松山から徳島に向けて一般道を移動すると、人の生活や産業にとって川がいかに大きな働きをしているかが良く分かる。四国山脈、特に剣山系に注ぐ膨大な雨水は、上流から下流に流れるに連れて量を増して川幅を広げ、河原や河川敷を広々と豊かなものにする。徳島は吉野川で支えられているといっても過言ではないだろう。うらやましい限りだ。松山にも重信川という一級河川があるが、今やほとんど枯れている。
愛媛には大洲に肱川が西条に加茂川という、松山の重信川よりはるかにマシな一級河川がある。昔から綺麗な水は綺麗な人を生むという。この観察はある程度正しいような気がするが、もちろん部分的事実に過ぎない。見た目や心持ちの綺麗な人は世界中のどこにでもいる。
ここで思い出すのは、高校時代、大洲出身の英語の先生。相当にグラマーで美人の新人教師だった。英語の授業は更にリーダー(文章読解)、コンポジ(英作文)、グラマー(英文法)と3教科に分割されていた。リーダーの
赤シャツは、風貌も所作も漱石の「ぼっちゃん」に登場する赤シャツがそのまま現れたようなK先生。コンポジの女先生は、たまに脱線して面白くもない話をするベテラン。
なぜかグラマーだけが別教室で、この若い美人先生が担当していた。思春期真っ最中の男子たちがこの授業を楽しみにしたのは当然で、どこに座るのも自由だったから、私などは真っ先に最前列の真ん中の席を占領するのを常としていた。完了形だの仮定法がどうのこうのなんてことはどうでもいいことで、私たちの目と鼻は、ほとんど彼女の実に豊満な胸の辺りにあった。青春初期の楽しい思い出の一つだ。
さて、先週末はいつもの思いつきに従って徳島に向かった。初日の夜はすでに日も暮れかかった吉野川の河原にテントを張ることにする。眉山上空に輝く十五夜前の上弦の月は美しく、薄く流れる夜の流浪雲(はぐれぐも)を伴いながら穏やかな河面(かわも)にユラユラと影を落としていた。ときおりカモの鳴き声が響く外はまことに静かな夜だった。
翌朝はカイトサーフィンに適当な場所を探しながら川沿いに移動する。何ヶ所か良いエリアを見つけた。東~南東風が安定すれば、リバーウィンド特有の淡水フラットが充分味わえるだろう。
二日目から市内のIさんや松山のM君家族と合流した。Iさんは初めてのラムエアで基礎教習を2日間集中的に行い、M君は初めての小松海岸でかなりテンションが上がっていた。充分に楽しかったと思う。
土曜日は7~8mの安定した南東風。若干アンダーながら12㎡で河口エリアを存分に走る。日曜日は6~7mに落ちてかなり南よりの風になったが、それでも小松海岸のフラットエリアを行ったり来たり。今回は波がほとんど無かったのでサーファーの数も極端に少なく、ウィンドサーフィンの多さが目立った。
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