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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

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別府(ここにも桜)

天気晴朗。昼飯の間に風は徐々に上がり、3~4から終にはトップで10ほどまでに。前半19㎡、後半12㎡。昨日・一昨日と不完全燃焼だったが、今日はまったく生き返ったように気持ち良く50kmほど走る。
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FSの新しい板の乗り心地は「エクサレント!」と叫びたくなるくらいだった。動きが軽い、ポップの際の食いつきが良好、フットストラップはほとんど脱げない・・・したがって、およそ想定通りに飛べる・・・カイト操作を誤らなければの話^^;。フロントでもバックでも、スピンの最中の自分の姿勢をこれほど確かにつかめたのは初めてではないだろうか。

この海岸の小さな崖にも、かわいい桜の木がしっかりと根を張っていた。この季節、桜はどこで観ても美しい。

高度600mより↓
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我々の子孫へ

2日ほどかけて、加藤周一の遺言映画とも言うべき、『しかし、それだけはない。(加藤周一・幽霊と語る)』を観た。感じ、想い、考えることは多くある。今回はただ、彼の最後の言葉を重く聴きながら自ずと連想した、B・ラッセルの「我々の子孫へ」 "To our descendents"の映像記録を、少し長いが、そのまま書き取ってざっと意訳しておく。

INTERVIEWER: One last question. Spposed this film was to be looked at by our descendants, like dead sea scroll thousands years of time, what would you think is worth telling that generation about the life you lived and the lessons you've learned from?

RUSSELL: I should like to say two things. One intellectual and one moral.The intellectual thing I should want to say to them is this. When you are studying any matter or considering any philosophy, ask yourself only what are the facts and what is the truth the facts bear out. Never let yourself be diverted either by what you wish to believe or by what you think it would have efficient social effects if it's where believed. Look only and thouroughly what are the facts. That is the intellectual thing I should wish to say.

The moral thing I should wish to say to them is very simple. I should say, love is wise, hatred foolish.In this world which is getting more and more closely interconnected, we have to learn to tolerate to each other, we have to learn to put up with the fact that some people say things we don't like. We can only live together in that way.

If we are to live together and not die together, we must learn kind of charity and kind of tolerance, which is absolutely vital to continuation of human life on this planet.


インタビューアー: 最後の質問です。もしこの映像が(数千年の時を経た“死海文書”のように)私たちの子孫に見られるとしたら、あなたの人生から学び取ったもので次の世代に語り遺しておくべきことは何でしょうか?

ラッセル: 2つあります。一つは理性的なこと、一つは道徳的なこと。理性的なことで彼らに言いたいことはこういうことです。あなた方が何かを研究(勉強)したり、なにか哲学的な考察をしたりする時、ただ事実が何であるか、事実から導き出される真実がなんであるかのみを考慮しなさい。けっして自分がそうあって欲しいと望むものや、その社会的効果の如何によって目をそらされてはいけない。
事実が何であるかだけを徹底して観察しなさい。これが理性的なことについて、私が言いたいことです。

道徳的なことについて言いたいことは実に単純です。「愛は賢明、憎しみは愚か」。相互のつながりがますます緊密になってきているこの世界では、私たちは互いに寛容であることを学ばなければなりません。誰かが自分の気に入らないことを言う場合にも、それに耐えることを学ぶ必要があります。

そうすることによってのみ、私たちは共に生きることができる。もし私たちが共に生きることを望み、共に死ぬことを望まないのなら、慈悲と寛容の精神を身につけなければなりません。これは人類がこの惑星で存続し続けるために極めて重要なことです。


 

塩屋(ちょこっと花見)

今日の塩屋は緩やかな北西風から西風を経て終には南風へ、トップで8ほど非常にガスティ、・・・逆潮でもあり、ほとんど面白い要素なし。

松山は昨日、桜の満開宣言だったが、塩屋の桜はまだ3部咲き程度。それでも、中に大空に溶け込むような白い花を付けた数本を見つけて小さな花見を楽しんだ。(高度300mより俯瞰↓)

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堀江(春の北風)

天気晴朗。引き潮、北風5程度。19㎡。バックスピン・スイッチの練習を何度か。

(カイトサーフィンには回転体が2つあるので、とりあえず、カイトの回転をループ、人+板の回転をスピンと呼ぶ。両方回ったらどうするのかはこれから考えよう)

高度300mから俯瞰↓
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加藤周一

世界の中で、ほとんど消えるほど小さい意識、個人の意識が、全世界に意味を与える。だから、一人の男に何ができるでしょうか、どうせロクなことはできないと言う(人がいる)けど、そうではない。それは全世界に意味を与えることができるんだ。

‐ 加藤周一 
(最晩年の言葉)

「加藤周一に初めて出合ったのは、高校2年の現代国語の教科書の中の『雑種文化』の抜粋だった。その数ページを夢中で読むうちに、乱雑な頭の中がきれいに整理さていくような気がした。彼の文章には独特のリズムがあり、混沌から秩序を生み出すような力がある。曖昧で不安定な周囲の世界がクッキリと輪郭をそなえて、自分の手で確かに掴み取ることができるようなものに変わっていくのだ。

私はすぐに街の本屋に出かけて彼の本を探し、その半生を描いた自伝『羊の歌』を見つけた。岩波新書のこの二冊本ほど、私の青春前期のものの考え方に影響を与えた書物はない。何回も繰り返して読むうちに、その文章は私の頭の中でリズムを伴いながら反響するようになり、私は彼の言葉で考えるようになっていた。

「一日一冊読書」などという無茶な課題を自分に課したのも彼の影響で、今に続く乱読癖はこのあたりに源がある。そして、学年が変わって新しい教科書をもらったら、ほとんどその日のうちに通読して、その中の気に入った筆者の本を、街の本屋や図書館で探し出して読むことを常とするようになった。この方法は英語の学習にも応用されることになる。

加藤が『羊の歌』を書いたのは40歳代後半である。自己の人生を少し腰をすえて振り返ろうなどという気になるには、それなりに大きな契機が必要だろう。大正8年生まれの彼が40代といえば1960年代ということになるが、彼の中で何があったかつぶさには分からない。ただ、私が青春未満、60年安保の空気が残るこの頃は現在と比べて、学生のみならず日本社会全体に自由を求める活力が溢れていたことは確かだ。

1919年の羊年生まれというと、ちょうど私の父と同年で、父はかなり動作が緩慢になってきてはいるが90歳を目前にしてそれなりに元気だ。彼は16歳で海軍に志願して、中国戦線から終戦までの10年間を軍人として生きた。何度かの海戦で船を沈められながら生き残ったのは運が良かったからだろう。いつだったか、天皇の戦争責任について聞いてみたら、「もちろん有るに決まっている!」と即答した。しかし、彼の世界観が日本という国家を超えることはない。

加藤は数年前に「9条の会」の発起人の一人となって戦後リベラリズムの灯をともし続けている。ともかく共にお元気で、なるべく永く生きてくれることを願う。」

何年か前にこんなことを書いた。そして、加藤は2008年の冬に89歳で、父は昨年2010年の夏に90歳で逝った。二人は同じ年に生まれ同じ時代を生き、それぞれの“小さな意識で全世界に意味を与えた”。それは多くの点で対照を成すように見える。その対照世界にどのような意味を与えるかは、これからの私の“ほとんど消えるほど小さい意識”の問題になるだろう。

堀江(トップ15m)

明るい青空だったが、風はトップで15m。少しおさまったとたんにガスティブロー。あんまり面白いコンディションではない。IMGP0122s1024pix100kb.jpg

それでも10㎡で10kmほど走った辺りで、ジャンプスイッチの直後、お古のフロントラインが破断。3回くらいはもつかなぁ・・・と思っていたのだが、2回が限界だった。いよいよパワーラインというのにお世話になる時が来たようだ。

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自己信頼

It is easy in the world to live after the world's opinion; it is easy in solitude to live after our own; but the great man is he who in the midst of the crowd keeps with perfect sweetness the independence of solitude.
- Ralph Waldo Emerson 

世間では世間の意見に従って生きるのが簡単だし、一人のときに自分の意見に従って生きることも簡単だ。しかし偉大な人間とは、群集のただ中にあって、完全に穏やかでありながら、一人ある時の独立性を保っている人のことだ。
- R・W・エマソン


エマソンが論語を読んでいたかどうか知らないが、この『自己信頼』の一節は「君子は和して同ぜず」そのままだ。ともあれ、日本という島国の、付和雷同型、閉鎖的ムラ社会の中で、心穏やかに一人の独立性を保つことは容易ではない。しかしもちろん不可能でもない。

私にとっては2人目の父ともいうべき加藤周一は、老人と学生との共通点に触れた講演の中で、自由な学生が就職などで社会に出たとたんに職場団体からの強烈な圧力に晒されることになるが、それに対処するのに2つの方法があるとする。大多数は集団に同化するという楽な方を選ぶ、ごく少数は外と内、建前と本音の二重生活に耐え、定年退職の後に本音の言動を始める・・・と言っている。



この国で心穏やかに独立の道を歩むには、集団の圧力を楽しめるくらいの強靭で柔軟な生命力、そしてその本源となる何らかの原理や信念が不可欠なのかもしれない。

Nothing can bring you peace but yourself. Nothing can bring you peace but the triumph of principles.

自分に平和をもたらすものは自分自身以外にはない。自分に平和をもたらすものは信念の勝利以外にはない。


これが『自己信頼"SELF-CONFIDENCE"』の最後の2文だ。 

堀江(混雑)

うす曇。多少冷たくて幾分ガスティな北東風がトップで10mほど。12㎡。昼過ぎから干潮に向かう今日の堀江海岸は実に狭く感じられた。春の日曜日で人出が多かったということなのだが、やはり私は、それがどのような種類のものであれ、混雑した場所は性分に合わないようだ。

↓堀江沖、高度800mより俯瞰
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別府(どれだけ楽に)

今日の別府は朝早くから吹いていようだ。昼前に着くと安定した西南西が8m程度。12㎡を広げてから、いつもの解凍ピラフをユックリ頂きながら、春風にさざめく海面の様子を眺めているうちに、いくぶん風が落ちてきた。あんまりゆっくりもしとれんなぁ~・・・ということで、まずは怪島水道に向けて上りの走りから。

このエリアには何ヶ所か、順潮でもきわめて穏やかな海面があり、怪島水道中央辺りにはそれなりに美形の潮波もあって、基本的なボードコントロールやジャンプの練習だけでなく、ちょっとしたウェイブライディングまでできてしまうのだ。

今回の私の課題は「どこまで力が抜けるか」・・・要は、このところの連チャンの疲れが少し残っていたので楽がしたかったということもあるのだが、これがなかなか難しい。体中をコンニャクのように柔らかく、波と風に全部任せるような気持ちで・・・などと思いながら、ボンヤリ走っていたらカイトを3回も落としてしまった。

どうやら、飛んだり跳ねたりするには、それなりの気合が必要なものらしい。しかし、それでもなお、「どれだけ楽にカイトサーフィンできるか」というテーマはずっと追求し続けるつもりだ。私の知る限り、どんな技能でも達人(と私が評価する)の動きには「無理」がなく「自由」がある。流れるような自然性がある。たいていは「まったく楽にことを運んでいる」ように見え、それは美しいものだ。

宮本武蔵は「千日で鍛、万日で錬」と言った。しかし、カイトサーフィンの相手は人間ではなく、あらゆるナチュラルスポーツと同じく「大自然」だ。この分野で達人の域へ至る方法や道程については、またゆっくり書いてみたいと考えているが、要中の要をとって言えば、「淡々と自己の道(過程)を楽しむ」ということになるのではないだろうか・・・これがまた、たいがいは他人(ひと)の目や評価が気になり、何かと性急な現代文明の渦中に生きる私のような凡人には容易なことでもないのではあるが・・・。

↓怪島沖、高度1500mより俯瞰
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別府

別府というエリアにどうしてこんなに風が入るのか・・・幾つか思い当たる要素はあるが、それにしても不思議なくらい良く吹く。今日も昼を回ってきわめて静かな堀江でマッタリしていたら、はるか沖合いの海色がわずかに濃くなった。

これをF君が見逃すわけがない。久々に一緒したM君の気持ちもすでに別府に動いている。私は今日は風も休みになるだろうと思っていたから、そうは期待もせずに移動した。そしたら・・・やっぱり程よい西風が入っていた^^;

M君にとっては初めてのエリアで、多くの先例にもれず、少しは泳ぐことになるはずだったのだが・・・しっかりアップまで取りながら一体何レグ往復したのだろう・・・私は彼の少し上に付けて、じっくり様子を見ながら走っていたのだが、ほとんど心配のない、これまでで最高の走りだった。順潮の助けがあったにしても、ライディング姿勢に無理な力がだいぶ抜けて、着実に上達していることが手に取るように分かった。まったく良い一日だった^^。

M君の別府デビュー↓


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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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