内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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今日は穏やかな日曜日である。きわめて珍しいことに、家内と共に何の予定も入れていない。昨夜の夕食時は「丸一日、まったく何もしないで過ごすことができるかどうか・・・」などという他愛ないお話をし「それはまず不可能であろう」という結論に達した。
やはり、今朝も早くから目覚めて、紙の日のゴミ出しをしたり、S君のiCloudをXPマシンに導入したり、こんなことをしたりで、「何もしない」からはほど遠い午前中だ。やはり人間は基本的に動物(動く生物)なのだろう。
この連休(金・土)は忙しかった。しかし、先週末と異なり、ほとんど疲れが残らない種類の忙しさだ。
まず、5時間もかけて徳島からやって来たIさんと、そろそろ板を履く段階になってきたS君、このお二人はすでに基本が身に付いていてほとんど気を使うことはない。
それに、初練習になるK君とお仲間の3人・・・風の様子は、地上練習にはまずまずの3m~6mで、初日は頭上安定が取れるほどの風ではなかったので、セットアップ(準備)やピックアップ(片付け)、セイフティ・コントロールの基本、リーシュの使い方、各部名称・・・など、ちょっと一度に多くのことを話しすぎたかもしれない。
二日目は、程よい風の中、K君は10㎡を使って安定姿勢から、ピッチコントロールも含めてバーの操作とカイトがどのように連動するかが少しは分かったのではないかと思う。他の方々も初めて感じる風の力用に笑顔が絶えなかった。これが最も嬉しいことです。
この2日間でインプットされた情報がどの様に消化されるかは、これからの練習次第だが、ともかく「自然はめったに急がない」し、このスポーツは、その外見上の激しさのわりには体力を使わない。つまり相当な年齢まで楽しむことができる。私は60代後半で、流れるようなウェイブライディングをこなす方を知っているし、海外では70代もけっして珍しくない。たぶんそのうち80代90代のカイトサーファーも現れるであろう。
要するに、年齢・性別に関係なく、それぞれのスタイルを大切にしながら自由にお付き合いすればよいのである。しようと思えば、こういう自由な考え方や生き方が可能な時代に生まれ生きていることを、私は、まったく有り難いと思う。
過去の人類の歴史は必ずしもそうではなかったし、「個人の自由」に最大価値を見出した近代以降も、この種の自由を簡単に手に入れることはできなかった。近代以降はなおさらと言った方が良いかもしれない。
そして、これらの自由や喜びは、多くの人々がそれを当たり前のことだと思って油断をすると、わりあい簡単に奪われてしまうものであるという用心も、心のどこかに置いておいた方が良いかもしれない。
The most exhausting thing in life, I have discovered, is being insincere. That is why so much of social life is exhausting; one is wearing a mask. I have shed my mask.
- "Gift from the Sea" by Anne Morrow Lindbergh
人生で最も疲れることは、不誠実だということが分かった。それが、多くの社会生活で疲労を起こす原因である。人は仮面をかぶって生きているのだ。私は仮面を物置に片付けてしまった。
『海からの贈り物』アン・モロー・リンドバーグ著
大勢の人が、同じような格好で、型にはまった形式的なことごとの周囲を、畏(かしこ)まったり、騒ぎまわったりしている場所に同席することは、私にとっては、ほとんど無意味な苦行である。今回も大体はそうだった。
しかし、結婚式場にオマケで付いているような教会ではなく、本物の大教会で行われた今回の結婚式は、少々感動的だった。英国国教会の流れをくむセント・ポール大聖堂の、おそらく英国人の神父様の低い声は、何語で喋っているか分からないくらい反響がきつかったが、ともかく厳かで暖かいものだったし、広々とした式場を高く覆うステンドグラスの色彩も美しかった。
まあ、結婚は人生の大きな節目であることは確かなことで、それを何らかの形にして残しておきたい・・・というのは、人間の自然な心情だろう。運がよければたった一度の経験・行事になる。そういう意味では、まことにめでたいことではある。
今日は昼を大きく回った頃から西風が入り始めた。昨夜はすっかり疲れて帰ってきたから、今日はいつもの自然充電をちょっと念入りに・・・塩屋の夕陽が西に大きく傾くまで、跳んだり回ったりを繰り返した。
それにしても、夕陽は美しい。何百回見ても新しい美しさがある。今回も、片づけが終わった後しばらく、ゆっくりと眺めながら、「あの想い」を強くしていた。
私の胸の深いところに繰り返し去来する「あの想い」については、また近いうちに書くだろう。
今朝の室温14℃・・・いよいよ冬が近い。
昨日の午後は、この季節、寒冷前線に付きものカミナリが轟音を響かせていた。近くの小学校のちょうど下校時刻。でかいのが一発落ちるごとに、女の子たちは「キャー!」と叫びながらどこか楽しげだ。ちょっと嬉しかったのは、男の子たちの反応で、あれだけ激しい雷鳴の中「か~みなり~か~みなり~もっともっとおちろ~!」とか、ワイワイ歌いながら我が家の横を行進していった。
どんな大人も子供から始まる。そして子供たちの内部には、太古の時代から流れ続ける「原始感覚」のようなものが色濃く残っているのに違いない。それが現代文明や大人社会への適応の過程で、徐々に萎縮し生命の深い部分に沈潜される。
このプロセスを世間の常識では「社会的適応」などと呼んで、当然のごとく奨励し、育児・教育の主要目的にしたりする。しかし、もし、その適応すべき「文明や社会」が、人間本来の幸福という視座から見たとき、大きな歪みひずみを抱えているものだったら、コトの経過や結果はどうなるだろうか・・・?
まあ、この辺りの私の観察は、また気が向いたときにゆっくり書く。コトの次第は複雑だが、結論はいたって簡単。20世紀を代表する飛行家で後に熱心なナチュラリストになったC・リンドバーグは、こんな言葉を残している。彼の神を大自然と置き換えたら、私の日頃の感想になる。
「我々は自分自身を知るために大地を感じ取り、その(自分自身の)価値を認識しなければなければならない。神は生命を分かりやすいものとして創った。それを複雑にしているのは人間である。」
Man must feel the earth to know himself and recognize his values... God made life simple. It is man who complicates it.
ところで、私はたいがいの自然現象とは友達になれるが、カミナリ君とだけはなかなか仲良くなれない。家や車の中にいればどういうことはないのだが、海上や山中や空中でこれに遭遇すると一目散に逃げ出したくなる。
子供の頃はこんなではなかったはずなのだが・・・そう言えば、幼い頃、「目の前を歩いている人の傘をカミナリが直撃して悲惨なことになった・・・」というような話を母から聞いた覚えがある。しかし、目前の人物に落雷すれば、当然、近くの人物にも相当の被害が出るはずで、その母はなんともなかったのだから、ちょっと膨らませた話だろうと思う。
15年ほど前、真夏のパラグライダー飛行中に、私好みの積雲に突入し、雲中飛行で気持ち良く高度を稼いでいたら、それが雄大積雲から積乱雲つまりカミナリ雲に変化して、予定外の3000mまで上昇してしまった状況は、今も鮮明に覚えている。
結果的には、これでクロスカントリー飛行の距離を伸ばし、五十崎町の神南山から重信町近くまで飛んだわけだが、山中にランディングして半時の後、案の定、激しい雷雨になった。このきわどいフライトについては、ちょっと貴重な体験の一つなので、またいつか詳しく書くつもりだ。
さて、今日の塩屋海岸は西北西の強風がアベレージで10m程度。トップブローは15mを超えていただろう。風はいつも一様に吹くわけではない。人間の呼吸と似て、その日その時のコンディションによって、強弱を含めたさまざまな調子を持つ。「平均風速」というのは、気象庁の場合、定時前10分間の風速変化を延べたもので、瞬間最大風速は、これのおよそ1、5倍~2倍に至ると考えて良い。
しばらく風に吹かれてなかったS君はやる気満々で、「今日は吹き飛ばされてみたいなー!」などと言う。「よし!塩屋なら、それもよかろう!」・・・ということで、少なくとも地上練習では安心して使えるバイロン6㎡で1時間半ほど。私も10㎡を上げてはみたが、何もできそうもないのですぐに撤収。なんにしても、心地良い午後の一時だった。
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