忍者ブログ

寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

ジェリー・ロペツ(4)

ちょっと遅めの菜種梅雨、この3日間ほんとによく降った。別府の雨で洗濯されたラムエア3枚を早めに乾かしておきたいと思ったのだが、これでは仕方がない。ただ、先ほど前線が通過したようなので明日は西風強風、最高の乾燥日和になるだろう。IMGP0154s1024pix100kb.jpg

こんな時間に、しかも多少アルコールが回った状態でロクなことが書けないことは承知しているが、既にジェリーの本が手元にあって、早いとこページをめくりたくて仕方がない状態。

一方、彼関係の資料をあれこれ漁っているうちに、近代サーフィンだけではなく、それを生み出したハワイそれ自体、そのルーツとなるポリネシア文明やその形成経路、北東アジアから日本列島との関連、そして縄文時代から今現在の日本に生きる私たちとの関係性・・・等々、再び気の遠くなるような探索の旅が始まってしまった。

↓5月8日の走り。
110508b-t.JPG


 

 

PR

ジェリー・ロペツ(3)

昨日・今日と静かな天気のおかげで、ジェリー探索の時間が続いている。どんな人間にも、そのバックグラウンドに時代という大きな時の流れがあり、渓流が大小の岩を廻ってさまざまな形の渦模様を造るように、同じ地球上でも、その人が生きる地理的風土によって、時代という巨人の落とす影も多様な色合いに染まることになる。

1948年生まれ、現在62歳の彼の経歴を追っているうちに、彼の師匠とも言えるポール・ストローチ(Paul Strauch)の記事に吸い込まれ、同時代に花火のように生きたブッチ・バン・アンダーソン(Butch Van Artsdalen)に同情し、ジョック・サザーランド(Jock Sutherland)とジェリーのコラボ映像に観入り・・・遂には、1890年生まれ、近代サーフィンの父・デューク・カハナモク(Duke Kahanamoku)に至ったところだ。


☆1時を回った頃から少し西風の香りがしてきた。別府に向かう。仮に風がなくても、以前から気に留めていたビーチクリーンを楽しめばいいではないか・・・"Think Globally, Act locally"という味のある標語に、私もたまには従ってみよう・・・と思った。IMGP0153s1024pix100kb.jpg

こんな日に別府に来るのはさすがに私だけだろう・・・と思っていたら、やがてY君もやって来て、2人でわずかな部分だがゴミ拾いに精出した。まあ小さい海岸だから、これから訪れる度に少しずつやっていけば、近いうちに見違えるほど美しい浜に戻るだろう。さらにF君が来てしばらくすると、薄い雨雲と共に5mほどの南西風が入り始めた。

もちろん既にセットアップ済みの19㎡で海に出る。海面はわずかな細波(さざなみ)、場所によっては鏡面フラット。シーンという音が聞こえてきそうな空気の中で、1時間15kmほど。こんなに静寂に包まれた走りも珍しく、一瞬、深い瞑想に入ったような気分になった。

110507b-t.JPG

ジェリー・ロペツ(2)

人間は、どう考えるかでどう行動するかが決まり、どのような人生観を持つかでどのような生き方をするかが決まる。その人の人生観はその人の思想・哲学の一部と言ってもいいだろう。

ジェリーの本が届くまでに、彼の生き方やその底を流れる哲学について、私流の勝手な予想を立ててみて、それがどれくらい的を得ているか見てみるのも面白いかもしれない・・・などと思って、今夜の数時間は幾分頭を使った。

しかし私の場合、夜に頭を使いすぎると、てきめんに目が冴えて寝れなくなってしまうので、かなり以前から一日を三等分して、午前中は頭を、午後は身体を使い、夕食後の夜はなるべくボンヤリと過ごすように努めているのだが、昨夜も今夜もちょっと寝付きが悪くなりそうな様子だ・・・続きはまた明朝・・・。

110505h-t.JPG

ジェリー・ロペツ

伝説のサーファーともチューブライディング・マスターとも呼ばれる、ジェリー・ロペツについて少し書いてみようと思って、WEBサイトの関連記事を漁ったり、YouTubeで1972年の映画『ビッグ・ウェンズデー』や彼に関係する動画を拾って眺めたりしていたら、とりあえず今回は時間がなくなった。

たしか、「読み始めると書けなくなる。書き始めると読めなくなる」と言ったのは加藤周一だったか・・・これは私の場合も、物理的に当たっているだけでなく、優れた文章と付き合っていると、自分のそれが如何に拙いものかが痛いほど分かって、ものを書く気力が失せてしまうということもある。

この数日間の収穫は、ジェリーが3年ほど前に“SURF IS WHERE YOU FIND IT”という自伝本を書いたということ。そして、今年の2月、その邦訳出版記念に来日していたということ。日本の皆さんへのメッセージが「ALOHA・アロハの心を忘れないで・・・何をするにもアロハの心で・・・自分に何も残っていなくても与え続けること・・・」・・・など幾つかあるが、彼は、私がウィンド・サーフィンという風読み波読みの世界に足を踏み入れて以来ずっと、心の深い或る部分で、時に小さな星のように輝き現れるような存在でもあった。

 
 
彼の半生の集大成とも言えるだろうこの一冊は、是非とも読んでおくつもりだ。また時間を見つけて、読後感想や彼の思想、興味が尽きないその“生き方”などについて書いてみたいと思う。

別府は今日も3時近くになって良い西風が入った。19㎡で2時間ほど。M君もバテンが一本死んでいる^^;インフレの12㎡に小さ目の板で見違えるような走りだった。嬉しい話しだ^^。

IMGP0145s1024pix100kb.jpg

別府(桜の後は藤の花)

今日の別府も気持ちの良い西風が入った。藻場(もば)のフラット海面周辺でジャンプやジャイブの練習を繰り返す。まだ身体の数ヶ所に無駄な力が入っているのを感じるが、去年の今頃に比べるとずいぶん楽に飛べるようになった。IMGP0142s1024pix100kb.jpg

引き潮時は、何とかタワラの仲間だろう藻の一群が海面を覆って、柔らかな絨毯(じゅうたん)の上を滑っているような状況になる。この液体でも固体でもないフニャリとした平面を滑走する感覚はちょっと面白い。この辺りの海岸の砂ももっと粒子が小さくなれば、浜から海へ海から浜へと板をはいたまま移動できて面倒がないのだが・・・。

海岸横の崖はいつの間にか、桜に代って山藤の花でうす紫に色付いていた。自然は、かくも美しく香る造形の数々を惜しみなく与える。その力用は偉大とし
か言いようがなく、これはもう私の口癖みたいになってしまったが、ともかく「不思議だらけで仕方がない」。

110502b-t.JPGfimg_1304261461.png

塩屋(春の海水浴)

およそ予想通り、1時を回った頃からドンとガスティな南風が入った。10㎡で出てみるが、当然のごとくウルトラガスティの上に逆潮でどうにもならない。何レグか往復した後、岸寄りの位置でムチャクチャな乱気流に当たり、反射的にリーシュを開放した。海上では初めてのことだ。そういえば、半年ほど前に台風がらみの南風で、つむじ風に翻弄されたのもこの辺りだった。

今日の塩屋で唯一おもしろいと思ったのは、2人の人が夏の日の海水浴のごとく、上半身裸で波と遊び泳いでいた・・・ということ。春もゴールデンウィークを迎えてだいぶ温かくなってきたとはいえ、海水はまだそうとうに冷たい。こういう風変わりな人間が、ここにも存在するということが、私には嬉しい出来事なのだ。この世界は多様であるほど面白く、もうちょっと言うと「自然かつ健全」なのだから・・・。

塩屋(ちょっと良い波)

今日の波質はちょっと良かった。何気なく撮ったF君の下半身もほど良いうねりに隠れている。西風は8m程度から急速に落ちて、12㎡と19㎡。12㎡はまたもやジャンプ後の下手な着水でリーシュが胸に当たって外れてしまった。原因が原因だけにバネを強くして解消するかどうか分からない。一応やってみて、効果がなければノブ部分を削って小さくするしかないかなぁ・・・と考えている。IMGP0140s1024pix100kb.jpg

それにしても、カイトサーフィンというスポーツはどうしてこうも疲れが残らないのか・・・ほとんど毎日のように数十km走っているのだが、身体の疲れを明くる日に持ち越すことはほとんどない。私も、もう10代20代ではないのだ。これはただ事ではなく、それなりの理由があるに違いない。また暇なときにじっくりと思いを巡らせてみたい。

110428s-t.JPG

粟井(砂浜の匂い)

海岸線には事欠かないこの地方でも、風の本流が南になると楽しく走れる場所は限られてくる。この粟井海岸などはその一つで、正確な潮読みは必須だが、松山平野で一度持ち上がった風が海面を這うように吹き抜け、順潮は複雑な波を生むと同時に、オフショア気味になる岸よりの海面にはフラットな部分も出来る。

この浜は昔から、たいがい人影まばらで砂浜も美しい。砂浜・・というよりも砂粒が・・・と言った方が良いかもしれない。私のカイト・ランチには海岸の砂が欠かせない。毎回、何kgかの砂をウィングチップに乗せて重りにするわけだが、その際にその砂粒が風に舞って、その浜独特の匂いを感じることがある。美しい砂浜は無臭か、ほのかな磯の香り。しかし浜によってはトブ水のような異臭がしてムッとする場合もある。

日本の生産活動がまだ控えめだった1960年代までは、あらゆる砂浜は自然に近い美しさを保っていた。70年代になって多量のゴミが漂着するようになっても、まだ砂浜自体が異臭を放つほど汚染されてはいなかった。80年代後半になってやっと、エコロジーや自然保護運動の普及と共に海岸のゴミは少なくなって来たように思うが、それでも尚、目を覆いたくなるほど痛めつけられた浜が数多くある。

ことの本質・・・つまり自然界における人間中心主義、ものを際限なく消費し金を得て善しとする商業主義などを改めない限り、海岸のみならずマザーネイチャー(母なる大自然)は荒廃の一途をたどることになるだろう。そして、本来大自然の小さな一部である人間という生き物の心身も、歩みを同じくして更に荒廃するだろう。よほど注意深く事実を見極める力を持たない限り・・・。

110424a-t.JPG

塩屋(カヌーで由利島)

25度を越える初夏の陽気の中では、セミドライはサウナスーツになる。西の微風、19㎡のライン調整したりグラハンやったりしてたら、頭がクラクラしてきた。海水温はまだ低い。海に浸かって首口から冷水を取り込み身体を冷やす。

やがて入り始めた南風でひとっ飛びして戻ると、カヌーを積んだ車の主が話しかけてきた。今度のゴールデンウィークに由利島まで行こうと計画しているのだが、風をどう読んだらよいか教えてほしい・・・というようなことだ。

何日も先のことまでは分からないが、基本的には順潮、つまり潮流と風向きが逆の時間帯を選んだらどうでしょう。早朝の陸風か凪の時間に出て、帰りは海風を使えば楽かもしれない・・・などというようなことを話す。

由利島は私も何年か前の夏にキャンプしたことがある。東の浜のテントで目覚めると周囲一面、夜のうちに這い出てきた無数のミミズで覆われているのにゾッさせられた。彼の話では、どうも幽霊が出ることもあるらしい。夢のある良い話だ^^。

海の夕景にポツンと映えるF君の走りを携帯で撮ってみた。今回の写真はちょっと味のある出来だと思うのだが、どうだろう?

110426-sunsets1024pix100kb.jpg110426s-t.JPG

LINK

ブログ内検索

カレンダー

12 2025/01 02
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31

最新記事

ハンディムーン

エリアマップ

最古記事

プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

最新トラックバック

カウンター

最新コメント

[06/10 寛太郎]
[06/10 寛太郎]
[06/10 柴田幸治]
[06/10 小林博行]
[03/26 寛太郎]

バーコード

P R

Copyright ©  -- 寛太郎のカイト日誌 --  All Rights Reserved
Design by CriCri / Photo by Geralt / powered by NINJA TOOLS / 忍者ブログ / [PR]