内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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日々の競技内容は、その日の朝の気象状況を観て、主催者側が決める。PPGの競技は基本的にパラグライダーのそれを踏襲してはいたが、動力飛行ならではのものもあり、それらがミックスされたものもある。
我々も含めて海外の選手たちのほとんどは、もともとパラグライダーの経験者だったけれども、中にはソアリング技術に拙(つたな)い人もいた。滑空の世界では当たり前の、サーマルを使った高度獲得などの技術は、プロペラさえ回っていればいくらでも飛べるマイクロライトやPPGの世界では単なる乱気流以外の何ものでもないから、ほとんどの競技は早朝の大気が活発に動き始める前に開始された。
タスク内容は様々で、PPGならではのローパス(超低空飛行)でパイロンをキックして廻るお遊びみたいなものや、なるべく長距離飛んで良しとするディスタンス競技もあったが、メインタスクはやはり「ナビゲーション」と呼ばれるもので、地図の複数地点に目標物(パイロン)を設定して、それらを如何に数多く正確に迅速に撮影して戻ってくるかというものだ。
この種の競技で良い成績を収めるには、地図や地形を読むナビゲーションの技術はもちろん、パラグライダーの競技には不可欠のグライダーの「滑空性能」よりも、少々性能は落ちても安定して速く飛べる「翼面加重」の高い機体がものを言う。
海外の選手のほとんどは安全性の高いパラグライダー翼を使い、私などは滑空比が9を超えるコンペ機を持ち込んでいた。他の2人の日本選手は相当に気合が入っていて、PPG用に開発したばかりのグライダーで、勝つ気満々の様子だった。
ゲートが開いて、一人の選手がテイクオフしたら、その国の選手たちが後に続き、だいたいまとまってタスクをクリアしていく。日本チームもそうだったが、巡航(水平飛行)で10kmも遅い私は、どんなにフルアクセルで頑張っても彼らについて行くことができなかった。ちなみに「フルアクセル」とは地上のモータースポーツの常識と異なり、エンジンを一杯にふかすことではなく、飛行翼のピッチ角を最大限下げることでAoA(アタックアングル)を下げ、対気速度を増すことをいう。基本的に固定ピッチのパラグライダー翼で推力を上げると上昇はするが、速度は逆に落ちる。
ただちょっと面白いタスクが与えられた日が一日あり、これではそれなりの成績を残した。それは、排気量も燃料タンク容量も異なるエンジンに、正確に計量した等しい量の燃料を与えて、どれほど長時間飛んでいられるか・・・という、パラグライダーの競技では、その初期に流行したデュレーション(滞空時間競技)のようなものだった。
燃料の消費を抑えるには、上昇気流を利用する必要があり、これはつまりソアリング技術の基本だ。適当なサーマルを探し当てながら空中に存在し続けない限り、ガソリンが切れた時が地上に降りる時、ということになる。化石燃料をなるべく使わないという点では自然に優しいエコな発想なので、動力飛行主体のマイクロライトやPPGの競技でも、この種のタスクがなくなることは当分ないだろう。
ハンググライダーの時代から競技生活の長いチームリーダーのM氏や、若干20歳そこそこで恐れを知らないコンペティターのA君は、全ての種目で上位に食い込んでいた。私はというと、前に述べたような具合で、そうとうに不甲斐ない成績を重ねていたので、さすがにこの日は多少気合が入っていた。
ちょっと忘れられない光景は、この競技の最中に起こった。サーマル慣れしていない海外の選手の大半が次々に脱落(着陸)していく中で、地元・南アの選手の何人かは強烈なサーマルに果敢に突っ込んで滞空時間を伸ばしていた。彼らは私たち日本選手がサーマル拾いに慣れているということをよく知っていて、一人が良いサーマルを見つけエンジンを切ってセンタリングを始めると、たちまち追いかけて来る。
私がプラス5(毎秒5mの上昇率)程度の激しいサーマルに突っ込んだ時、数十メートル下には南アの選手が一人いて、ほとんど同じペースで高度を稼いでいた。およそリフト(上昇風)とシンク(下降風)は同居している。強烈なリフトの外縁部には、まず確実に強烈なシンクがあって、グライダーが運悪くこの境目に突っ込むと、翼の何割かは叩きつぶされる。
PPGでは滅多にないことではあるが、この時はまさにそれで、私は左翼を半分ほどを潰されただけですぐに回復したが、左下にいた彼は、翼のほとんどを無くした後、弛(たる)んだラインがエンジンユニットに引っかかり、サスペンションラインの何本かを切断した。バーンという音が聞こえるくらいだったからかなりの衝撃だったに違いない。センタリングの最中に近くの機体から目を離さないのは競技者の習いだ。私は少し上空からことの始終を見ていた。彼がいくぶん慌てながら、じゅうぶん不安定になった機体で急降下して行ったのは言うまでもない。
もう一つ忘れられない出来事は、重心移動型マイクロライト(トライク)の選手の死だ。詳しい状況を聞いていないのでこれ以上のことは書けないが、シングルシーター(一人乗り)の彼が競技中に事故死したことは、関係者の全てに悲痛な出来事だった。エアフィールドの端で華やかに揺れていた万国旗は、その日以降、半旗となって彼の死を悼んだ。参加者は皆、こういうことは、空の、特に無理をしがちな競技の世界では、誰にでも起こりうることを知悉(ちしつ)していた。
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