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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   
カテゴリー「風」の記事一覧

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別府(Giving Spirit)

全ての生き物たちが長短の呼吸と共に生きているように、地球という大生命体にも大きな呼吸というリズムがある。これが単なる気象学的定義を超えた、いわば生命的・哲学的意味での「風の本質」だと言ってよい。

『風の博物誌』のライアル・ワトソンは、数十年前に、これを"Breath Of Heaven"「天の息」と呼んで、のちのトレンドとなるガイヤ(地球生命体)理論に先鞭を付けた。

呼吸は呼気(吐く息)と吸気(吸う息)とその間の間(ま)で成るわけだが、風読みの世界にいる人間は誰でも、一定時間の風の後には、必ずお休みの間が生まれるということを知っている。

数日間順風に恵まれた別府も、昨日は静かな様子だったのだが、昼過ぎたころから、少々西風の匂いがしてきた。今日はM君の顔も見たいし、カトちゃんも来るかもしれない。どのみちお盆の里帰りで、道中別府エリアを通る。
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やはり、それなりの南西ブリーズが入り、皆さんそれなりの走りで楽しむことができた。久しぶりにM君の走りを見たが、ちゃんとジャイブスイッチをマスターしている。身軽な彼にはトルク重視の12平米に適当な板を組み合わせれば、大概の風で走れそうだということもよく分かった。

カトちゃん・・・グラハン4回目。今日は10平米を使う。M君、石やん・・・サポートありがとう^^。人に何かを伝えたり教えたりすることは、そう楽な作業ではないが、人のために何かをしようとすることで、返って自ら得るものが如何に大きいか・・・。

またしてもサーフィンの話しが出て来る。その発祥地であるハワイアンの基本精神の一つは"Giving Spirit"であり、私も敬愛するジェリー・ロペツやポール・ストローチなどは、まさにその体現者だ。ジェリーは「自分に何もなくなっても与え続けようとすること」、ポールは「与えたものが自分の中からなくなることは永遠にない」・・・と語っている。もう少し言うと、ハワイアン・スピリット中には、他に"Respect"がある。「人を尊敬すること」・・・恐らくこれらの精神は、遠く古代ポリネシア文明にまで遡ることのできる、人類の倫理遺産と言っても良いものだろう。

また、或る仏典には、釈尊の前生譚(ぜんしょうたん・前世のお話し)として、不軽菩薩(ふきょうぼさつ)という人物が出てくる。人を軽んじない菩薩という意味だ。貧しい身なりで、どんなに罵詈雑言(ばりぞうごん)を浴びせられ、殴られ、石を投げられたりしても、「私はあなたを敬う。全ての人には仏性という、尊極の生命が内在しているからだ」と、自分を迫害する人たちを拝んで廻る姿だ。

ジェリーの話の中には、ハワイ文明から古代ポリネシアに至り、更にそれらと古代インド文明との関係に触れる部分が出てくるのだが、この辺りの不思議ともいえる相関性について、私の興味が尽きることはないだろう。

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風予報

『風の博物誌』の著者で、知る人ぞ知るライアル・ワトソンは、「風は(単なる)空気の運動です」・・・などとは言わない。これは、一つの気象学的定義であり、その本質ではないことを見抜いていたからだ。彼は、「風は地球という大生命体の呼吸だ」ということが言いたくて、あの大部の名作を書いたのだ。原題を「Breath of Heaven(天の息、あるいは、天界の呼吸)」とした理由はここにある。

だから、風を相手に何ごとかを成そうとする人間が、未来の風を完全かつ正確に予知するということは、壮大な生命現象を完璧に解明するのが不可能なくらい不可能な試みである。

しかし現在、頭が熱く、アホレベルが相当に上がっている私は、久しぶりに明日の風予報がしたくてたまらなくなった。今日の堀江は微風で蒸し暑く、明日はどんなんかな・・・と、今日と明日の天気図を見比べてしまったということもある。

「明日は久々に別府に南西風が入り、それなりに楽しい半日になるでしょう!その理由は以下の天気図の高気圧の位置と等圧線や気圧傾斜の変化の具合をご覧下さい」・・・以上でございます。

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冬の嵐

朝から事務所前の大木がヒューヒュー言いながら大きく揺れている。倒木防止のためにベランダの手すりにロープでつないでいるのだが、その手すりもキーキー悲鳴を上げている。このあたりではめったに来ない冬の嵐・・・見事な大西風だ。

塩屋の様子を見てみたら風速計の支柱も揺れている。近在のアメダスは12時の時点で平均風速21m・・・ちなみに気象庁は毎時10分前からの風速変化を平均する。最大風速は平均風速のおよそ1.5倍はあると考えていいから、海岸では時に30m近くの暴風が吹き荒れているだろう。

この冬最後の大西になるかもしれない。塩屋アメダスの風速画像にオレンジが出ることは珍しいのでUPしておこう。110212-s-w.JPG

大気密度

今日は、とりかかったら切りがない事務所の大掃除が待っていますが、またしても迫りつつある寒波には逆らえず、昼から海に出る気もしないので、またもや左脳寄りのめんどくさい話しを少し書きます。

めんどくさいといっても、空気のことですから、風を読みながら生きている人間にとっては日常の一部。いや、どんな人々にとっても、あらゆる生物にとっても、生きるにこれ以上大切なものはないにちがいありません。

ところが、星の王子様のキツネ君が言うには、「ほんとうに大切なものは目には見えないもの」らしく、空気やその動きである風自体も、簡単には人の目に見えず、その「大切な」性質を知るには、目以外の何かをも使う必要があるでしょう。

それは、音であったり、匂いであったり、感触であったり、それらが統合された「直感」であったり、それ以外のシックススセンスだったり^^;・・・感覚的なものだけでもいろいろありますが、意外と役に立つのが、こないだも少し触れた理論と実践の「理論」だったりするのです。

大気密度の理解は空気力学の前提みたいなもので、私たちがしばしば口にする、「今日の風は重い、軽い・・・」とかの理論的根拠もだいたいはここに求めることができます。ただ、こういう話しの解説本やWEBサイトは他にいくらでもありますから、ここでは、実際、海の現場で出会いそうな例をあげながら、季節や気象によってどのくらい風の重さが違うか計算してみることにします。

真夏の空気:標準気圧、気温35℃、湿度80%、と真冬の空気:標準気圧、気温10℃、湿度30%で比べてみると・・・途中のめんどくさい数式は省略して・・・真夏は1㎥で1.127kg、真冬は1.269kgで真冬の方が12~13%重いということが分かります。これを「たったの!」と思うか「こんなに!」と思うかは、人それぞれ、その空気の中で「何をするか」によるでしょう。私はしばしば「こんなに!」と感じるのですが・・・。

※ちなみに動力を使う空の世界では、大気密度は飛行翼の揚力、エンジンの燃焼効率、プロペラの推力、この3つに直接影響するので、1.25の3乗で1.95・・・ほぼ2倍という圧倒的な違いになって現れてきます。

更に、海の上を動く空気は地形や海水温や潮流などの影響を受けて、この基本的な重さに感じ方の変化を与えます。わりあい分かりやすいのは、上から下へドンと吹き降ろして来る感じや、下から上へフワッと吹き上げる感じの風。岬近辺を走っている時の収束される風や拡散される風・・・・。IMGP0260s80kb.jpg

※画像:たいぶ前から事務所前の大木に住み着いているジョロウグモ。冷たい西風を避けるようにちゃんと東に向けて巣を張っていますが、最近の寒さと昨日の暴風にはかなり参ったようです。せっかくのお家もズタズタになり、何かにじっと耐えている・・・という風だったので、ちょいと体を撫(な)でてやりました。

大気密度

今回は大気密度について書くつもりでしたが、少し思うに、大気密度を決定する「大気圧」・「温度」・「湿度」のうち、主に高度にともなって大きく変化する大気圧は、ほとんど地上付近で活動する風読みスポーツでは無視してもまず問題が起こらない。(頭痛・神経痛・関節痛など持病持ちの人には時に深刻でしょう)

カイトやウィンドで日常的に感じられる風の軽重は、温度や湿度の変化がベースにあって、さらに空気の上下動や拡散・収束・・・など、実にさまざまな要素が組み合わさって生まれるものであるということ。そして、温度も湿度も、上がれば上がるほど空気は軽くなるということを知っておけば、四季の風質(かぜしつ)の違いにも更に敏感になるかもしれません。

常識的感覚では、湿度が上がって水蒸気量が増えれば、空気はそのぶん重くなるはずだろう・・・と意外に思われるかもしれませんが、この説明を始めるともっとめんどくさい話になるのでこのあたりで止めときます^^;。kouzou.png

めんどくさい話のついでに、空気大気の違いは、大気の下層部分を空気と呼ぶのだそうです。日本付近の緯度で高度10km(極地と赤道下では倍近い開きがある)あたりまででしょうか。もっとついでに、この高度1万メートルまでの大気の層は対流圏とも呼ばれ、地球の自転や太陽熱の働きで、ほとんど全ての気象現象の舞台になる空間です。

特殊な軍用機やバルーンを除いて、旅客機なども大体この辺りを巡航しているのは、それ以上になると翼の揚力やエンジンの推力が極端に落ちるからですが、1万メートルといえば、たったの10km・・・半径6000kmの地球全体をリンゴに例えるとその薄皮にも満たない、きわめて儚(はかな)い膜のようなものです。時速40kmの車を縦に走らせるとたった15分で到着してしまうのですから。

このようにイメージすると、私たちの生命活動がどれだけ微妙で貴重な空間で営まれているか・・・ということを少しは実感することができるのではないでしょうか。

空気の運動-2

昨夜の記事を今朝読み直したら、そう変なことも書いてなかったようなので、空気の話をもう少し続けます。

空気の重さに続いて、通常の感覚でなかなかピンとこないのは、その中に含まれる水蒸気の量です。水は固体、液体、気体と、たった100℃の範囲内で物質の三態を演じるという、これもまた極めて特殊な存在なのですが、分子式H2Oが気体で存在する時、これを水蒸気と呼びます。

水蒸気は窒素や酸素などの分子の隙間(すきま)に散在するので、その隙間が広いほど多く居候(いそうろう)できるわけで、温度が上がることによって分子活動が盛んになるほど多く存在できるようになり、その最大量も決まります。いわゆる飽和水蒸気量とよばれるものです。

今の室温12℃でちょっと計算してみると、飽和水蒸気量は1㎥あたり10,68g、もうちょっと暑くして23℃だと 20.59g・・・約2倍。これをまた私の6畳間(湿度50%)に当てはめると 10.68×0.5×37.5=2002.5 となり、2kgつまり2リットル入りのペットボトルで一本分の水蒸気の中で、私はコタツに足を突っ込んでいる・・・ということになります。

ちなみに、今となれば有難かった暑い夏の日は34℃まで上がりましたから、湿度80%として 37.59g(飽和水蒸気量)×0.8で約6リットル、ペットボトル3本分であります。茹(う)だるような暑さ・・・たしかに6リットルのお湯で茹(ゆ)で上がるような感じでした。

まあ、こんな掛け算だけでも、基本文系の私にはなんだかめんどくさい話ではあるのですが、なんでこんなことをするようになったかというと・・・空気についてのもろもろの性質は、言うまでもなく空を飛ぶのに欠かせない基本要素だったからです。

これら空気の重さ(大気圧)と温度と湿度は、大気密度を決定する3要素で、この大気密度はあらゆる飛行翼や動力部に直接影響して、さまざまな飛行形態を決定し、時には人の生死を決定する場合もあるということを知らざる得ないことになったからです。しかしまあ、それは海の風読み世界でも似たようなものでしょう。

風の表情や性質について少し書こうと思ったら、やっぱり空気の話になってしまいました。どっちにしても、L・ワトソン先生も言うとおり、「風を言葉の檻(おり)に飼うことあたわず」なのでしょうが、次回はついでに大気密度について、またいい加減な思い付きを書くことになるでしょう^^;

空気の運動

今日はちょっと飲んでいるのでロクなことは書けません。後で読み返してあんまりひどければ削除しますが、これを見た方は、めったに現れないだろう(でもないか^^;)戯言(たわごと)に遭遇してラッキーだったと思って頂けると幸。IMGP0111s80kb.jpg

昨日の堀江の風は「浮き足立って」いました。方向的には比較的安定した、そうガスティでもシフティでもない北東風ですが、カイトが受ける感じは軽かったり重かったりで安定しない・・・12㎡で走るには走りましたが、そう面白くない種類の風でした。

風を定義すると「空気の運動」という実にシンプルな表現で終わります。そして、空気とは何か・・・運動とはなにか・・・についても、物理・化学的にそれなりの説明を続けることができるでしょう。IMGP0110s80kb.jpg

それはそれで面白い。たとえば、空気の99%は窒素と酸素(後の1%にアルゴンやメタンや二酸化炭素など・・・)からできていて、窒素はきわめて酸化しやすい元素であるにもかかわらず、何億年も前からその組成比率(約4:1)が変わっていないということや、酸素がと2%ほど増えれば世界中は山火事だらけになり、窒素が数%増えれば地球は救いようのない氷河期になる・・・なんて奇妙としか言いようのない事実があります。

私が驚いたのはもっと単純ことで、空気の重さ。空気も物質である限り質量(重さ)があることは当然のことではありますが、地上付近の空気が1立方メートルでほぼ1kgもあると知った時はある種の感動に似たものを覚えました。

1立方メートルといえば、両手を広げて「これくらいの大きさ」と示すことができる程度の大きさです。私の部屋は6畳間で、だいたい2.5m×3m×5mで37.5㎥はありますから、40kg近い空気で満たされていることになる。40kgといえばちょっとスリムな女の子の体重ですよぉ・・・これが驚かずにいられようか・・・。

さらにこの中に含まれている水の量(世間では湿度という)・・・私はこれにまた驚くのですが、そろそろ頭が回らなくなってきたので今回これまで・・・ともかく、世界は驚異に満ちているのであります^^。

追憶

今日は朝から空が暗く、一日を通してしとやかな秋雨が止むことはありませんでした。雨空に無風・・・風読みスポーツにとっては致命的です^^;この一週間、日曜日の練習を心待ちにしていたM君のガッカリは想像に余りあります。

私はというと・・・日曜日に丸一日家に居るなんてことはめったにないことで、これまた幸と、こないだからすっかりはまっている米国TVドラマの“『カイル』・「ファーストシーズンDVD全10回」”の後半部分を数時間かけて堪能しました。「カイル」と「カイト」・・・ユングの言う「共時性」がここにもあるのでしょうか・・・^^;?

待ち遠しかった週末・・・もう30年も前の思い出話しを少し。

私が「風読み」の世界と出会ったのは、ここにもよく出てくる堀江海岸でのウィンドサーフィンでした。東京での長い学生生活を終えて松山でサラリーマン生活を始めた私が強く思ったは、(こんなに海に近い街で暮らすのだから、何か海のスポーツをやらない理由はないだろう・・・)ということでした。

まず思いついたのはヨット・・・堀江近在には昔からヨットハーバーがあり、海岸ではディンギーが走っています。しかし、私がそこで目撃したのは、白く細長い板のようなボードに小さめのディンギー風セールで快走するウィンドサーファーだったのです。その走りのいかにも爽やだったこと・・・即座に「これしかない!」と直感して、本屋に走りました。「これしかない」とは思ったものの、どうやって始めたら良いか、とりあえず見当が付かなかったからです。

1980年の頃、ハワイ生まれのウィンドサーフィンが日本に上陸したのは70年代の初頭ですから、既に10年近くの先輩方もいたはずで、既存のヨット協会と関係したクラブ(フリート)もあったわけですが、何も知らない私が向かったのは本屋でした。そこにはちゃんと「ウィンドサーフィン入門」があり、1週間ほどかけて、その扱い方や初歩理論(みたいなもの)で頭の中を満たすことが、始まりの始まりになりました。その薄い装丁の入門書のページをワクワクしながらめくったことは言うまでもありません。

そして、サラリーマン生活初のボーナス日・・・6月末を待って、たまたま職場の近くにあったショップで、初期のサーファー艇を注文しました。当時の初任給の倍近い¥198000は決して楽な買い物でなかったことは確かです^^;

数週間後・・・堀江の海に浮かべたボードに乗って、教科書どおりのセールアップから・・・その日は北風微風だったということもあって、これが意外と簡単に立ち上がり、セールをわずかに引き込むと足元のボードがゆっくりと動き始めました・・・「おお~!」・・・あの時のあの震えるような感動を生涯忘れることはないでしょう。

この時点から私の「風読み生活」の全てが始まりました。私の仕事は典型的な事務職で、月に一回ほどの出張日を除いては、8:30からキッカリ17:00まで、椅子に座りっぱなしで電卓をたたきながら書類作成に明け暮れる日々でしたが、時おり、広い事務所の窓を通して街路樹が風に揺れるのを見たりすると、心が騒いで仕方がありません。当時はまだ週休一日半の時代ですから、土曜日の仕事終わりがどれだけ待ち遠しかったことか・・・。

そして・・・一年足らずで、アビーム走行からクローズドホールド、ラニンング、タックにジャイブ・・・およその基本が身に付いた頃には、夕方5時の終業時間が来るやいなや事務所を飛び出して家に帰り、堀江まで一直線・・・という生活スタイルになっていました。もう日も暮れかかった時間ですから、日中の風がそう残っているわけがないのですが、それでも夏場は2時間ほど海に浮かんでいることができます。時には台風の日もあり、冬場は大西(風)の残余を楽しむこともできます。

こうして、3年もたつと、もう完全にウィンド・ドランカーとでも呼ぶしかないような状態になっていたと思います。頭に懐中電灯を付けて暗闇の海上で風を追っかけていたのもこの頃です。

今回ここまで・・・失われた「記憶」を鍵に進行する「カイル」の残像に刺激されてちょっと書いてみました。しかし、私ははまだ追憶の連鎖に浸り続けるほど老いてはいないようです。

台風

こんな季節にこんな進路で台風がやって来ました。いつもの堀江海岸は東に寄ったガスティーな強風が吹き荒れることになるでしょう。定点カメラの様子も見ながら出かけるかどうか決めようと思っているところです。今回の台風は、この数日強かった高気圧からの吹き出しと相互に作用して、相当な風台風になりそうです。101029taofu.JPG

以下、数年前にどこかで書いた記事を転記します。

「大型台風が通過している。福岡を過ぎてもう日本海に抜けた頃か、東風が南風に変わりビュービュー電線を鳴らしている。朝までには南西に変わるだろう。
20cmほど開けた南向きの窓から吹き込む突風が時おりこのPCの液晶モニターも揺らしている。雨は降っていない。

私は子供の頃から台風が好きだ。生家は漁村にあり、夏休みが終わる頃から年に何回かやってくる台風が待ち遠しくてしかたがなかかった。その進路が学校の直撃コースに入って臨時休校になるかもしれないという楽しみも含めて、テレビで台風情報が流れ出すとワクワクして何度も進路を確認する。

当時は現在のように確率円ではなく分かりやすい扇状の進路予報だった。 南向きの漁村は海が東に開いていて西側は岬で守られいる。台風中心が島の南側を通ると、東風(コチ)がまともに入って高波が押し寄せ、突き出た防波堤が波をかぶるようになる。

私たちの楽しみは、その防波堤のコンクリート柵にじっと隠れて次々突進してくる高波を待ち構え、壁にぶつかった大波が白波を垂直に打ち上げた直後そこらじゅうを洗って内港になだれ落ちる間、その場に存在し続けることができるかどうか・・・という、肝試しみたいな遊びだった。

もちろん下手をすると膨大な海水と共に内港に落ちる。今の親が見たら卒倒しそうな遊びを・・・いや、当時もかあちゃんの目を盗んでやっていたのだが・・・小中学校を通して楽しんでいた。

更に、台風は滅多に大波の立たない瀬戸内海でサーフィンができる唯一の機会でもあった。もちろんサーフボードなんてものはない。漁船のイケスの蓋(ふた)が代用品だ。しかしオーバーヘッドのビーチブレイクで揉みくちゃになるだけで満足だった。

そして、台風が過ぎ去った後に残る、あの突き抜けた秋空にも似た体や気分の爽やかさ。 今の私は台風は地球大気を大循環させて、地上の芥(あくた)類を大掃除しようとする大自然の有り難い自浄作用に違いない、と考えているが、本来自然から生まれ出る子供たちはそんな難しいこと知らなくても、この母なる自然の恵みを、あのじっとしてられなくなるような生命の躍動と共に本能的に感じ取っているものなのだろう。」

天気予報

一昔前と比べれば最近の天気予報はよく当たるようになってきました。気象予報士の制度ができてから、民間が予報業務に参入したことや、計測機器の発達や情報量の増大などがその理由でしょう。しかし、こと地形風に関しては、単純な(・・・でもないか^^;)数値予報でドンピシャと決定できるほど、簡単なものではありません。そして、私たち風読みスポーツを愛する者にとって、もっとも身近で大切な風がこの地形風なのです。

101028tenki.JPG今朝の天気図はこれ・・・昨日一昨日と強風を運んだ高気圧の中心が太平洋に抜けて、南西諸島に近づいている台風の影響がそろそろ出始めています。この天気図では四国付近で等圧線が湾曲して気圧傾斜が大きくなっているので、晴れたり曇ったりしながら今日もそれなりの北東風が吹くでしょう・・・これが大局的な気象の読みです。

堀江海岸は北北西に面して緩やかに湾曲しながら海に開けているので、およそこんな大雑把な読み方で外れることは少ないのですが、近くに1000m近い高縄山やそれに連なる山間部、その下の平野部が北東方向に位置していること、海水温や潮位の変化、地面が暖まることによって発生するサーマルの影響(いわゆる海陸風)・・・等々で、風の強弱が生まれ、風向も大きい時は10度単位でシフトするようです。

それに、これは空の世界で覚えたことですが、大気は縦方向にも時に激しく動くので、海の上を吹く風でいうと海水との温度差によって、波状の運動が起こります。これは季節に関係なくいつでもあり得ることで、特に寒い時期の海面を少し高いところから眺めると、色の黒くなったブローライン(強風域)がシマウマの模様のように規則正しく縦に並んでいるのをハッキリ観察することができます。

カイト場合、このブローラインのちょっと手前に発生している上昇風を利用すれば、より大きなジャンプができるはずだ・・・と私はニンマリしたりしているのですが・・・^^;;。

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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