内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置
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竹島問題の歴史的経緯について少し触れておこうかと準備していた近頃、にわかに尖閣諸島の周辺が騒がしくなってきた。最初の記事で述べたとおり、領土問題についての私の総論的意見は、尖閣でも変わらない。しかし、各論の一部については少し異なる。それについては、また気が向いたときに書くことがあるかもしれない。
もっとも、歴史的経緯といっても、両国間で何が起こったか、つまり過去のできごとを時系列で列挙することに、私は現在のところ、大きな興味を持たない。
過去に事件はあったろう。しかし、それらの事件に意味や評価を与えるのは現在の人間である。人間の意識は時と共に変化し、国政の方針はおおむね国益と共に変化する。
だから、ある歴史的事件をどんな立場にも属することなく客観的に語ることなど、およそ不可能なことだ。それでも、そこに何らかの客観的真実性を見出そうとするなら、とりあえず、ある事件に対する当事国の(主観的)主張を並列的に列挙することから始めるしかないだろう。
そして、事件・事実に対する評価を並列表記することは、学問的手法としてはあり得ても、意見・主張の表明にはなり得ないし、私の趣味にも合わない。それを趣向とする方はWEB百科事典をご覧頂きたい。おそらくこの分野の専門家が極めて詳細に解説してくれている
前回と前々回の、国際関係における覇権や利権に対する私の考え方は、理想的に過ぎるのではないか、という見方もあるにちがいない。たしかに、複雑怪奇に見える現実世界は理想世界よりもやっかいで、そう簡単に一筋縄では扱い切れないだろう、という議論も理解はできる。
しかしはたして、ほんとうに国家間紛争の現実は、平凡な人間の思慮や方策が容易に及ばないほど、複雑で怪奇なものだろうか・・・私はそうは思わない。
逆に、これらの現実の本質は、遠大な理想の仕組みよりも、はるかに単純に見える。善悪で語れば、つまり、「覇権」については強者が善で弱者が悪。「利権」については利益が善で損益が悪。これだけのことではないのか・・・。
そして、カビの生えたナショナリズムに執着する人たちは、未だにこの極めて近視眼的な善悪基準から脱却できないでいる。世界の住人の意識趨勢は、とうの昔にこんなものなど飛び越えているかもしれないのに。
理想と現実に関係して・・・現在から未来に向かって進む人間の姿勢には二つの種類があると私は思う。一つは現実の延長線上に理想を描く姿勢。一つは理想に向かって現実を導く姿勢。この場合、理想を目標と置き換えても同じことだ。
たとえば、一年後の貯金額を目標としよう。現在の現実は毎日100円の貯金しかできないのだから、一年365日で総額3万6千5百円が限界であると考えてそれを実行すれば、その通りの結果になるだろう。
一方、まず一年後の目標を100万円に設定して、現在の現実で何をすべきかと考え、それなりの工夫や努力をすれば、その結果が100万円に至らなくとも、3万6千5百円よりは大きな金額が残ることになるだろう。
夢や理想は大きければ大きいほど良いのである。たとえその全てが現実にならなくとも。もっと言えば、夢や理想は、それを持つこと自体に意味があり、おそらく、それに向かって進む過程そのものの中に、労苦もあるだろうが同等以上の幸福もある・・・ということである。
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