内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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さて、竹島問題について、私の各論的意見だが、これも結論から先に述べる。
まず、韓国政府は、竹島を「実効支配」しているとする根拠、つまりは覇権《はけん》の最たる軍隊やそれに関係する施設を全て撤収すべきである。たいがいは静かに道理を語るあの「姜尚中」(カン サンジュン)でさえ、この「実効支配の継続」を根拠に韓国領であることを主張している事実に私は驚く。
儒教が浸透しているはずの彼の国の指導的立場にある方々が、いつの間に『王道は覇道《はどう》に優る』という孟子先生の教えを忘れたのだろう。王道とは仁愛に基づく治世のことで、対外的には隣国を敬愛する姿勢に立ち、対話による外交に拠るということになる。覇道とは、言うまでもなく、有無を言わさぬ力(武力)による支配姿勢のことで、対外的には、まさにこの「実効支配」がそれに当たるだろう。
この場合、「民間人も居住し交通しているではないか」などという主張に意味がないことは、実際に当地を訪れなくとも、グーグル地図ででも一瞥すればすぐ分かる。竹島二島は人間が生活できるような島ではない。
軍隊による銃撃も砲撃も、国家警察による逮捕・監禁などもなければ、このそう面白いこともなさそうな岩の塊にでも、何らかの興味を持つ人々は、どちらの国の側からも好きなように近づけるようになるだろう。
特に漁師の方々はその機会も多いだろうから、たまには船を寄せ合って一緒に一杯やれば良い。まあ、三日もすればいわゆる「同舟の仲」になることは間違いない。小さな漁村に育った私は、漁師の心根をかなり良く知っている人間の一人だ。どの道、同じような人間が同じようなことをしているのだから、互いに心を開いて仲良くなるのに、言葉の違いはほとんど問題にならないだろう。
「漁師には漁業利権の問題があるではないか」・・・という意見もあるだろう。しかし、この利権は、資本主義あるいは商業主義を命脈とする企業の論理で、農業など土地に梗塞される営みとは遠く異なる、広大な海を舞台とする漁業の本来的営みを忘れた議論ではないか。
境界線を地面に引くことはできるかもしれないが、海面に引くことはできない。米の味は長期間保てても、魚の鮮度は一日で落ちるのである。江戸庶民の「宵越しの金は持たねえ」じゃないけれども、過去数千年に渡る漁師の気質は、富の蓄積からは程遠い、概して極めてサッパリしたものである。利権云々に最も左右されにくい「民間外交」は漁師の交流にあり、と言っても良いくらいだ・・・と私は思う。
ちなみに我が家は、韓国からの大学生を二度ホームステイで受け入れたことがある。彼らは漁師ではなかった。しかし、間違いなく、先に挙げた「王道」を選択し、「民間外交」の一端を担う人たちの一類であった。
(たぶん3につづく)
晩飯に用意した弁当を食べる箸がピタッと止まるほど、それはまったく神秘的とも言える風景で、白い巨大なアメーバが水面を貼って移動してゆくような、物の怪《もののけ》的印象さえ持った。
私のデジカメのオート撮影では暗くてほとんど何も写らない。夜景モードでは露出時間が5秒ほど、明るすぎてあの雰囲気からは遠いけれども、一応これで記録に残しておく。
昨日はずいぶん久方ぶりに愛用の軽バンで高速道路を走った。私はもともと高速道路という「道」が好きな方ではない。確かに目的地まで速く移動できて便利なものだ。一般道路でゆうに六時間以上かかっていた行程が三時間足らずで充分だった。つまり効率的ということだろう。しかし、「効率的」とは何だ・・・などと、まためんどくさいことを考え始める。
戦後(だけではない)、日本の経済復興に一役買ってきた電力事業だけでなく、きわめて広範な産業・経済分野、ついには教育分野でさえも、この「効率」という言葉は当然の了解事項として広く使われてきた。いわく、「如何にして生産効率を上げるか」「如何にして何々を効率よく学習するか」・・・等々。
しかし、先の東北大地震に伴う原発事故を契機《けいき》に、この「効率なんとか」の「功」の面だけでなく「罪」の面を問い直し始める人々も確実に増加しているように見える。
手元の辞書には「効率的」を以下の二義で定義してある。つまり・・・1:機械によってなされた仕事の量と、消費された力との比がうまく調和しているさま。2:一般的に、使った労力に対して、得られた結果の方が大きいさま。能率的。効果的。
1は、まずその通りだろう。機械類は常に物理法則に従う。エネルギー保存の法則から、入力と出力の均衡を取ろうとするのは当然のことだ。だが、2についてはどうか。一応「一般的に」と留保をつけてあるから理解はできる。これを数式化すると「効率=成果÷労力」となり、その値が大きいほど効率的ということになる。
しかし、人間にとって「使った労力」や「得られた結果」を、一般的に語ることにどれ程の意味があるのか・・・。私の片道六時間の運転労力で得る結果は、もちろん腰の痛みや疲れのマイナス面もあるが、それを差し引いても、三時間の単調な高速移動で得られる結果を何倍かしてもずっと大きいものになるだろう。
道中ゆっくりと移り変わる風景や、一休みで味わう山間《やまあい》の澄んだ空気や小川のせせらぎ、過ぎ行く夏を惜しむように森をゆらすセミしぐれなどは数量化することができない種類のものである。
「より強く、より高く、より速く」・・・一昔前のオリンピックの標語だ。そして、この標語は、西欧列強の外圧によって近代化を急いだ明治日本の基本姿勢だったし、敗戦後、経済復興を急いだ昭和日本の基本姿勢でもあった。国家のレベルで言えば他国に負けず、企業のレベルで言えば他社に勝ち、個人にすれば他人との競争に勝つこと。つまりは競争原理の全面的肯定と採用ということになる。
しばらく前に、大阪の海運会社に勤める四十代の従弟《いとこ》と会ったら、「どんなに働いても、いつも何かに追いかけられるように気が急《せ》いていて休まらない・・・」という話が出てきた。この感慨は彼だけのものではない。現代物質文明を享受する世界中の大多数の人々が、心のどこかに宿す共通した「不快感」だろうし、一種の「病理」と言ってもいいかもしれない。
その原因は、多くの先人によって明らかにされている通りである。そして当面、その原因を無にすることはできないにしても、少なくとも自覚することによって、その結果の現れ方は大きく異なってくる・・・と思ったりもするのである。
このブログでは、極力、特に日本が関係する政治や権力の世界の、余りにバカげた話は持ち出さないようにしようと思っていた。
しかし、最近話題の竹島問題についてのクラウス先生の記事小論に幾らか触発された・・・ということもあるので、私もこの「国際問題」に少し触れてみようと思う。私の意見は「尖閣諸島」についても似たようなものである。
領土問題をベースにする国家間の対立は、およそ「国家」という人間集団の中で、いわゆる「権力の座」にある人たちが提唱し、その唱導に賛同あるいは雷同する「国民」が一定数に達することで始まる。
これは現在進行形の歴史的事実だ。もっとも、そんな人たちは、たいがいマスコミの宣伝や国民の情緒的反応を表にして、自らの意図を裏にするのが常道なので、ことの成り行きを正しく見ようとする人は、多少とも注意深くある必要がある。
そもそも国家というものが存在しなければ、「主権」も「領土」も「国民」もあり得ないのだから、こんな問題は発生しないことは言うまでもない。
だから、結論から先に言うと、この問題を根本的に解決する方法は「国家が無くなること」であり、その国家の存立を支える「国家意識」が、統治する側でも統治される側でも、より深くより広大な「世界市民意識」に吸収され昇華されることしかないだろう・・・と私は思う。
ここでいう「国家意識」とは、集団の構成員がその主たる存在基盤を、国家という制度に求める意識であり、「世界市民意識」とは、いわゆる「コスモポリタン」としての自覚のことで、自分が一つの国家の国民である前に(あるいは同時に)、全世界の住民(世界市民)であるとする意識である・・・と定義しておく。
ユネスコ憲章の前文には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない。」とある。しかり、あらゆる人為的制度も人の心の中から生まれて、その外側に形を作り、制度化(法制化)されることで固定化されるのである。
したがって、私の総論的意見は、まことに単純ながら以上を結論とする。
しかし現実世界では、歴史的な経緯や覇権《はけん》や各種の利権が渦巻いている。複雑にもつれたカイトのラインを元に戻すのに苦労することが多いように、根深く錯綜《さくそう》する事情を調整するには、一定の手順を踏んだ、相当に根気を要する作業が必要となるだろう。
次の各論的意見では、少しその辺り触れる。
(つづく)
今日で八月も終わる。今月はなんだかんだと忙しい日々が続いた。昼間の気温はまだゆうに三十℃を超えて充分に暑い。だが、辺りに漂う空気は着実に秋の匂いが濃くなってきている。今日などは、湿度が低かったということもあるのだろう、気温のわりには爽やかで、別府の海に久々に入った西風順風が殊に心地良く感じた。
しかし最近、なんだか忘れモノが多い。めんどくさい事はなるべく忘れ去ることにしている私にとって、忘却は得意技の一つではあるが、必要な物をどこかに置き忘れたりするのは、普通喜ばしいことではない。「普通」というのは「特別」があるからで、意図しない亡失が、より良い結果をもたらすことも、時々はある。
先日は愛用の板を堀江海岸に置き忘れて、どうやら引き潮の土産にしてしまった。今日の別府では、車内の定位置にハーネスが無いことに初めて気が付いた。これはどうも徳島のどこかで眠っているようだ。
新たに届いた板は、同じメーカーのまったく同じ板のはずだったのだが、幾つか気になっていた点をちゃんと仕様変更してあって、一言で言うと、更に快適に走り、楽に跳べるようになっていた。
ハーネスは、ジャンプの際のズレ上がりを嫌って、長い間、手製のフンドシを取り付けていたのだが、私が信頼する或るイントラ・ディーラーに相談したら、彼に「どんな種類のジャンプにもズレ上がることなく快適に使用できることは私が保証する」とまで言わしめる優れモノがあった。
話は少し跳躍するが、人間は記憶する動物であるがゆえに忘却する動物でもある。何の用にもならない過去はどんどん忘れ去ればよい。しかし、できれば消し去りたいと願うような過去でも、現在の自分が変化すれば、その意味付けも変化する。大きく変われば大きく変化する。過去の体験の意味・評価が変わるということは、言い換えれば「観え方が変わる」ということで、それは実質、自分の中で過去が変わるに等しいと言えるだろう。
深い苦悩や重い後悔の過去が、現在の喜びの原因となり、未来の成長の要因となることも確かに有るという事実は、すでに多くの人たちが、それぞれに貴重な例で示してくれている通りである。
民主主義とは政府内部で権力を排除することではなく、共同体全体の権威を基にした法との協調によってのみ、権力の使用が許されることである。世界的な民主主義における権力とは、世界的共同体によって権威付けられることによって許される限りにおいて、使用され得るものである。
-クウィンシー・ライト『過渡期における政治的状況』
アメリカ合衆国・日本大使への書簡 2012年7月14日付
拝啓、H・E・ジョン・V・ルース大使 閣下
昨年の九月の貴殿への書簡の中で、私は国際連合憲章が想定した「過渡期」に踏み出す必要性について示唆しました。私はまた、五常任理事国が。そのプロセスを開始することがほとんどできなくても、ヨーロッパ各国は強力な立場にある、という私の信念についても述べさせて頂きました。
先日、東京において、私はドイツ国・日本大使のフォルカー・スタンツェル博士と、「過渡期における安全保障の合意事項」について会談しました。続いて、彼に宛てた書簡(同封)の中で、アメリカ合衆国とドイツ国とが来《きた》る「広島の日」に、旧ドイツ国によって引き起こされた先の戦争全体への謝罪と、戦争終結の手段として実行された原爆投下に至る経緯の概要などを含めた「共同宣言」を発表することを提言しました。私はすでにインドの日刊紙・ステイツマン紙上に同趣旨の小論を寄せています。
これまでにこのような提案が成されたことがあったかどうか、私は知りません。しかし、かつて、アメリカの指導者たちの心の中には、戦争が全面的に廃絶されるべきものであること、その目的のためにこそ原爆の使用が手段化されたのである、という考え方があったように私には思えてなりません。これに関連して、当時の合衆国大統領、ハリー・トルーマンは軍隊に向けた彼の対日戦勝演説の放送の中でこう述べています。「我々は地球上から戦争を廃絶しなければならない。地球が我々が知っている形で存続するのであれば。」
(同様の意図を合衆国が持っていたことの証拠は、アイゼンハワー大統領のスピーチの幾つかにも、1961年のマクロイ-ゾーリン合意の中にも現れています。)
私は、原子爆弾がもしもドイツに落とされていたら、この戦争廃絶という目標は達成されていたに違いないと確信しています。しかし、日本への原爆投下について同様のことを言うことはできません。恐らく、原爆を落とされたという事実は、その後日本が、自らの憲法の中で、戦争廃絶に向けての課題を扱うための視座に力を貸すことになったのでしょう。
先の書簡で述べさせて頂いたように、私は、この点に関して、両国がその歴史的に明白である、「特別な責任」を負うことによって、また、集団安全保障システムを目的とし、法的に「安全保障上の主権委譲」を定めた1949年憲法の趣旨によっても、ドイツ国がその移行過程への導因になると信じています。
(この“安全保障上の主権委譲”という言葉は、私が信書を交換しているジャン・ティンベルゲン教授が、国連安全保障理事会に向けて使った用語です)
私はまた、かつて植民地主義を採っていたフランスやイギリスが、インドのような偉大な国の代理役となるかもしれないことを提案させて頂きました。インドは、国連憲章の27条2項による「手続き条項」に従い、各国の合意さえあれば、当然、安全保障理事会の常任国の候補になってしかるべき国であります。
この目標達成への道のりは遠いものになるでしょうが、今はまさに、その過渡期に踏み出す時であり、ドイツと米国が共同声明を発表する時であります。
この件について、貴殿が米国政府に働きかける機会を見出して頂ければ、私の喜びこれに優るものはありません。
敬具
自由・独立的、活動家かつ研究家: 歴史平和学者、クラウス・シルヒトマン
日本語訳: 渡 辺 寛 爾
同封:
・駐日ドイツ大使、フォルカー・スタンツェル博士宛ての書簡
・日刊紙ステイツマンへの寄稿記事
・クインシー・ライト著『過渡期における政治的状況(1942年)』
・IPRA(International Peace Research Association:国際平和研究協会)での私の講義(抜粋)
○カーボンコピー送付:駐日ドイツ大使、五常任理事国大使館、インド大使ほか
中庭のゴールドクレストに野鳩が卵を産んだ。私が喫煙場所にしている部屋の真正面、ベランダから2mも離れていない。
かなり以前から、この大木がたいそう気に入っている鳩が近所に住んでいて、時々ベランダの手すりを不器用に歩きながら、それとなく私の動きに注意していることには気付いていたし、私の方も鳥たちの来訪は大いに嬉しいことなので、「なんも悪いことはしないからいつでも好きなときにおいで」・・・ぐらいの気持ちで放っておいた。
それが、まさかこんな至近距離に質素な巣を構えて子作りをしているとは思ってもいなかった。しかも夫婦の二羽で。
人間の基準でいくと、これがまた、とんでもなく仲が良い。一羽はたぶんメスだろうが、少なくとも日中の大半の時間は卵を抱えているのでかなり痩せている。そこへカタワレがお腹にしっかりと餌を蓄えて帰ってきて、ツバメの親が子ツバメにするあの口移しの要領で、けなげに栄養を与えている。
とりあえず、たった一個の卵が無事に孵《かえ》って、家族がもう一羽増えるのを、そっと観察しながら楽しみにすることにする。
この嘴(くちばし)だけ黄色く目立つ鵜君は、もう一つ見事な技を見せてくれた。螺旋(スパイラル)を描くランディング・アプローチである。
人間の世界では、どんな大型のジェット旅客機も小型のプロペラ機も、各種のマイクロライト機でも、さらに無動力のグライダーやパラグライダーでさえも、着陸の最後のアプローチ(ファイナル・アプローチ)は直線で行う。
アクロバット飛行を好むパラグライダーのパイロットが、たまにスパイラル・ダイブで地面スレスレまで急速に降下して、接地寸前に横向きの揚力を縦に戻しながら無事着陸することはある。これにはかなりの危険が伴い、当然、極めて高度な技量を必要とする。私にはとてもあんな器用なことはできない。しかし、それとても、大きなバネを縦にしたようなマヌーバ(軌跡)で、正確にはネジ状の螺旋スパイラルではない。
ところが多くの鳥たちにとって、スパイラル・アプローチは当たり前の日常的技術だ。今回の鵜君は高度三十メートル辺りから右に旋回をはじめ、正確に旋回半径を縮小しながら五旋回ほどした後、彼が目星を付けておいた水面の或る一点に、ほとんど音もなく着水した。
自然に生きるものたちが、滅多なことでは、まず無理や無駄というものをしないことを、私はよく知っている。彼(彼女かもしれない)が、もっと単純な直線アプローチを採らなかった理由は、朝食の餌に供する小魚の様子を上空から正確に伺《うかが》い、もっとも効率的に必要量の食餌を済ませること・・・そして、それが彼にとって大きな喜びであっただろう・・・ということである。
動物や植物は人間のような言葉は使わない。しかし、それぞれの表現手段を持っていることに疑いの余地はない。ドリトル先生がオームのポリネシアに動物語を習い始めるとき、ポリネシアがまず教えたのが、「彼らは身体の動き全体を言葉にする」ということだった。
私も多くの人のように、少なくとも犬や猫やイルカが、身体だけでなく、その鳴き方や顔の表情で幾つかの感情や意思を現すことを知っているが、それ以外の動物たちも仲間内では、恐らく相当に明白な顔面表現も使っているのではないか・・・と想像している。
人間と他の動物たちの間に本質的な違いはなく、大きく見れば似たような身体器官を持ち、似たようなものを食べ、生きて死ぬことは同じである・・・という事実を、あのB・ラッセルも、かなり厳しかったはずのアメリカ生活時代に、『動物が喋れたら』と題する、彼らしい随想の中で述べている。
興味がある方は以下のリンクからお読み頂きたい。
http://www005.upp.so-net.ne.jp/russell/ANIMALS.HTM
先の日曜・月曜は徳島で過ごした。いつもの思い付きではあるが、松山周辺は当分風が弱く、昼間は耐え難く暑く、太平洋高気圧がまだまだ元気な天気図をどう見ても、徳島にはあの南寄りの風が入り続けるように思ったからでもある。
今回は日曜日の午前中から出発して、ノンストップで車を走らせたら、どれくらい速く到着するか試してみることにした。結果は約五時間。道中今まで、お店に寄ったり森や川を眺めたりの休み楽しみに、一時間以上使っていたということだ。
小松海岸に三時半に着いた頃には、すでにIさんは12㎡でグラハンに精出していた。南南東から7mほどの順風。昨年の7月に知り合ってから、彼の技術や道具にとっては、初めてのまともな風だった。
もう一年以上が経過したわけだが、これまでご一緒した数回、海上走行には弱すぎたり強すぎたりで、一定角でカイトパワーを維持しながら走り続けるのは難しかったのだ。結果、数レグの三角走行ができるようになったので、この日を「初走行記念日」とした。後は、成功体験のイメージ・トレーニングやら、徹底した楽観主義の話やら、あれこれの思い付き話を暗くなるまで。
この夜はいつもの私的小松海岸には珍しいことに、雨もカミナリもなく、対岸遠くに見える花火大会や、紀伊水道上空を覆うようにまたたく星々を眺めながら、涼しい夜を過ごした。翌日もほぼ同様の風。昼過ぎから4時間近くぶっ続けで自分の走りに没頭した。
最近見つけた吉野川上流域のパラダイスによって、徳島行きの楽しみは二倍になった。ここは愛媛の東のはずれ、徳島の西のはずれに位置している。一服休憩にはもってこいの場所である上に、ダムの上流にあたるから水が実に澄んでいる。
前回、水際の水中に腰を下ろして涼をとっていたら、たぶんアユの稚魚が大勢でやってきて、まるでドクター・フィッシュのごとく、私の脚の甲をツンツンとつつくのである。こんな嬉しい出来事も少ないだろう。
近くにはダイサギの夫婦か恋人たちが住んでいて、夜の暗がりの中で、「ガー、ギャー」とお話をする。「鳥類は夜目がきかない」というのは、一般論としては間違いである。百メートルほどの距離から、下流の一羽が少し控えめにグアーと鳴くと、零点数秒後に上流の一羽が元気にギャーと鳴き、そのやり取りを何回か繰り返しながら、互いの間隔を徐々に詰めていく様子が、暗闇の中でも手に取るように分かった。
早朝には、これも近くに居を構えているにちがいない鵜《う》が一羽やってきて、まことに見事な直線ローパスを見せてくれた。高度は三十センチほどだろう。もちろん羽ばたいているのだが、鏡のような水面がまったく乱れないのである。
地面効果というか水面効果というか・・・航空の世界ではそれなりに高度な理論や技術以上のものを、彼らは自然のままに身に付けているのだ。
(つづく)
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