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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

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宇宙的体験 7

前書き

子どもの頃、私は聖書も聖書的「神」も信じなかった。両親はそれを望んだが、私は馴染むことができなかった。聖書は明らかに巨大な物語として、本棚のフィクションの位置に収まっていた。一つの物語がどうして万人の現実となることができるだろうか?私自身の物語と他の人々の物語はどうだろうか?

両親は私を神学校に送り、ある夏休みには僧侶と共に住まわせることさえした。いつの日か私がイエズス会に入って救済されることを望んで。私は懐疑論者でも無神論者でもなかったが、12歳まで道に迷っていた。当時、私は多くの人々が「神聖な領域」とみなすものを見たし感じてもいたのである。そして、聖書の創造神話は私が経験していたことと全く整合しなかった。

教会は生命が地球上で発生し、地球は宇宙の中心であり、地球外生命体など存在しないと伝道していた。私はというと、この世界のどんなものより進歩していると思われる、他の世界からの存在と交流していたのである。しかし、批判されることや社会からつまはじきにされることを恐れて、私はその事実を隠していた。

今や私は大人であり、他の人々が私をどう思うかあまり気にしなくなった。そして、幼い頃よりももっと世界に貢献できると思う。人類よりも高度に知性的で優れている知的生命体が存在せず、それらの生命形態が今日私たちと共にあると推定しない理由は絶対にない。教条的な宗教や科学が、私たちにが何ものであるかを如何に激しく信じさせようとしても、それに真に答えられるのは私たち自身だけである。

夕空の深淵を凝視すれば、その深淵が私たちを凝視する。そして、多くの人々が信じてきたほど、地球はそう古くも特別でもないということを私たちに思い起こさせる。実際、地球は永遠の宇宙に比べれば比較的新しい惑星である。私たちは、自分が何者であるかについて、もう教条的な宗教や科学に頼る必要はない。ただ、私たちが「全てのもの」の重要な一部であるということを時々思い出す必要があるだけである。私たちは皆繋がり合っている。この繋がり合いが、大宇宙の際限のない心や意識を利用する能力を提供してくれるのである。


教師たちは私に生命の存在しない宇宙を想定させようとしたが、私はそれを信じなかった。私はいつも宇宙には他の知的生命体がいるという生得的な感覚を保ち続けていた。仮にSETI(地球外知的生命体探査)が、私たちが本当に孤独な存在で、そう考えている人たちが存在し、「地球外知的生命体との接触なし」と結論しても、そんなことを想定するのは馬鹿げていると思っていた。私は、彼らが大多数の現実的考え方に迎合していると考えていたから、すでにこの分野に科学的業績が提供することを求めているものを支持しなかった。

また、私は無から宇宙が発生しただろうとするビックバン理論や、進化の理論そのものは支持するが、私たちが地球上で醸造された有機体のスープから進化したというダーウィンの進化論を信じなかった。もちろんETは宇宙のどこかで進化したのかもしれない。私は悪い生徒だろうか、それとも悪い先生を持った良い生徒だろうか?私の教師のほとんどは、良い報酬との引き換えに、大多数の現実、或いはそれがどのようなものでも、支配的な世界観を受け入れるよう説得されてきた。現状を支持すれば、多くの経済的見返りがあるのである。私の見方は異なっている。なぜなら私の経験が異なっているからである。そして、私は社会的容認やお金のために俗論を容認する方向に心が傾くことはないだろう。

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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