内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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空色が深さを増している。地平から天頂に向うに従って青色が濃くなる。大気層を横に見るか縦に見るかの違いだ。明るく透き通った大気。日本には四季それぞれの空色があり美しさがあるけれども、この季節の大空の清澄感や透明感ほど爽やかで快いものはない。
透明・・・澄み切って濁りがない様(さま)・・・良い言葉だと思う。透明といえば、この春からB・ラッセルの論文集に目を通しているのだが、BBCの“Face to Face”というTV・インタビュー番組の中で、冒頭、女性司会者が彼を紹介するに"transparent honesty(透明な誠実さ)"・・・などという洒落たフレーズを使うのである。
ラッセルの文章を読んでいると、かつて加藤周一から受けた一種の知的衝撃に似たものを感じることが多い。混沌(こんとん)から秩序を生み出すように、愚昧(ぐまい)な頭の中をスッキリと整理させる正確な言葉の選択と明晰な論理。透徹した洞察力。時に情熱的で力強い表現力。
数学・物理はもとより歴史・哲学・教育・政治・文学・芸術、そして反戦反核を中心とした活動と、ほとんど世界万般に渡る彼の関心と探求は、97歳で亡くなる1970年まで衰えることはなかった。私が16歳の時だ。わずかな期間とはいえ、彼のような人物と同じ時代を生き得たことを幸せだと思う。
透明な・・・もう一つ忘れられない一文がある。R・W・エマソンの"In the woods, I become a transparent eyeball"(森の中で私は透明な眼球となる)。18世紀前半に書かれた"Nature(自然)"の中でこの一文に出会った時も、私はかなりの衝撃を受け、彼は真実を語っている・・・と思った。
時代的には、ラッセルは私の祖父の年代に当たり、エマソンはラッセルの祖父の年代に当たる。実に雑なラベルを貼れば、方や懐疑的合理主義、方や直感的神秘主義。一瞥、およそ対極的な人物のように見えるが、私はどちらにも強く魅かれる。
ハッキリと言えることは、お二人とも、決して時流に迎合せず、真実を愛し虚偽を憎み、率直に語り誠実に生きた・・・ということである。
ある一点に複数の力が作用すると合力が生まれる。空の滑空でも海の帆走でもカイトサーフィンの走行でも、この合力の働き方を飲みこんでおくと後の話の消化が良くなる。
次に出てくる合力の話の前に、まずは「進行風」から。「進行風」は「見かけの風」と呼ばれることもあるが、「見かけは立派だが内容は低劣」などという世間の「見かけ」と異なり、カイト翼に実際的に働く風は単なる風向・風速ではなく、この見かけの風・進行風である。内容は図の通り。
翼に働く決定的な合力を作り出す2つの力(分力)は、空の場合は“揚力”と※“重力”、カイトサーフィンの場合は“揚力”と“踏ん張り力”。“踏ん張り力”なんて言葉は私しか使わないが、板の「水中側面抵抗」などと言うよりずっと分かり安いだろう・・・と思う。
まず空の話をする。「飛行翼がどうして滑空できるか」が分かれば、“重力”を“踏ん張り力”に置き換えるだけで「カイトサーフィンがどうして走行できるか」も即座に分かるからだ。
何にしても避けて通れないのが“揚力”の問題で、少し立ち入れば「揚力係数」だの「大気密度」だの「対気速度」だの「迎角」だの「なんとかの法則」だの、それぞれがそれなりに面白い話がゾロゾロ出てくる。
しかしここでは、図に示すように揚力は進行風と垂直方向に働くということさえ知っておけば充分。この揚力線と重力線を隣り合う辺とする平行四辺形の対角線が合力線になる。
そして、各線分の方向を変え目盛りを打って変数を与えてやれば、合力の“向き”と“強さ”が決まり、この力が存続する限り、翼は滑空を続けカイトサーフィンは走り続けることができるということになる。
※大空を自由に飛ぶという人類の長年の夢を実現するのに、常に大きな障害となるのが「重力」だ。ところが実は、重力がないと「浮遊」はありえても滑空や通常の飛行はありえない。18世紀フランスのモンゴルフィエは本格的な滑空や飛行の歴史以前に、バルーン(熱気球)による浮遊を成功させている。
いつものように用語(言葉)の意味(定義)から始める。小学館の国語大辞典には、理論とは「ある物事に関して、原理・法則をよりどころとして筋道を立てて考えた認識の体系。また、実践に対応する純粋な論理的知識」とある。分かりやすい定義だ。特に「実践に対応する・・・」は大切だと思う。
私たちが生き行動する現実の世界や自然界は常に具体的なものだが、人間の頭はややもすると具体を離れて抽象に走る。実践を伴わない抽象的理論をいわゆる「空理空論」と呼び、それはそれで楽しい人間的営みかもしれないけれども、私はあまり好まない。
カイトサーフィンの実践(現実)は、水面を風よりも速く滑走し、時に波に乗り、時にジャンプし空中を滑空する。それに対応して板(ボード)や身体を動かすことで、様々な運動形態が生まれる。その多様性は、同じように風の力を利用する帆走スポーツや航空スポーツと比べて驚くほど豊かなもので、この多様性や自由度の大きさが、このスポーツ特有の醍醐味だと言って良いだろう。
さて、「カイトサーフィンはなぜ走るか」について・・・その手の入門書は巷間(こうかん)に数多いだろうし、WEB上にも丁寧なサイトがある。同じようなことをダラダラ書くのも退屈なことなので、まずは、ウィキペディアの該当項目をリンクする。
ここではカイトサーフィンの概要や変遷、基本構造、流体力学上の揚力などについて詳しく解説してあるが、この著者は相当に謙虚な人と見えて、カイトサーフィンに働く力学はウィンドサーフィンなどでは使える従来の縦帆理論や揚力を中心とする航空理論では充分でないだけでなく当てはまらないことが多いとしている。
この姿勢は正しいと思う。彼はその例として角速度の問題や板の水中側面抵抗を挙げる。更に付け足すと、カイトサーフィンに働く力として無視できないものに、20m以上にも及ぶサスペンションラインの張力があり、一部のラムエア翼のように迎角(むかえかく・アタックアングルとかAoAとも言う。よく使う“ピッチ角”を正しく表現したもの。違いは後ほど説明)の変化が翼の曲率と連動して翼面積(投影面積)が変化するようなものもある。
これら考えられる全ての要素を同時に関係付けながら、カイトサーフィンの走行理論を組み立てることは実際上不可能だろう。ところが、こんなことをまったく知らなくても、着実に練習を重ねていけば、必ず、風よりも速く水上を走り、数メートルを超える高度をジャンプし滑空できるようになる。これが、「身体はやがて全てを理解する」ということである。
※ピッチ角とは翼弦線と水平線の成す角度。迎角とは翼弦線と進行風の成す角度。翼弦線とはリーディングエッジの先端とトレーリングエッジの先端を結んだ直線。めんどくさい話だが、図で見れば一目で分かるので、近いうちに下手な絵を描いてUPする。↓(ウィキペディアの画像に手を加えた)
今日の堀江は昼から比較的安定した北東風、7m前後、15㎡でそこそこ走る。最近だいぶ要領がつかめてきたループ系の技を飽きることなく繰り返す。3回転もやってみたが、無事着水した途端に頭がクラクラした。要するに目が回った^^;。これから事務所の回転イスで三半規管を鍛えておこう。
良いタイミングでカトちゃんがやって来た。早速2回目の水上練習。今日の内容も相当に充実していた。私のデカ板で何回か立ち上がって滑走することもできた。本日を彼の走行記念日としよう。
カイトを頭上の安定状態から振り下ろすと、ボード(板)が風向と直角に近い角度で走り始め、そのまま走り続けるのは何故か・・・少し理論的な質問もあった。
実は30年前、私がウィンドサーフィンを始めるに当たり、擦り切れるほど読み込んだ入門書に似たような項目があり、その内容はディンギーやヨットの帆走理論をそのまま踏襲(とうしゅう)したものだった。そして、その部分は何回読んでもまったくピンと来なかった。それでも練習を重ねるに連れて風の力をボードの速度に換える要領は自ずと身に付いていった。全てのスポーツで言えることだと思うが、身体はやがて全てを理解する
しかし、「どうして?」と問うことは人間の特権である。そして、ある現象の原因を理解しておくと、同じ失敗を繰り返すことが少なくなり、同じ成功を得る機会が多くなる。後に空の世界に頭を突っ込むようになって、航空力学や空気力学などのおおよそを習得することで、あれほど理解不能だった海の帆走理論もスッキリと理解できた・・・という経緯もある。
良い機会だから、試みに「カイトサーフィンの理論」みたいなものを、新しいカテゴリーで始めてみようかと思う。幾らかめんどくさい話も出てくるとは思うが、これもゆっくり楽しみながら進めることにしよう。
道中のサービスエリアで休み休み移動しながら6時間。山陰地方最初の町は境港(さかいみなと)だった。北に半島、南に中海、東に弓ヶ浜という長大な砂浜をひかえるこの田舎町には「水木しげるロード」なるものがあり、家内はぜひ見ておきたいと言う。私も同様。(写真・商店街の裏口→)
『ゲゲゲの鬼太郎』のファンなら大概そうだろう。私にとっても水木しげるは、漫画家という肩書き以上の存在だ。おそらく日本よりも海外で評価の高い博物学者・南方熊楠を私は天才的大学者だと思っているのだが、水木も彼が好きで、その伝記を水木流にマンガ化した『猫楠(ねこぐす)』という本を書いている。このマンガ単行本は和歌山の南方熊楠記念館にもあって、私はこの春の紀州旅行の際にここで手に入れた。
水木は典型的な「劣等生」や「おちこぼれ」の半生を経て漫画家になった。幼い頃から神童と呼ばれ、今でこそエコロジーの元祖と言われる熊楠も、晩年を迎えるまで高く評価されることはなかった。性格も分野も生き方も大きく異なる二人だが、遅くまで時代・社会に認められなかったという点で共通している。
しかしもちろん、水木が熊楠に魅かれる理由はそんなことではない。この辺のあれこれについて、私はいろいろと想いを巡らせるが今は頭が熱い。ちょっと面倒くさい話になりそうなのでまた気が向いたときに書く。
境港はとても細長い港町だった。水産庁の調査船や大型のイカ釣り船が全て横付けで着岸している。すぐ奥に続く小ぢんまりした商店街は、おどろくほど多くの観光客で活気があった。もし妖怪たちが登場しなければ、全国に広がる寂(さび)れたシャッター通りの一つになっていても不思議ではない。
境港から米子まで続く弓ヶ浜は並行して走る道路から眺めたに過ぎないが、素晴らしく長く美しい砂浜であることはよく分かった、もし、翌日が東寄りの風だったら、この浜で存分に風に吹かれていたことだろう。
米子で一泊したホテルのサービスは満足以上のものがあった。過去の旅で、あれもこれもと欲張りすぎた失敗を踏まえて、今回は米子周辺から大きく動かない。境港の見物で主目的は達成している。翌日はノンビリ過ごして帰るのみ。一応、近くのカイトエリアもネットでチェックし、良い風に吹かれて後悔しないようにと跳び道具もワンセット持参している。
結果・・・何も後悔することはなかった。昼前に到着した安木の河口エリアには、カイトやウィンドが30人ほどは集まった。香川のYさんに会ってビックリ喜び、F君を知る広島のカイトボーダーともお話できた。やがて西風7m前後で安定。15㎡で跳ぶにはちょうど良いコンディション。地図で読んだとおり素晴らしいエリアだ。多くの風は東西方向に吹きぬけるのだろう。中海に向かって伸びる小さな砂州周辺にはフラット水面があちこちにある。海水かと思っていたら淡水に近い汽水だった。
今回のプチ旅行ほど予定通りに事が運んだ旅も少ない。ただ、一泊旅行で往復12時間の高速移動は少々キツかった。高速道路はまちがいなく便利で効率的、そして、それだけのものだ。 旅の妙味はたぶん便利や効率の対極辺りにある。
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