内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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かなり面倒くさい部類の話である。しかし、このブログは内容の如何を問わない、およそ何でもありの体裁なので、これも一つの記録として何回かに分けて連載する。
元々、この翻訳は、歴史平和学者のクラウス先生から東京在住のK女史に託されたものであったが、ドラフト(原稿)が3分の2ほどできかけた頃に、お二人の間で何かしらややこしい経緯《いきさつ》があったらしく、残りの部分を私が担当することになったものだ。
原文は完全に論文そのもの。原文英語の原文はドイツ語で書かれドイツで出版され、クラウス先生ご自身が英訳されたものが英文でも出版されている。それなりにドイツ語の匂いが残っていて、ともかく一文が長く、回りくどい言い回しが多い。しかも、論文には付きものの脚注が、本文と同じくらいの分量ある。
なるほど、これは彼女が途中で嫌になるのも無理はないなぁ・・・などと思いながら、引き受けるからには最後まで、翻訳作業そのものをじゅうぶん楽しませてもらおう・・・ということで始めることにした。脚注にまでは手が回らず本文のみ。K女史の部分は彼女の領域なので、総目次以外は触れない。
私の拙い翻訳作法はまたどこかで書くことがあるかもしれない。ちょっとだけ触れると、その最第一は、「過程を楽しむ」ということであり、あらゆる「結果」は、地道な「過程」の連続の後に自ずとやって来る、ということだ。もちろんこの姿勢は翻訳に限ったことではない。過去でも未来でもない「今」を目一杯大切にしながら生きるという「生き方」とリンクしている。言うは安く行うは難いが、そういう姿勢を心のどこかに持っていると、それなりの効果はあるようである。
尚、とりあえず仕上がった全体原稿は、すでに幾つかの出版社に送られ、やがて一冊の書籍になるかもしれないし、ならないかもしれない・・・という段階である。巷間、憲法改定論議が話題になることも多い昨今ではあるが、この種の全く売れそうもないものを喜んで出そうという出版社が現れる可能性は極めて低いだろう。
ただ、これら記事に出会った方々が、日本国憲法の特大の美点ともいえる「平和主義」について、ドイツと日本の何だか不思議な縁《えにし》について、また「世界の平和とは何か」という大きな問題について、いくらかでも想いを巡らす機会となり、何らかの刺激になれば在り難いことだと思う。
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