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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

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堀江 (ライト・ウィンド)

今日の堀江はこの程度110924h-w.JPGの風が入っていたはずで、実際、海面もその様子を示していた。いつもなら12~3㎡のカイトでガッツリ走れていただろう。ところが、その風質の軽いこと軽いこと。15㎡で走るには走るが、スカスカのスポンジか泡の中を走っているような感触だった。

典型的な「ライト・ウィンド(軽い風)」だ。この季節、まだ海水温が高く、ある程度の寒気が入るとよくこういうことになる。上空から吹き降ろしてくる北風が、海面近くで温められてフワリと浮き上がる。乾燥した冷気が、充分な水蒸気を与えられると同時に温まる。前にも書いた大気密度(空気の重さ)を決定する三要因の温度と湿度の問題だ。(海面では気圧は無視してよい)

F君から琵琶湖レースの結果が入った。コースレース初出場で総合3位はかなりの成績だと思う。板もカイトもまだ充分に使い込んでいるとは言えない。この分野もまだ始まったばかりだ。彼の性格や姿勢なら、そのうち間違いなく、優勝候補の常連さんになるだろう。

私はすでに人と競争することに大きな興味を持たないが、自己実現は生涯のテーマだ。自己実現は自己表現を含む。例えば、ピアノの発表会に参加するように、フリースタイルの大会などで自分のカイトスタイルを存分に表現する場があっても良いな・・・と思い始めている。

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堀江 (10,12,15)

台風の返しの北風が下がったり上がったり、3枚使って50km以上、久々に薄暗くなるまで走る。昨日届いたばかりのSP3-15㎡の具合が実に良く、引き潮に合わせてグシャ波が幾らか落ち着いたウネリに変わったということもある。
GOPR0005s1024pix100kb.jpg
横広画面にしようとフロントラインにカメラを横向きに付けたら、目が回るようなものが出来上がってしまった。まあ、初めての試みなので仕方がない。次回は普通に正立に設置することにしよう。カイトは12㎡でアンダー。波はチョッピーでグシャ。内容は小さなループジャイブとジャックナイフ(小波に乗った気分になるために素早く板をひねる小技。ちょっと切れた動きが必要だから・・・思い付き的命名)


堀江 (SP3-12㎡の限界)

今日の堀江は雨の中。台風15号の風がやっとまともに入り、少し沖では10m前後の北東強風。SP3-12㎡の限界を知るにはちょうど良い感じ。時おり10mを超えるブローでも全く問題なくコントロールできる。チョッピーウェイブにちょっとエッジを引っ掛けてバーを引き込むと、難なくハイジャンプが生まれ、そのまま空中で方向転換できてしまう。

ジャンプしながらどんな風に体を回転させると面白いことになるのか・・・いろいろとやってみた。しかし、現在の私の技量では、こんなコンディションでオーバーコントロールになると着水に苦労するのは明らかなので、かなり控えめに・・・。

強烈なブローでピッチを最大限下げると、アッパー(サーフェイス)が叩かれ始め、パラのフルアクセル時と同じく翼の動きが不安定になる。

これは雨台風特有の乱れ模様の風、海面はグシャ波という条件下でのものだ。晴天フラットで風が安定していれば、10m辺りの風域でちょっと趣(おもむき)の違うジャンプ技ができそうな気がした。まったく相性の良いカイトだ。

堀江 (鈍足台風)

接近中の台風15号が引き込むはずの北風を期待しながら、Iやんと堀江で合流する。しかし、今回の台風も足が遅いらしく、そこそこの東風本流は、いくらか北東に偏向しながら入るものの、海岸近くはかなり弱い上にガスティ。

少し沖まで出るとそれなりに安定して7m程度は入っている。逆潮で少々しんどいコンディションではあったが、19㎡にデカ板でそこそこ楽しむ。間もなく風が落ちてもまだ充分時間がある。私には珍しく雨が降り出すまで、Iやんとあれこれ長話しのアフターでありました。

九州のMOONさんに習って、新しく映像撮影システムを作った。風に恵まれれば早速明日試験撮りして、UTubeにUPしてみる。

堀江 (レスキュー艇)

今日は少し早めに田舎を発(た)って、東から西に海の様子を見ながら堀江へ。風の具合はパッとしないが、幸いにも天気は悪くない。ひとまず堀江でM君家族と合流して、いったん自宅に帰り、軒下のセーリングカヌーを引っ張り出す。

約25年前の当時、ヨット製作の分野では名の知れた横山氏が設計したこの風変わりなカヌーは、夏合宿などでずいぶん多くの子供たちを楽しませたのだが、だいぶ前に用済みになってからずっと寝ていたものだ。

私が使うことは既にないだろうし、このまま庭で腐らせてしまう(FRPだから腐りようがないのであるが^^;)のも可愛そうなことだ。今日のような日はこいつでディンギー風のセーリングも悪くない。さらに興味がある人は誰でも使えるようにしておいた方が価値的ではないか・・・などと考えた。

早速、堀江でM君にディンギー教習・・・といっても、簡単にはコケることのない舵付きの小船の操作などというものは、絶えざるバランス運動の上にのみ成立するウィンドやカイトの世界に比べれば造作ないことだ。ワンレグ往復15分ほどの間に、彼はディンギー帆走の基本操作をすっかり飲み込んでしまった^^。

やがて練習にやって来たカトちゃんにご苦労をかけて別府エリアまで運んでもらった。浜の奥に常置してある。誰でも必要なときに自由に使って頂けると、私もカヌーもありがたい。粗大ゴミと間違えられても迷惑なので「レスキュー艇 FOR ANYONE」と記しておいた。

一応、海岸管理者には近いうちにお話して了解を得ておく。まず有り得ないとは思うが、もし何らかの不都合を覚える人がいたら、船体横に記してある連絡先に一報をいただきたい。

堀江 (合理的な方法)

ここのところ残暑が厳しい。今日も事務所の気温は昼から35℃近くまで上がり、ほとんど何もできない状態^^;。昨日に続いてわずかな北風を期待しながら堀江に向かう。

ところが、今日の北風は予想を超えて腰が強く、7mほどまで上がってくれた。もうじきペイント予定のヘタレ19㎡に大小2枚の板を使う。

もっと伸びやかで安定した回転技やスイッチを身に着けるべく、飽きることなく同じ事を繰り返す。少なくても、ウィンドサーフィンと比べてカイトはほんとうに楽だ。当然ながら、ある技術が上がれば上がるほど、ムダな力を使わなくなるので、ますます楽になっていく。

ウィンドの時代も空の世界でも、元来ナマケモノの私の基本的な姿勢は、極力「楽をする」ということだった。楽をするということは、その本義に従えば「楽しむ」ということで、そのためには不合理と同義の「無理」を避けて、合理的な方法を見つけ出し、それを身体の奥底が納得するまでトコトン繰り返すに限る・・・というのが私の持論だ。

何を成すにも、自分に合った合理的な方法を発見するには、それなりの試行錯誤が必要で、それに伴う努力は不可欠だ。努力にはたいがい労苦が伴う。ただ、労苦といっても、自分がほんとうに好きなことに伴う苦労は、実は苦でもなんでもない。そうとうな論理矛盾にはちがいないが、この場合、苦は即ち楽そのものなのである。

一休みに浜に戻ると、いつの間にかカトちゃんが来ていた。早速、9回目の練習を開始。次回から風が良ければ15㎡の世界になる。すでに四半世紀の歴史を持つ近在のショップ(テイクオフ)で適当なハーネスとシーガルを調達して、いよいよ海に入る準備は完了。

吉野川

松山から徳島に向けて一般道を移動すると、人の生活や産業にとって川がいかに大きな働きをしているかが良く分かる。四国山脈、特に剣山系に注ぐ膨大な雨水は、上流から下流に流れるに連れて量を増して川幅を広げ、河原や河川敷を広々と豊かなものにする。徳島は吉野川で支えられているといっても過言ではないだろう。うらやましい限りだ。松山にも重信川という一級河川があるが、今やほとんど枯れている。IMGP0286s1024pix100kb.jpg

愛媛には大洲に肱川が西条に加茂川という、松山の重信川よりはるかにマシな一級河川がある。昔から綺麗な水は綺麗な人を生むという。この観察はある程度正しいような気がするが、もちろん部分的事実に過ぎない。見た目や心持ちの綺麗な人は世界中のどこにでもいる。

ここで思い出すのは、高校時代、大洲出身の英語の先生。相当にグラマーで美人の新人教師だった。英語の授業は更にリーダー(文章読解)、コンポジ(英作文)、グラマー(英文法)と3教科に分割されていた。リーダーの赤シャツは、風貌も所作も漱石の「ぼっちゃん」に登場する赤シャツがそのまま現れたようなK先生。コンポジの女先生は、たまに脱線して面白くもない話をするベテラン。

なぜかグラマーだけが別教室で、この若い美人先生が担当していた。思春期真っ最中の男子たちがこの授業を楽しみにしたのは当然で、どこに座るのも自由だったから、私などは真っ先に最前列の真ん中の席を占領するのを常としていた。完了形だの仮定法がどうのこうのなんてことはどうでもいいことで、私たちの目と鼻は、ほとんど彼女の実に豊満な胸の辺りにあった。青春初期の楽しい思い出の一つだ。8c07c423.jpg

さて、先週末はいつもの思いつきに従って徳島に向かった。初日の夜はすでに日も暮れかかった吉野川の河原にテントを張ることにする。眉山上空に輝く十五夜前の上弦の月は美しく、薄く流れる夜の流浪雲(はぐれぐも)を伴いながら穏やかな河面(かわも)にユラユラと影を落としていた。ときおりカモの鳴き声が響く外はまことに静かな夜だった。IMGP0307s1024pix100kb.jpg

翌朝はカイトサーフィンに適当な場所を探しながら川沿いに移動する。何ヶ所か良いエリアを見つけた。東~南東風が安定すれば、リバーウィンド特有の淡水フラットが充分味わえるだろう。

二日目から市内のIさんや松山のM君家族と合流した。Iさんは初めてのラムエアで基礎教習を2日間集中的に行い、M君は初めての小松海岸でかなりテンションが上がっていた。充分に楽しかったと思う。IMGP0318s1024pix100kb.jpg

土曜日は7~8mの安定した南東風。若干アンダーながら12㎡で河口エリアを存分に走る。日曜日は6~7mに落ちてかなり南よりの風になったが、それでも小松海岸のフラットエリアを行ったり来たり。今回は波がほとんど無かったのでサーファーの数も極端に少なく、ウィンドサーフィンの多さが目立った。

110910k.JPG110910k-2.JPG
 

別府 (動中の静)

きわめて軽い西風で逆潮。海上の様子では6mほどは入っているように見える。しかし、15㎡でも19㎡でも出発点に帰ってくるのが精一杯。そんな中でF君の19㎡とコースレーサーの走りのみが光っていた^^。

カトちゃんの練習もほぼ一ヶ月で8回目。かなりクセのある12㎡の動きもずいぶん安定してきた。あとは風の方向や強弱に合わせて、どんな態勢からでも「安定静止」の状態に速やかに戻ることができるようになれば、次の段階が楽になる。

空手などのあらゆる武道が「構え」から入るように、カイティングというスポーツに何か基本的な構えがあるとするならば、それは「カイトを頭上でピッタリ安定させること」・・・だと、私は考えている。動と静でいえば静の状態だが、頭上で静止するカイト翼は、表面を絶え間なく流れる風の力で支えられている。「動中の静・静中の動」・・・とでもいうべきか・・・。

別府 (いまいちの西風)

到着時にはわりあいまともな西風が、いつもの「チン・ランチ」を食べながら様子を見ているうちに徐々に落ちて、ついに海に出るには至らなかった。

しかし、カトちゃんの練習にはちょうど良い。今回7回目で12㎡の扱いに徐々に慣れてきている。風読み・風軸の合わせ方、安定操作、適当なピッチ角でのカイトコントロール・・・など、きわめて順調だ。もう少しこのサイズで練習を重ねて、最終的には15㎡で同じようなことができるようになったら、いよいよ海に入ることになるだろう。

いずれにしても、カイトサーフィンの地上練習はランドカイトの部類だ。あんまり急ぐことなく、じっくり楽しみながら取り組んでほしいと思う。

ドリトル先生

変な台風だった。一昨日はの堀江は暴風圏の中にあったにもかかわらず、昼から夜までほとんど凪の状態。“返し”の西ではなく南東から南に寄ったそよ風が少々。

ずぶ濡れ12㎡を乾かしながら、久々に会ったウィンド時代のK君から遠い昔の仲間の近況を聞いたり、M君にならってカイト大好き少年R君の練習をしたり・・・とそれなりに充実した半日ではあった。

およそ”風待ちだけで”こんなに長時間海辺にいることはまずない。明らかな無風時に海方向に心が動くことは稀(まれ)だし、たまに予想を誤って好みの風に会えない時は、他の何かを成すべく速やかに頭のスイッチを切り替える。他の何かには「特に何もしない」ことも含む。

何もしないと言えば、"THE Story of DOCTOR DOLITTLE"のドリトル先生が仲間の動物たちと繰り広げる冒険談を思い出す。H・ロフティングの「ドリトル先生シリーズ」は、すでに40を超えたオジさんにもずいぶん大きな楽しみを与えた。

彼が自分の息子だけでなく、「全ての子供たちとまだ子供の心を失っていない大人たちに捧げる」ために書き始めたお話の数々には、かなり鋭い人間社会への批判精神が脈打っている。

例えば、ドリトル先生は医者なのだが、人間よりも動物が好きなので、彼の家には実に様々な動物たちがワンサカ集まって、さながら小さな動物園の様相になる。そして当然の結果、動物嫌いの患者がだんだん寄って来なくなり収入が減り生活にも困るようになる。

それを見かねた妹のサラが、「こんなことでは・・・”best people" (最良の、つまり上流階級の患者さん)が来なくなるわよ!」と説教するのであるが、先生はそんなことは意にも介さずこう応えるのである。"But I like the animals better than the `best people',"  「でもね、私は『最良の人間』より動物たちの方が好きなんだよ

また、オームのポリネシアから動物語を習うに至り、獣医としてそれなりの収入に恵まれるようになっても、こういうことを言うのである。"Money is a nuisance," he used to say. "We'd all be much better off if it had never been invented.  What does money matter, so long as we are happy?" 「お金とは鬱陶(うっとう)しいものだな・・・こんなものが発明されなかったら、私たちは皆もっと幸せだったろうに・・・私たちが幸せであるのなら、お金に何の用があるというのだろう・・・

・・・そして、その名前ドリトルとは、"Do Little"で、「ほとんど何もしないこと」。1920年代・・・すでに過度な物質文明の非人間性が行き着くところ目星を付けていたロフティングは、「不完全な人間があまりに働きすぎてモノを多く生産しすぎるとロクなことはない」・・・という強いメッセージを、そのまま主人公に冠したわけである。

井伏鱒二の翻訳は日本語としても秀逸なので、動物好きの人にも動物嫌いの人にも、人間好きの人にも人間嫌いの人にも、ぜひ一読を・・・とお勧めする。

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昨日はやっとまともな台風の西の返しが入り、別府で様子見ランチを済ませた後、塩屋へ移動。7mほどの南西風にグシャ波の中、12㎡で25kmほど走る。この程度の風なら19㎡で充分楽しいのだが、このラムエアにかつての生気はすでにない^^;

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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