内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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Tears of joy are like the summer rain drops pierced by sunbeams.
- Hosea Ballou (April 30, 1771-June 7, 1852)
喜びの涙は、日光に貫かれた夏の雨粒のようなもの。
- ホセア・バロー
美しい表現だと思う。H・バローはニューハンプシャー出身、アメリカ普遍主義の父と呼ばれる人物。
ニューハンプシャーというと、詩人のダン・リースを思い出す。フロリダで数日間キャンプを共にした初老の紳士だ。気が向いた時に、年季の入ったキャンピングカーに愛犬一匹乗せてフラリと旅に出る。犬は雑種で名前をファニーといった。私が母音の“ァ”を米語流に呼ぶと、彼は少し怒りをこめて「そうではない!funnyの“ァ”だ!!」と何度も訂正した。確かに、funnyとfanny"ではえらい違いだ^^;
ビールで酔いが廻ると東部なまりの英語でとうとうと詩を吟じ始める。私はその内容をほとんど理解できなかったが、彼がアメリカ的“自由”というものを骨髄にし、ペリカン鳥に惚れているということは良く分かった。
私も酔いにまかせて「世界の最短詩は日本の五七五である。古池や・・・を英語にするとこんな感じであろう・・・」などと適当な講釈をたれたら、彼はすでに俳句についてもよく知っていた。酒宴の話題が宗教に至り、輪廻思想や生命の永遠性に言及すると、彼は断固としてそれを否定した。楽しい出会いだった。
Hatred is self-punishment.
憎悪は自己処罰である。
Doubt is an incentive to truth, and patient inquiry leadeth the way.
疑いは真実への誘引であり、忍耐強い探求が道を開く。
Falsehood is cowardice, the truth courage.
虚偽は臆病、真実は勇気。
Real happiness is cheap enough, yet how dearly we pay for its counterfeit.
本当の幸福は充分に安価であるにもかかわらず、その偽物にどれだけ高価な代金を払っているだろうか。
空色が深さを増している。地平から天頂に向うに従って青色が濃くなる。大気層を横に見るか縦に見るかの違いだ。明るく透き通った大気。日本には四季それぞれの空色があり美しさがあるけれども、この季節の大空の清澄感や透明感ほど爽やかで快いものはない。
透明・・・澄み切って濁りがない様(さま)・・・良い言葉だと思う。透明といえば、この春からB・ラッセルの論文集に目を通しているのだが、BBCの“Face to Face”というTV・インタビュー番組の中で、冒頭、女性司会者が彼を紹介するに"transparent honesty(透明な誠実さ)"・・・などという洒落たフレーズを使うのである。
ラッセルの文章を読んでいると、かつて加藤周一から受けた一種の知的衝撃に似たものを感じることが多い。混沌(こんとん)から秩序を生み出すように、愚昧(ぐまい)な頭の中をスッキリと整理させる正確な言葉の選択と明晰な論理。透徹した洞察力。時に情熱的で力強い表現力。
数学・物理はもとより歴史・哲学・教育・政治・文学・芸術、そして反戦反核を中心とした活動と、ほとんど世界万般に渡る彼の関心と探求は、97歳で亡くなる1970年まで衰えることはなかった。私が16歳の時だ。わずかな期間とはいえ、彼のような人物と同じ時代を生き得たことを幸せだと思う。
透明な・・・もう一つ忘れられない一文がある。R・W・エマソンの"In the woods, I become a transparent eyeball"(森の中で私は透明な眼球となる)。18世紀前半に書かれた"Nature(自然)"の中でこの一文に出会った時も、私はかなりの衝撃を受け、彼は真実を語っている・・・と思った。
時代的には、ラッセルは私の祖父の年代に当たり、エマソンはラッセルの祖父の年代に当たる。実に雑なラベルを貼れば、方や懐疑的合理主義、方や直感的神秘主義。一瞥、およそ対極的な人物のように見えるが、私はどちらにも強く魅かれる。
ハッキリと言えることは、お二人とも、決して時流に迎合せず、真実を愛し虚偽を憎み、率直に語り誠実に生きた・・・ということである。
こないだ、孔子の話がでてきたので、論語を巡る思い付きを少し・・・。
論語には「君子(くんし)」と言う言葉が頻出する。現代では死語に近くなっているので、これを「人格者、立派な人物、達人」あたりに置き換えると分かりやすい。同じく「小人(しょうじん」は「未熟者」程度の意味でどうだろう。
カイト生活最初の1年ほどの間、ずいぶん熱中したボード製作の最後一板のデッキに、私は論語の「和而不同(和して同ぜず)」と大書した。この四文字は反芻(はんすう)すればするほど味が出てくる。(子路・23)の、子曰「君子和而不同 小人同而不和」。孔子先生は言った「人格者は調和するが雷同しない。未熟者は雷同するが調和しない」が原典だ。
この数千年前の人間観察は、そのまま21世紀の現代社会に生きる私たちの周囲でも日常的に観て取ることができ、彼の洞察力がいかに正確であったかが良く分かる。いやと言うほど雷同することが多く、調和することの少ない私は、時々これを思い出して自戒の一刻にもしている。
「・・・にも」というのは、この四文字を少し掘り下げて考え始めると、個人と集団・社会の関係性の理想形が遠望できたり、西欧の方々が長い時間をかけてその骨髄にし、わが日本でも明治以降、輸入思想の代表格として苦心惨憺しながら取り組んできた「個人主義」の本質的な何かが、「すでに」そこに在ったような気がして仕方がないからでもある。
ところで、「和を持って貴しとなす・・・」は聖徳太子の憲法17条の最初に出てくる一句だが、その後に「忤(さか)ふること無きを宗(むね)とせよ」、つまり「反抗するな」と続く。何に反抗するな、か・・・言うまでもなく当時の朝廷権力だ。
太子が、論語の「君子は和して同ぜず。小人は同じて和せず」から、その「和」の概念を抽出しようとしたかどうかはともかく、人の和が本当に貴くなるには、孔子の言う「同ぜず」の精神が不可欠であることには、知ってか知らずか、彼は触れていない。
論語は儒家の聖典として日本でも長い間読まれ、堅牢な封建体制の思想的バックボーンになったことは周知の事実で、現在も多くの経営者や指導者の伴侶になっているが、私は過去、論語は封建時代の遺物・・・程度の理解でいた。
しかし、心を白紙にして読んでみると、これがなかなか大した倫理・道徳・哲学の書であることに気が付く。「君子は調和する」しかし「雷同しない」・・・こんな言葉は、よほど独立した個人としての自覚がないと出てこないだろう。
また、学而第一の「学びて時にこれを習う、亦た説(よろこ)ばしからずや(学んでは適当な時期におさらいをする、いかにも心嬉しいことだね(」の最後の段、「人知らずして慍(うら)みず(人が分かってくれなくても気にかけない)」などは、一段、二段を受けることによって、より屹立(きつりつ)した一人の人間としての強さと余裕を感じさせる。
人は周囲の他人(ひと)に理解されないと、孤独を感じることが多いが、「孤独」は「自由」の伴侶である。いつだったか、美人女優でフランス生活の長い岸恵子も同じようなことを言っていた。彼女はたぶんまちがいなくサルトルを読んでいる。
やはり、古典は虚心になってじっくり読み込むべきものである。身長2mとも言われる大男の人生の大半が“無冠の一学者”に過ぎなかったということも忘れるべきではないだろう。老荘や古代中国の聖人・賢人と呼ばれる人たちの生き方や思想に、私の興味が尽きることはないので、これからも時々登場していただくつもりだ。
※現代語訳は論語の世界から引用
2日ほどかけて、加藤周一の遺言映画とも言うべき、『しかし、それだけはない。(加藤周一・幽霊と語る)』を観た。感じ、想い、考えることは多くある。今回はただ、彼の最後の言葉を重く聴きながら自ずと連想した、B・ラッセルの「我々の子孫へ」 "To our descendents"の映像記録を、少し長いが、そのまま書き取ってざっと意訳しておく。
INTERVIEWER: One last question. Spposed this film was to be looked at by our descendants, like dead sea scroll thousands years of time, what would you think is worth telling that generation about the life you lived and the lessons you've learned from?
RUSSELL: I should like to say two things. One intellectual and one moral.The intellectual thing I should want to say to them is this. When you are studying any matter or considering any philosophy, ask yourself only what are the facts and what is the truth the facts bear out. Never let yourself be diverted either by what you wish to believe or by what you think it would have efficient social effects if it's where believed. Look only and thouroughly what are the facts. That is the intellectual thing I should wish to say.
The moral thing I should wish to say to them is very simple. I should say, love is wise, hatred foolish.In this world which is getting more and more closely interconnected, we have to learn to tolerate to each other, we have to learn to put up with the fact that some people say things we don't like. We can only live together in that way.
If we are to live together and not die together, we must learn kind of charity and kind of tolerance, which is absolutely vital to continuation of human life on this planet.
インタビューアー: 最後の質問です。もしこの映像が(数千年の時を経た“死海文書”のように)私たちの子孫に見られるとしたら、あなたの人生から学び取ったもので次の世代に語り遺しておくべきことは何でしょうか?
ラッセル: 2つあります。一つは理性的なこと、一つは道徳的なこと。理性的なことで彼らに言いたいことはこういうことです。あなた方が何かを研究(勉強)したり、なにか哲学的な考察をしたりする時、ただ事実が何であるか、事実から導き出される真実がなんであるかのみを考慮しなさい。けっして自分がそうあって欲しいと望むものや、その社会的効果の如何によって目をそらされてはいけない。
事実が何であるかだけを徹底して観察しなさい。これが理性的なことについて、私が言いたいことです。
道徳的なことについて言いたいことは実に単純です。「愛は賢明、憎しみは愚か」。相互のつながりがますます緊密になってきているこの世界では、私たちは互いに寛容であることを学ばなければなりません。誰かが自分の気に入らないことを言う場合にも、それに耐えることを学ぶ必要があります。
そうすることによってのみ、私たちは共に生きることができる。もし私たちが共に生きることを望み、共に死ぬことを望まないのなら、慈悲と寛容の精神を身につけなければなりません。これは人類がこの惑星で存続し続けるために極めて重要なことです。
世界の中で、ほとんど消えるほど小さい意識、個人の意識が、全世界に意味を与える。だから、一人の男に何ができるでしょうか、どうせロクなことはできないと言う(人がいる)けど、そうではない。それは全世界に意味を与えることができるんだ。
‐ 加藤周一 (最晩年の言葉)
「加藤周一に初めて出合ったのは、高校2年の現代国語の教科書の中の『雑種文化』の抜粋だった。その数ページを夢中で読むうちに、乱雑な頭の中がきれいに整理さていくような気がした。彼の文章には独特のリズムがあり、混沌から秩序を生み出すような力がある。曖昧で不安定な周囲の世界がクッキリと輪郭をそなえて、自分の手で確かに掴み取ることができるようなものに変わっていくのだ。
私はすぐに街の本屋に出かけて彼の本を探し、その半生を描いた自伝『羊の歌』を見つけた。岩波新書のこの二冊本ほど、私の青春前期のものの考え方に影響を与えた書物はない。何回も繰り返して読むうちに、その文章は私の頭の中でリズムを伴いながら反響するようになり、私は彼の言葉で考えるようになっていた。
「一日一冊読書」などという無茶な課題を自分に課したのも彼の影響で、今に続く乱読癖はこのあたりに源がある。そして、学年が変わって新しい教科書をもらったら、ほとんどその日のうちに通読して、その中の気に入った筆者の本を、街の本屋や図書館で探し出して読むことを常とするようになった。この方法は英語の学習にも応用されることになる。
加藤が『羊の歌』を書いたのは40歳代後半である。自己の人生を少し腰をすえて振り返ろうなどという気になるには、それなりに大きな契機が必要だろう。大正8年生まれの彼が40代といえば1960年代ということになるが、彼の中で何があったかつぶさには分からない。ただ、私が青春未満、60年安保の空気が残るこの頃は現在と比べて、学生のみならず日本社会全体に自由を求める活力が溢れていたことは確かだ。
1919年の羊年生まれというと、ちょうど私の父と同年で、父はかなり動作が緩慢になってきてはいるが90歳を目前にしてそれなりに元気だ。彼は16歳で海軍に志願して、中国戦線から終戦までの10年間を軍人として生きた。何度かの海戦で船を沈められながら生き残ったのは運が良かったからだろう。いつだったか、天皇の戦争責任について聞いてみたら、「もちろん有るに決まっている!」と即答した。しかし、彼の世界観が日本という国家を超えることはない。
加藤は数年前に「9条の会」の発起人の一人となって戦後リベラリズムの灯をともし続けている。ともかく共にお元気で、なるべく永く生きてくれることを願う。」
何年か前にこんなことを書いた。そして、加藤は2008年の冬に89歳で、父は昨年2010年の夏に90歳で逝った。二人は同じ年に生まれ同じ時代を生き、それぞれの“小さな意識で全世界に意味を与えた”。それは多くの点で対照を成すように見える。その対照世界にどのような意味を与えるかは、これからの私の“ほとんど消えるほど小さい意識”の問題になるだろう。
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