っても針葉の先端には朝の日差しを透過する水滴がいくつも付いていた。夏の間、忙しく活動していた女郎蜘蛛は、晩秋が来て一度は広い網を撤収し、どこかに隠れていたように見えたのだが、今朝の玉露を写真に収めようとベランダに出てみたら、夏ほどではないにしても、わりあいしっかりした網の中心で冬眠したように固まっていた。

天気予報では日中15℃あたりまでは上がるらしい。昼からまた少し身体を動かしに海に出かけることになるだろう。


今日の夕空

121128s-s.jpg
人生にも曇々が漂い来る。しかしすでにその雲は、雨や嵐の前触れではなく、私の夕空に色を添えるものだ。
- タゴール

Clouds come floating into my life, no longer to carry rain or usher storm, but to add color to my sunset sky.
- Rabindranath Tagore
 

海からの贈り物 2

The past and the future are cut off; only the present remains. Existence in the present gives island living an extreme vividness and purity. One lives like a child or a saint in the immediacy of here and now. Every day, every act, is an island, washed by time and space, and has an island’s completion. People too become like islands in such an atmosphere, self-contained, whole and serene; respecting other people’s solitude, not intruding on their shores, standing back in reverence before the miracle of another individual.
- "Gift from the Sea" by Anne Morrow Lindbergh


過去と未来は切り離され、現在だけが残る。現在の今という存在は、島の生活に極端なほどの鮮やかさと純粋さを与える。「今・ここ」にある刹那の中で人は子供のように、また聖者のように生きる。一日一日が、一つ一つの行動が、時間と空間に洗われ、一つの島としての完成形となる。人々もまた、このような環境の中で島のような存在となる。自己充足し、全(ぜん)にして澄み切ったものとなり、他者の孤独を大切にしながらその岸辺を邪魔することなく、他者の奇跡を崇敬しながら、離れたところにいるのである。
- 『海からの贈り物』アン・モロー・リンドバーグ著

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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