内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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教育の字義が「教え育てる」ということであることは言うまでもない。そして、親が我が子に成長を教え、幸せに育てるために注ぐ愛情は、人間だけでなく、どんな動物、どんな時代、どんな生息世界でも変わることはない。これが、教育に関する全ての出来事の原点である。ある意味、こんな自明な事実も少ないかもしれない。
我が家の屋根瓦の裏側には、毎年数回スズメが巣を作り、数羽の子を育てる。梅雨も近づく晩春になると、事務所の玄関口にはツバメが、近くの田んぼや草地で集めてきた泥や枯れ草で美しい巣を作り、数羽の子を育てる。
彼らの子供たちに対する情愛の深さ、その育て方の巧みさは、どんなに言葉を重ねても説明しきれるものではない。私などはただ見惚(みと)れるばかりである。
また、松山に暮らすようになって30年の間に2度、メスの捨て猫を拾い、それぞれ5匹、4匹の子供たちを生み育てるのを身近で観てきた。彼らの育児方にも教えられることが多かった。
かくして、人間教育の歴史も、元をたどれば先史以前、人類発祥の地点まで遡(さかのぼ)ることができるはずだが、有史の日本に限れば、中国から律令制が輸入され国家の体裁(ていさい)が整った頃から、家族や部族の単位を超えて、一部貴族を対象にした国の教育制度が始まったと言っていいだろう。
そして現在、他の多くの学問分野と同様、「教育学」は、表題をざっと並べるだけでも肩がこるくらい細分化され、一通り目を通すにも何年かを要する。
学校教育に限って言うと、さらに教員免許を得て、「単純ならざる学校」という窮屈な舞台で、かなり頼りない「理論」を応用し実践するという作業は、ますます面倒で困難、つまり苦労が多いものになっている。
(まだつづく)
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