「私たち日本人にいちばん欠けているものは何か、といいますと、
自分が独りでこの地上に生きている、たった独りで生きているのだという自覚ではないでしょうか。」
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辻邦生 『言葉が輝くとき』
辻は
加藤周一の6年後輩にあたるが、加藤同様、フランス文学者の渡辺一夫に師事している。辻は仏文専攻だから当然。加藤は医学部であったにかかわらず、仏文教室に出入りして渡辺から大きな影響を受けている。
彼は学生時代に急性肝炎で生死の境から蘇り、楠(くすのき)の新緑の輝きに包まれて、「死を見つめ、感じたときに、かえって生きているという誰にも当たり前の平凡なことが、突然考えられないくらいすばらしいものである」ことに気づく。
「いよいよ退院となって、ちょうど5月でしたが、東大病院を出て、大学の構内を歩いていましたら、大きな楠がたくさん茂っているのですね。楠はちょうど燃え立つような新緑です。この緑の輝きの美しさに、これが「命」なんだと感動し、その時初めて生きているって本当に嬉しいことなんだと思いました。そして、この嬉しさは「死」というもの、自分が死んでこの世からなくなってしまう、一人ぼっちでお墓の中へ入ってゆく、そういうことと裏腹にあるということに気づいたのです。」
人間は、否応なく、たった独りで生き死にする実存であり、深く深く見詰めてみると、その在り方が
実はとんでもなく素晴らしいことであるということ。この体験感覚がその後の彼の生き方の基調となったに違いない。
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