内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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なるほど、記憶は連鎖する。競技中のシーンをあれこれ思い出しているうちに、とうに忘れ去ったと思っていた当時の出来事の、しかもどうでもよいような事実の細部が蘇ってくる。
四十を超えたいい壮年が、初日の歓迎パーティーでフラフラと踊り狂ったことや、なんだかウマのあったスタッフの大男と肩を抱き合って写真を撮ったことや、まだ少年の面影を残していたA君がエアフィールドの飼い犬のキンタマを悪戯でデコピンしてキャンと言わせ周囲をビックリさせたこと・・・などなど、まったく他愛のない出来事が次々と脳裏に浮かび上がってくる。
PPGの選手たちの「姿勢」ついては、フランスチームの面々が必要以上の英語を決して使おうとしなかったということの他に、特に書くべきことはない。PPGの競技の歴史は当時まだ始まったばかりだったし、私の「世界の飛行家」への関心は、どちらかというとマイクロライトに関わる人たちに向けられていた。
後で分かったことだが、彼らの中には、後にトライク(ハンググライダーにエンジンとコックピットや車輪を付けたようなもの)でアフリカ大陸縦断という冒険飛行を達成したイギリス人のマイク・ブライスもいた。今は名前が出てこないが、10年ほど前に複座型のトライクで世界一周を成し遂げたのもイギリス人だった。(彼らは一種の超法規的措置で日本の空港も使った。ひょっとしたら彼らも当時イギリスチームのメンバーだった可能性がある)
松山と広島を隔てる瀬戸内程度の距離しかないにもかかわらず(だからでもあるが)、600年前の百年戦争以来、イギリス人とフランス人の競争意識は、他に例を見つけるのが難しいくらい激しいものがあり、近年はだいぶ和らいできたところがあるにしても、フランスチームがイギリスチームの言語である英語を喜んで使おうとしなかったのには、それなりの歴史と理由があるのだ。近代というトンデモナイ時代の大勢を作り出した2つの支柱・・・「市民革命」はフランスが筆頭をなし、「産業革命」はイギリスに始まる。
それにしても、マイクロライト・イギリスチームの「姿勢」には一種の「落ち着き」の空気が、フランスチームのそれには一種の「気品」の空気が漂っていた。これも自由の精神を本質とする航空の歴史の所産か・・・或いは、あるものごとに、自ら生命(いのち)を賭けながら取り組んだことのある人間のみが持つ、あの特有の雰囲気に由来するものか・・・。
私が数ある航空界の中でも特にこの種類に興味を持つ理由は、小はセスナから大はジャンボジェットや宇宙船に至るまで、現代航空の歴史の原点がここにあるからだ。それは、ライト兄弟が初めて動力飛行を成功させたとされる「ライトフライヤー」の外観や仕様を見ればすぐに分かる。飛行重量にしても使用動力にしても、現在の舵面操縦型マイクロライトよりもはるかに頼りないものである。彼らはもともと自転車屋さんで、20世紀初頭、前世紀にドイツのオットー・リリエンタールなどによって、着実に蓄積された滑空データを基にしながら、数々の失敗の山の上に、あの機体を作り上げたのだった。
ある夕食会の時、たまたま隣のテーブルに座っていた私は、フランスチームの皆さんに声をかけた。下手な英語よりもはるかに下手なフランス語だからどこまで通じたか分からない。今になって思えば、フランス人には日本びいきも多いはずだから日本語で行けば良かったのかなぁ・・・と反省したりもするが、ともかく、何でもいいから一言でも言葉を交わせたかったのだ。
私が「こんばんは、私はフランス語をちょっとだけ話します」などと意味のない言葉を投げると、彼らは「オー^^!」と言ったのみで、それ以上の何を話したかを全く覚えていないのは、もちろんアフリカ風邪とアルコールのせいだけではない。
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