内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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総目次
前書き スタンレー・クリップナー博士
目次
序文
序論
第一章
地球外体験の背景的探索
1 古代の伝説と現代科学
・古文書における記述
・シャーマニズム
・土着の宗教
・パンスペルミア(胚種広布説)
・宇宙生物学
2 アブダクション体験(AAE)
・アブダクション体験(AAE)とは何か
・アブダクション体験(AAE)の代替説明
3 その他の事実-拡大体験
・臨死体験
・他の惑星のリモート・ビューイング(遠隔透視・千里眼)
・例外的な体験
4 他惑星での体験についての歴史的報告
・オルフェオ・M・アンゲルッチ (1912-1993)
・ジョージ・アダムスキー (1891-1965)
・エリザベス・クレーラー (1910-1994)
・クラウド・ボリーロン (1946-)
・ウッドロー・デレンバーガー (1943-)
・ミシェル・デスマルケット (1931-)
・T・ロブサング・ランパ (1910-1981)
・ビリー・マイヤー (1937-)
第三章
証拠が導くところ
13 調査結果:意識変容の道標
・共通のテーマ
・やや共通のテーマ
・重要な人生の変化
14 地球外生物体験に替わる説明との比較結論
付録A 質問表付録B
精神病理学的テスト結果の概要
用語集
脚注
参考文献
語彙参照
筆者について
内的習慣について
関連文献
著作権
謝辞
本書は、現在、主流を成す権威筋や彼らの理論による世界観に公然と反抗し、論議を呼ぶものとみなされるかもしれない。しかし、長い間支持された理論でさえも、その誤りを正す反証の重圧を受けて粉砕され得るということを、私たちは心しておくべきである。今回の作業を完成させ、学術のまた公衆の世界に私を飛び立たせて下さったジョン・マック博士、レオ・スプリンクル博士、スタンレー・クリップナー博士のご助力とご献身に感謝します。
本書の出版は、私の個人的人生の一つの旅に終わりをもたらすことになる。ほとんどの旅がそうであるように、それは最初の一歩から始まったが、当初、どの方向に私を導くことになるか分からなかった。この旅は長く困難であり、それは私という存在の中核を病的な傾向に導く、情け容赦ない多数派的現実を支持する人々の行為やスタンスによって悪化させられてきた。
私は相当な時間を苦悩と失望に費やしたが、自身の内なる智恵を通して純粋な喜びを得る瞬間も経験したのである。この発見は、私の人生の旅を通して随伴し終着点まで導いてくれた、慈悲深い地球外生命体のおかげであると考えている。時々、私はこの個人的な信念と自分自身を分離したくなることがあるが、おそらくそれは、私の研究に参加してくださった方々がその体験を語るときに、落ち着いた雰囲気を作り出すことに役立ったのではないかと思う。
『宇宙的体験』
「異星人との接触と意識の拡大 」
トーマス・J・ストライカー著
本書「惑星外体験」による徹底的な分析によって、トーマス・ストライカー氏は、より深い疑問、つまり、これらの事例は単に主観的に重要な経験なのか、それとも客観的事実なのかについて、土台となる仕事を成しとげた。本書は、私たちがこれら経験的レポートを見逃すべきではないことを示している。
ユルゲン・クレーマー博士 (『意識と変形』ジャーナル主任編集者)
理論的な学識、詳細な証拠文書、人間的好奇心、思いやりの心によって、トーマス・ストライカー氏は地球外生物との遭遇や他の惑星文明ついて語る人々の調査結果を提供している。
レオ・スプリンクル博士(カウンセリング心理学者、ワイオミング大学名誉教授)
本書をこの研究に参加して下さった方々に捧げる。皆さんが人生の長きに渡って献身されてきた内なる旅や、UFOやET現象を語ることや、また宇宙を包含する精神的現実の中で生きることを実現する上でしばしば伴う痛みや苦しみに耐えてこられたことに謝意を表する。説明不能の現象についての報告は、同様の経験を持たない者にとっては概して奇妙なものであり、その結果、多くの経験者はあえて自らの体験をオープンに語ろうとはしない。数世紀前、空から石が落ちてくるのを報告したとき、当時の科学の専門家は、そんなことは有り得ないと主張した。しかしその後、数年の抵抗の後には隕石の存在が受け入れられたのである。私たちが新しい事実を直視するのは、そのようなパイオニアたちの犠牲-時に追放や嘲笑や全面的な軽蔑や死でさえも-を通じてである。
かなり面倒くさい部類の話である。しかし、このブログは内容の如何を問わない、およそ何でもありの体裁なので、これも一つの記録として何回かに分けて連載する。
元々、この翻訳は、歴史平和学者のクラウス先生から東京在住のK女史に託されたものであったが、ドラフト(原稿)が3分の2ほどできかけた頃に、お二人の間で何かしらややこしい経緯《いきさつ》があったらしく、残りの部分を私が担当することになったものだ。
原文は完全に論文そのもの。原文英語の原文はドイツ語で書かれドイツで出版され、クラウス先生ご自身が英訳されたものが英文でも出版されている。それなりにドイツ語の匂いが残っていて、ともかく一文が長く、回りくどい言い回しが多い。しかも、論文には付きものの脚注が、本文と同じくらいの分量ある。
なるほど、これは彼女が途中で嫌になるのも無理はないなぁ・・・などと思いながら、引き受けるからには最後まで、翻訳作業そのものをじゅうぶん楽しませてもらおう・・・ということで始めることにした。脚注にまでは手が回らず本文のみ。K女史の部分は彼女の領域なので、総目次以外は触れない。
私の拙い翻訳作法はまたどこかで書くことがあるかもしれない。ちょっとだけ触れると、その最第一は、「過程を楽しむ」ということであり、あらゆる「結果」は、地道な「過程」の連続の後に自ずとやって来る、ということだ。もちろんこの姿勢は翻訳に限ったことではない。過去でも未来でもない「今」を目一杯大切にしながら生きるという「生き方」とリンクしている。言うは安く行うは難いが、そういう姿勢を心のどこかに持っていると、それなりの効果はあるようである。
尚、とりあえず仕上がった全体原稿は、すでに幾つかの出版社に送られ、やがて一冊の書籍になるかもしれないし、ならないかもしれない・・・という段階である。巷間、憲法改定論議が話題になることも多い昨今ではあるが、この種の全く売れそうもないものを喜んで出そうという出版社が現れる可能性は極めて低いだろう。
ただ、これら記事に出会った方々が、日本国憲法の特大の美点ともいえる「平和主義」について、ドイツと日本の何だか不思議な縁《えにし》について、また「世界の平和とは何か」という大きな問題について、いくらかでも想いを巡らす機会となり、何らかの刺激になれば在り難いことだと思う。
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