内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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私も山飛び生活後半の数年間、月に一回有るか無いかという絶好のコンディションに恵まれた日は、ワクワクしながらフライトプラン(飛行計画)と取り組み、喜び勇んで遠出していた。
ほぼ全てのクロスカントリー・フライトの、飛行中の要所やランディングの模様、周囲の情景、その時味わった感動などを鮮明に覚えているところをみると、やはり、自己の能力の極限付近で体験した出来事は、よほど深く生命に刻まれるらしい。
それらの詳細については、また「パラグライダー」のカテゴリーでも作って書き残しておこうと考えている。今はカイトサーフィンの話だ。
その装備の軽便性がパラグライダーに極めて近いカイトサーフィンの日常は、ある一定の場所から出発して一定の場所に帰着するというパラのエリア内フライトとよく似ている。その場所の多くは海岸や湖畔だ。
先日、ロシアのカイトボーダーの2人が、冷たいベーリング海峡を米領アラスカに向けて走り渡ったというTVニュースが流れていた。途中、時化(しけ)が激しくなり伴走艇が引き返した後も、2人は諦めることなく走り続けたらしい。これなどは、かなり大きな規模の典型的なクロスカントリー走行だろう。
彼らのロシアへの帰途はたぶん空路を使ったのだろうが、もっと暖かく陸続きの環境だったら、使い終わったカイトや板をバックパックして歩くかバスや電車に乗って帰ったかもしれない。
カイトサーフィンの走行形態は、ある砂浜から出てせいぜいワンレグ1~2kmを往復するのが通常だ。風上に向かっても風下に向かっても、その程度の範囲を出ることは滅多にないし、多くのカイトボーダーはそれ以上のことを望んでいない。
しかし、その軽便性や運動性から自ずと生まれる可能性の射程はもっと遠くにあり、その一つとして、クロスカントリー的な楽しみ方も追求するに値するのではないかと私は思う。そして、最近は実に簡単に利用できるようになったGoogleアースなどを眺めながら、そろそろ遠出の準備を始めてみようか・・・と考えている今日この頃である。
カイト(サーフィン)の魅力についての思い付きを続ける。前回はその軽便性に少し触れた。
数ある風読みスポーツの中でも、空のパラグライダーと並んで、その軽便なることこの上ないのがカイトサーフィンだ。自分の身体一つで全ての装備を持ち運べるということが、その行動範囲や自由度を如何に広大なものにするか・・・まずは、パラを例に少し書いてみる。
パラグライダーは航空の分野では、フレキシブル・ウィングとか軟体翼とか呼ばれ、インテイク(空気取り入れ口)から流入する空気の圧力(ラムエア)で翼形を作る。流入風がなくなればただの布袋になり、畳み込むとバックパックに収まるほどの大きさになる。これにハーネスやその他の装備を加えても重量は20kg程度だから、普通の脚力の持ち主なら、全てを背負っても10kmや20km歩き廻ることはそう困難なことではない。
航空の特に滑空分野には、その楽しみ方に「クロスカントリー」という分野があって、サーマルを使ったソアリングや緊急ランディングや気象の知識など、それなりに高度な技能が身に付いたパイロットの一部は、限られたエリアの範囲を超えて、大概は数百mの高度のテイクオフからどれだけ遠くまで飛んでいけるか、ということに興味を持つようになる。
日本の或る団体では、そういうパイロットの為に「クロスカントリー・パイロット」という技能証明を用意しているが、現在これを取得するにはかなりの時間と労力がかかる。A級・B級練習生の数ヶ月間を経て、ノービス(初心者)・パイロット、パイロット(一人前の)としての経歴を1~2年重ね、更にかなりの飛行時間を経てやっと取得できる最終技能証になっていたりする。
これらはもちろん単なる私的団体のお墨付きだから、こんなもの無くても他人の自由や利益を侵害しない限り、誰がどこでどのように飛ぼうとも、それを邪魔したり禁止したりできる権限を持っている人間などどこにも存在しない。
クロスカントリー飛行の実際は、飛行前に地図や何種類かの天気図を読みながら慎重にフライトプランを検討することから始まる。テイクオフ地点とランディング地点が固定されているエリア内フライトと違って、雲を追い風に乗って可能な限り遠くまで飛んで行こうというのだから、どこに降りることになるのかは簡単には分からない。大概は適当な休耕田や畑や空き地に降りるべく計算しながら飛ぶ。しかし、山間部や山岳地帯が終着点になることも珍しいことではない。
パラグライダーの先輩格であるハンググライダーなどで、これを単独で行うのはまず不可能だ。その装備は相当にかさ張り、重量的にも一人で背負って歩き回るというわけにはいかない。またその飛行特性からランディングの条件も限られ、やむなく山地に降りたりすると後処理が大変なことになる。だから、普通は仲間のパイロットなどのサポートが必須となる。
クロスカントリー飛行の最大の魅力は、いわば「未知との遭遇」みたいなもので、普段飛び慣れたエリアの外側の世界は、新鮮な驚きと発見に満ち溢れている。刻々と変化する気象や地形を観察し、広大な空間を上がったり下がったりしながら移動していると、ちょっとした冒険旅行をしているような気分になる。およそ日常世界と対極にあるのでリスクも大きいが、得ることのできるリターンはもっと大きい。
最近、ますます「どうすれば、楽しくカイトサーフィンできるか。つまり楽ができるか」・・・ということを考えながら練習している。楽しむのが目的であり、練習は手段ということになるが、私の場合、もちろんその手段も楽しむ。
こないだから始めたのが、片手でポップやループをすることで、これなら片手は自由になり、空中でのバランスが取りやすくなるだけでなく、少なくても片手分の楽はできる。
他にもいろいろと便利なことが起こる。たとえば、私はランディング(着岸)の際に板を海上に残し、浜までの何mかをジャンプして帰着することがある。ところが、これをやると後で板を取りに戻らないといけなくなり、これがけっこう面倒くさい。片手が自由になり、空中で板を掴むことができれば、その必要がなくなる分だけ楽ができるだろう。
19㎡・30kmほど
昨日、いくぶん面倒くさいこと考えていたら、ふたたび、若くして逝ったT君のことを思い出した。青春時代の彼は、私が還暦に近くなっても、二十歳過ぎの、あの同じ姿で現れる。有り難くもあり、悲しくもある。
彼が私に与えた影響はほとんど計り知れないものがあり、彼が静かな口調で語った言葉の断片は、ことあるごとに私の脳裏に蘇る。その一つが「他人(ひと)の身になって考えろ」ということだった。
つまりは「思いやりの心を持て」ということだ。これは西洋風にいうと「愛」であり、仏教的「慈悲」を和風に言い換えたものに他ならない。
こんな、ある意味深遠な教えを、わずか10代の若者が真顔で語り、実際その指針にマジメに従って生きていたことを、私はよく知っている。T君とはそういう男だった。
そして、それは昨日書いた世界宗教の「黄金律」そのものでもある。「人を思いやってその身になる」とは、愛や慈悲の発露そのもので、キリストと孔子は、まったく同じことを反対側から表現したにすぎない。
ただ、その中に釈尊の言葉が入っていないのは、彼の慈悲が人間に限らず全ての「生命」に向けられていたからで、もし彼が同様のことを言ったとしたら、「自分がしてもらいたくないことは、全ての生き物たちに対してもしてはいけない」となったに違いない。まあ、初期経典の中には似たような言葉がたくさん出てくるのではあるが・・・。
私は自分のことを相当に頑固な合理主義者だと思うことが多い。しかし、自然の世界と長いこと付き合っていると、この広大な世界の中で、小さな自分の理性の及ぶ範囲などはたかが知れているという、当たり前の事実に感動したりもするのである。
たぶん、つづく・・・。
信の世界を追求すると、どんな経路を通ったにしても、つまりは宗教の世界に至る。どんな原理でも主義でも、それを信仰の対象にすると、実証可能な合理性から遠ざかり、まずは信じることを強調する宗教の装いに変容する。
人は同時に2つの道を歩むことはできないから、一つの信念なり信仰なりを貫こうとすれば、他の道の路傍に咲く花を楽しむことが難しくなるのも道理だろう。
しかし、人間が何かを信じることなしに生きることができない存在である以上 なんらかの「信仰対象」を求めるのも、きわめて自然な心情の発露だ。
そして、私の拙い観察では、世界三大宗教といわれるキリスト教やイスラム教や仏教での原初の内容は、大方(おおかた)において、合理的で実用的であるという点でよく似ている。
キリスト教とイスラム教はもともと同じ一つの神の啓示から出発しているが、仏教では呆れるくらい多くの神や如来が登場する。儒教の始祖・孔子は仏教の始祖・釈尊より百年ほど前の人物で、これがまた興味深いことに、その教えの本質的な部分において、キリストやムハマンド(モハメット)などと同じようなことを言っている。
その一つは、いわゆる「黄金律」と呼ばれるもので、内容は以下の通り。
イエス・キリスト:「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」(マタイによる福音書7章12節)
孔子:「己の欲せざるところ、他に施すことなかれ」(論語 巻第八衛霊公第十五 二十四)
ユダヤ教:「あなたにとって好ましくないことをあなたの隣人に対してするな。」(ダビデの末裔を称したファリサイ派のラビ、ヒルレルの言葉)、「自分が嫌なことは、ほかのだれにもしてはならない」(トビト記4章15節)
ヒンドゥー教:「人が他人からしてもらいたくないと思ういかなることも他人にしてはいけない」(『マハーバーラタ』5:15:17)
イスラム教:「自分が人から危害を受けたくなければ、誰にも危害を加えないことである。」(ムハンマドの遺言)
前置きがずいぶん長くなった。すでに蛇足になるような様な気もするけど、5年ほど前に、私は次のような一文を書いている。
「私が、あえて言葉にすると“宗教”というものを、どうしようもなく必要とした時は、野外に出て星を描く」
-ゴッホ
When I have a terrible need of - shall I say the word - religion. Then I go out and paint the stars.
-Vincent Van Gogh
狂気の画家と言われるゴッホの言葉だ。
あらゆる自然の生きものは「信じる」ことによって存在し活動している。樹木は大地を信じ、魚は海洋を信じ、鳥は大空を信じ、子供は親を信じることで、自ずと成長しその分に応じて、この世界での使命をはたすことができる。
この場合「使命」とは文字通り「命を使う」ことであり「生きること」と同義だ。日々大自然の恵みと厳しさの中で生き死にする彼らの世界に、疑いや不信の入り込む隙間はないはずだ。
さて、元々は自然的存在である人間の世界はどうであろうか。人間の作った社会や国家はどうであろうか。あらゆる自然存在が相互信頼の上に成り立っているのに比べて、あまりに嘘やまやかしが多すぎはしないか。それに従って、疑いや不信という伸びやかな成長にとっては阻害要因ともなる不幸が多すぎはしないか。
西洋近代は神に対する疑いと人間理性に対する信頼から始まったとされるが、日本の近代は堕落した仏教を中心とする宗教界への疑いと明治政府が持ち上げた神道への信頼から始まったと言えるのかもしれない。何を疑い何を信じるかによって個人や集団の命運が決まっていくのも当然だろう。
いずれにしても、どこまで行っても大自然の一部である人間が、まっとうに存在を続け成長していくためには、信じるに値する何かが不可欠で、人並み外れて感受性の優れた芸術家が、嘘まやかしだらけの人間社会や神の世界に愛想をつかして、天空の星々に祈りをささげようとしたとしても何も不思議なことではない。
今日はたぶん曇り空で涼しくなるだろうから、久々に庭仕事でもしようかなぁ・・・と午後のひと時を予定していたら、なんでかそこそこの北西風が入ってきた。これは・・・やっぱり海に出かけるしかないだろう・・・ということで、潮具合の良い粟井エリアへ。19㎡で20kmほど。
それにしても、一年ほど前からカイトに出かける回数が圧倒的に増えた。去年の夏、私の体重は80kgを超えていて、もっとも調子の良い70kg前半からすると、かなり際どいところまで来ていたようだ。
その頃のある日、何気ないジャンプをして両脚をグイと引き上げたら、ハーネスで抑えられて行き場を失った腹の脂肪が下から肋骨を圧迫して、肋軟骨が折れた、パキッと音を立てて・・・こんなことは想像したこともなかったことだ。
それから、私は本気でダイエットというかメタボ対策を始め、慣れない腹筋運動などというものを日課に加えたりしたのだが、何といっても効果があったのは、海に出かける回数の増加だった。
ちょうど去年の今頃から、F君の影響やことの成り行きで、愛用カイトをインフレータブルからラムエアに代え、19㎡を手にしてからは、それまでのおよそ2倍に近い時間を海岸や海上での運動に使うことになった。
もともとは、このフライサーファーのラムエア19㎡は、まあ微風用に一枚持っていても良いかな・・・程度の気持ちで購入したもので、これがこんなに頻繁に活躍するようになろうとは夢にも思ってなかった。
私は、カブリナのインフレ15㎡で海上を走り始めたのだが、1年も経って、クロスボウという13㎡を気に入ってからは、もう重たい15㎡は使う気になれず、大概の風はこの13㎡一枚で間に合うようになっていたのだ。
その感覚で19㎡というと、とんでもない面積だから相当に扱いにくいに違いなく、まあ風のない夏の季節に何度かお世話になれば良いかな・・・ぐらいの気持ちでいたのだった。
ところがどっこい・・・何でも自分でやってみないと分からない。この19㎡はとんでもない性能を持ったカイトなのだった。断っておくが、私はドイツのフライサーファー社の回し者ではない。
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