内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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PPGは当初、モーターパラとかパラモーターと呼ばれることが多く、フランス人が芝刈り機を改良した小型エンジンを背負い、まだ滑空性能の悪いパラグライダーを飛行翼にして、山からではなく平地から離陸することができるようにしたのを始まりとする。80年代中頃のことだ。
この画期的な出来事は・・・といっても誰でも思い付きそうな発想ではあるが・・・たちまち日本のTVニュースでも紹介された。私は、たまたまそれを食い入るように観て心を躍らせたパラグライダー愛好家の一人だった。
日本の大沢製作所という小さな町工場が、カートの100ccエンジンで似たようなものを造って販売を始めるのに、さほど時間はかからなかった。「海外から輸入した文物を、たちまち消化し、さらに洗練しながら日本流のものを生み出す」という大和の時代から変わらない日本人の奇特な能力は、この世界でも存分に発揮された。数年のうちに、日本のPPG製品は世界中の飛行家があこがれの目で見るほど品質の高いものになっていた。飛行翼としてのパラグライダーの歴史もしかりである。
今回の大会には、カラオケで有名なDK(第一興商)のエンジンを5台持ち込んだのだが、会場でもその仕上がりの良さは際立っていた。光を放つような流麗なデザインが会場の一画にズラリと並ぶと、海外の選手たちの目はほとんど羨望の眼差しに変わった。結局、私が持ち帰る予定だった一台を含めて、これらのエンジンは大会終了と同時に現地で完売となった。
このエンジン付きパラグライダーの普及が進むに連れて、FAA(国際航空連盟)はその分類に戸惑うことになった。人間の脚で離陸着陸し、ちゃんとした着座装置を備えないものを、航空機の一分野である既存のマイクロライト(ウルトラライトともいう)の範疇に入れるのは難しい。かといって、小型ながらエンジンという動力を使うのだから、単なる滑空分野でもない。
まあ、自由を愛する人間の立場からはどうでも良いことなのだが、この問題は日本の幾つかの航空団体の間でも紛争の種となり、滑空を主体とする団体では「補助動力」として滑空分野に、マイクロライトの団体ではその傘下に加えようとして、FAAの方針に従い「PPG(パワード・パラグライダー)」と命名した。今回のPPG世界選手権大会が、マイクロライトと同時に行われたのは、世界の航空界を統括してきたFAAが、これをその一分野としてカテゴライズしたからだった。
ことの成り行きで、私はその両方の技能証や指導員の資格を持ってはいるが、こんなものは、人類の飛行の歴史から見ても、個人の自由への歴史から見ても、全くどうでも良いことの一つだ。
またまた脱線しそうになったが、これは今回の私の旅の2番目の目的「この分野における世界の飛行家の姿勢」に関係するので、ちょっと触れておいて、次回は最初の目的「競技」の中で起こった印象的な出来事を少し書く。
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