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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   
カテゴリー「日記」の記事一覧

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初日の出

一体何年ぶりになるだろうか・・・。今年の元旦は家内と初日の出を見に山に登った。といっても車で山頂まで行ける、大島のキロウ山という展望台だ。

日の出時刻は7時14分だが、四国連山には薄い雲がかかっていて、光の日章旗が薄明かりに放射されるまで15分ほど待った。

今年の正月は不思議なくらい暖かく、強い西風の中、100人を超える人たちが来ていた。多くは20代と思われる若者やカップルだ。

私もついに・・・と言うべきか、今年は還暦を迎えることになっている。去年はかなり厳しい体調の日々が続いたから、今年の願いは第一に健康である。毎年、毎日、朝陽は登る。日々新た、日々是好日を心に留めて、また悔いのない一年にしよう。

 
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冬の蜘蛛

今朝の室温7℃。すでに12月、じゅうぶん冬の季節ではあるのだが、ちょっと冷え込みが早すぎはしないか・・・。昨夜は珍しく、夜中の3時半頃に寒さで目が覚めた。薄手の掛け布団2枚では足りなかったようだ。8e144c0c.jpeg

朝のタバコ一服の定位置から眺める中庭のゴールドクレストの大木は、ハトが巣を作ったり、スズメやヒヨドリが遊んだり、女郎蜘蛛が網を張ったり、西風を告げる風見になったり・・・で、いろいろと役に立っている。

昨夜は少し雨が降ったらしく、9時を回っても針葉の先端には朝の日差しを透過する水滴がいくつも付いていた。夏の間、忙しく活動していた女郎蜘蛛は、晩秋が来て一度は広い網を撤収し、どこかに隠れていたように見えたのだが、今朝の玉露を写真に収めようとベランダに出てみたら、夏ほどではないにしても、わりあいしっかりした網の中心で冬眠したように固まっていた。

天気予報では日中15℃あたりまでは上がるらしい。昼からまた少し身体を動かしに海に出かけることになるだろう。


結婚式と夕陽

大勢の人が、同じような格好で、型にはまった形式的なことごとの周囲を、畏(かしこ)まったり、騒ぎまわったりしている場所に同席することは、私にとっては、ほとんど無意味な苦行である。今回も大体はそうだった。121118-3-s.jpg

しかし、結婚式場にオマケで付いているような教会ではなく、本物の大教会で行われた今回の結婚式は、少々感動的だった。英国国教会の流れをくむセント・ポール大聖堂の、おそらく英国人の神父様の低い声は、何語で喋っているか分からないくらい反響がきつかったが、ともかく厳かで暖かいものだったし、広々とした式場を高く覆うステンドグラスの色彩も美しかった。

まあ、結婚は人生の大きな節目であることは確かなことで、それを何らかの形にして残しておきたい・・・というのは、人間の自然な心情だろう。運がよければたった一度の経験・行事になる。そういう意味では、まことにめでたいことではある。

今日は昼を大きく回った頃から西風が入り始めた。昨夜はすっかり疲れて帰ってきたから、今日はいつもの自然充電をちょっと念入りに・・・塩屋の夕陽が西に大きく傾くまで、跳んだり回ったりを繰り返した。121119s-s.jpg

それにしても、夕陽は美しい。何百回見ても新しい美しさがある。今回も、片づけが終わった後しばらく、ゆっくりと眺めながら、「あの想い」を強くしていた。

私の胸の深いところに繰り返し去来する「あの想い」については、また近いうちに書くだろう。

 

岡山

冠婚葬祭嫌いの私が、逃げるわけにもいかない結婚式で岡山に来た。ここは何かしら縁の深い土地だ。

もう40年になるのか・・・地震学研究の道に進み、博士課程入口の25歳で逝ってしまったT君が18歳で学生生活を始めたのがこの街だった。12118-4-s.jpg

一昨年の紀州旅行の帰途、あの東北沖大地震がやって来てフェリーが止まり、急遽、陸路に切り替えて立ち寄ったのも、この地に建立された彼の地蔵に会うためだった。

忘れ難き大地震に促されるように、生きていれば間違いなくこの道の大研究者になっていたであろう、忘れること能わざる友人の石像と対面した。

明日は再びT地蔵に挨拶して帰る。年月の経過は、私の生きる環境世界も私自身も、そして私に繋がる過去の多くの事実も、その意味を変えた。

しかし、あの彼の小柄で柔らかな姿や、爽やかな笑顔や、残した言葉は変わらない。おそらく、これからも変わらないだろう。不変の世界の人間は、流転・変転を止めない世界の人間にとって、常に新しい何かなのかもしれない。

冬の始まり

今朝の室温、9℃。いよいよ冬が来た。

私にとっての冬到来の時は、朝起き掛けに、温度計の針が10℃を切る・・・ということだ。外気温はもっと低かっただろう。

海の方は、まだとうぶん水温が高いので特に問題はないが、これから海水温がどんどん気温に接近して、20℃を切り、気温も10℃を下回るような日はちょっとした苦行になる。1170975167.jpg

厳冬の1月、2月辺りは、海に入るのを考えてみようかなぁ・・・と、今のところは思っているが、これは大体、毎年この時期の年中行事みたいな心理である。ただ、確かに、そんな寒い時期に冷たい水に晒されなければならない必要性も必然性もない。

数年前からあれほど好きだった自転車散歩やサイクリングから遠ざかっている。今日、久しぶりに数キロ走ってみたら、あのゆったりとした自転車ならではの心地良さを思い出した。

真冬は自転車を漕ぎながら、あれこれの考えに想いを致すのも良いかもしれない。

カーテン他

昼過ぎから思わぬ北東風が入る。30分ほど、いつものごとく回転技の練習を繰り返す。練習といってもただ楽しんでいるだけのことだ。

3回転程度ならまったく目が回らなくなった。軟着陸の確率は徐々に上がっている。まあ、好きなことを飽きることなく繰り返していれば、どんなことでも上達する道理の通り。 雨、多少降る。

冬の車中泊キャンプに備えて、断熱遮光カーテンを注文する。いろいろ見ていたら、夏の蚊対策に網戸の網を適当な大きさに切って、マグネットで取り付けている人がいた。これはグッド・アイデアだと思う、来年の夏はやってみよう。

便利な時代

静かな日曜日だった。そう風のことを気にするでもなく。朝は、アメリカ大陸の東はずれに住む友人家族とのスカイプ交流の楽しみにS君も加わって・・・まあ、とんでもなく便利な時代になったものだ・・・。

運よく数百年後まで現在路線の人類文明が残っていたとして、今という時代は、まさに「大情報革命」の時代であったと評価されることは間違いないだろ。それが本格的に始まったのは、ほんの20年ほど前、Win95が出て、マックも頑張り、インターネットが大普及を遂げてからのことだ。この間の世界的技術革新はどんなに驚嘆してもしきれないくらいだ。

何年か前に、こんな記事を書いたことがある。こんな変化がまだまだしばらくは続くだろう。e84c1a48.jpeg

「ウィンドウズ95が出てすでに12年、干支が一回りしたわけだが、この間のインターネットやパソコンの技術革新は目まぐるしかった。ほとんど驚異的と言ってよい。私が手にしたWin95最初のPCは14インチモニター一体型のNECキャンビーだった。(当時25万円、今これだけ使えばかなりの性能のデスクトップが3台は買える。)Win3.1に比べると格段に扱いやすいOSになって、随分多くの時間をワクワクしながら、時にはノイローゼになりそうなくらい熱心にこの世界との付き合いを始めた。

ちょっと振り返ってみると、私のパソコンの原点は25年前のまだマイコンと呼んでいた頃のシャープMZ7000だ。これを安月給をはたいて購入したときの嬉しさは格別だった。モニターは家庭用のテレビ、プログラムはBASICをカセットテープで小さなメモリに何分もかけて読み込ませてから更にゲームソフトのテープを読ませる。それでやっと『スタートレック』などのアドベンチャーゲームみたいなものが楽しめる・・・というもので、ともかくゲームがしたくて始めたようなものだった。

そして、このBASIC言語を何日もかけて組んでやっと完成させ大喜びしたのが単純なピンポンゲームだった。これで充分感動できた時代だ。このゲーム熱も数年後にファミコンなる万能ゲーム機が出て一挙に冷めてしまうことになる。

12年前のネット環境は今から考えるとバカ高い料金の従量制で、ピーヒョロと鳴く14.4Kbpsのモデムで、常に時間を気にしながら100kb程度の(楽しい)画像を落とすのに何十分もじっと待っていたこともあった。これが今や100Mbpsの時代だ。ざっと1000倍の速度!

HPを中心とするネット上の情報の総量も圧倒的に少なかったけれども、英語サイトの文書類にはかなり使えるものがあった。すごい時代になったな!これからもっとすごいことになるだろうなー・・・と考えていた。そして、その通りになった。PCのCPUやハードなどはもう言葉にもならないくらい大変なもので、私の想像をはるかに超えていた。メガバイトの単位のハードディスクの容量がギガバイトになったのだから、これも単純に1000倍進歩したということになる。10年ちょっとで1000倍に変化するものなんて、第一次世界大戦後のドイツを除いては、終戦直後の日本の物価くらいのものだろう。

人間の環境適応能力は全ての動物に優れる・・・という人がいる。私もある程度はこの説に賛同するが、しかし、どんどん前に進むだけが人間の幸せでないことも良く知っている。つまり、日の当たる進歩の裏にはおそらく同程度の退歩の影がくっ付いているという見方をする。長い目で見た場合、その退歩・後退が人類の存続にとって決定的な負荷になり、取り返しの付かないものにならないことを、とりあえず今は願うよりないのかもしれない。」

やはり問題は、これで「人類が幸せになるかどうか」ということで、大概のモノゴトには明と暗があるから、手放しで喜んでいると、たぶん痛い目に会うこともあるだろう。

人間が作った道具を使うのは、もちろん人間であり、おそらく宇宙大に広大深遠な人間存在そのものの「科学的」探求は、どんなにひいき目に見積もっても、序の口に付いたばかりじゃないかと思われる。

もっとも私は、いわゆる現在の科学的方法のみが、人間探求方法の全てではないと考える人間の一人である。

日記

今日から「一言日記」を始めようと思う。一言になるか二言以上になるかは気分次第。私は何かを書き始めると、連想が連想を生んで、どうも話が長くなる。日々徒然なるままに・・・ではないけれど、徒然の小さな記録をささやかに残して行くのも悪くないだろう。

iphone5が今夕到着した。こんなに速く来なくてもいいのに・・・まあ来たものは仕方ないから、早速セットアップを済ませる。これまでの4は数時間前からまだ初期化の作業を続けている。一体いつまでかかるのか・・・まあ明日の朝までには終わっているだろう。

S君のグラハン・・・15㎡でちょうど良い風になる。ほぼオンショア満潮で浜が狭く、セイフティコントロールの大事さの一分が分かったそうだ。それにしても楽しくて仕方がないという風で私は嬉しい。

Kさんと取り組んでいる論文の翻訳作業・・・朝のうちに「超意訳」を試みてみる。やはりというか、予想以上にというか、これまでの単なる「意訳」よりも、時間がかかる。なんにしても新しい試みなので大変だが、これが結構楽しい。最終的に、どのスタイルをとるか・・・これからの問題だ。

S君のAK1の二次試験・・・会場が分かったので、明日は宿の予約をしておこう。

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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