内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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久方ぶりにクラウス博士からメールを頂いた。近況の連絡と近々出版される論文書"The Law of Peace Constitutions and Collective Security - Japan's Motion to Abolish War"『平和憲法と集団的安全保障-戦争廃絶に向けた日本の動き』(寛太郎的拙訳)の案内だ。
人と人との出合いは偶然と必然との出合いでもあるらしい。もう10年ほど前に、たまたま彼のWEBサイトに行き当たった私は、一人のドイツ人研究者が日本の平和憲法にただならぬ造詣と期待を持ち、国際連合の限界と可能性についても、およそ私と同じ見方をしていることを知った。
中学3年の弁論大会で「世界政府を作る」なんて幼稚な大ボラを披露して先生方の失笑を買い、親父に「もっと落ち着いてまともなことを言え!」と怒られた少年が、その後、長い学生時代後半の研究課題に選んだのが国際法であり、中心テーマは国際連合だった。
やがて、私の関心は、世界の平和から一人の人間の、畢竟(ひっきょう)自分自身の心の平和という、更に切実な問題に移っていくのであるが、少なくとも法的には、世界平和のために作られた国際連合の理想の行き着くところは、詰まるところ「世界連邦政府」の構築ということになるだろう・・・という結論は、今もまったく変っていない。
その旨メールを差し上げると直ぐに丁寧な返事があり、ここから静かな交流が始まった。やがて彼の記事や外務大臣への提言類などの翻訳作業をお手伝いすることになるのだが、その興味深い来歴を知るにつれて、彼の生き方そのものにも心魅かれるようになった。これは一度お会いしておかなければならないと思った。
8年ほど前になる、すでに60歳を超える彼の風貌について色々と想像を巡らせながら、埼玉の日高市にあるお宅を、学生時代からの友人と訪ねた。雨の中、博士は自転車で駅まで迎えに来ていた。
お会いした瞬間、遠い昔どこかで親しくしていたような懐かしい感覚が私の胸を満たした。たぶん多くの人が経験するだろう「初めて来た場所なのに以前から確かに知っている!」というあの奇妙な感じに似た感覚。
その人柄は私の想像とほとんど寸部の違いもなく、虚飾とは無縁、思慮深く誠実でユーモアを忘れない学究の紳士が、ドイツの哲学書の中から姿を現した・・・というような風貌だった。
質素なお宅は借家で、やはりドイツ人の女性芸術家と二人で共同生活をしていた。本や書類が雑然と積まれた小さな部屋で、お茶をよばれながら過ごした幸せな数時間を忘れることはない。
してみると、博士は現在68歳ということになる。いつかはこちらにもお招きしたいとは思っているが、限られた時間との相談ということになるだろう。
(後に電話でお話しているうちに、過去の事実と私の記憶の間に多少のズレがあることが分かった。わずかなことだが訂正しておく。6/11)
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