昨年の夏、風の収まった堀江海岸でウィンドのMさんがギターを爪弾(つまび)いていました。この辺ではちょっと珍しい風景ですが、私は嬉しかった。彼と私は同年。煌(きらめ)くような名曲が続出したあの「
70年代フォーク」の何がしかが、体の奥底に染み付いている年代です。
そして・・・やはりまた、しばらく眠っていた音楽の虫が大きく騒ぎ出してしまいました。安物のアコースティックは、もう何年も前から部屋の片隅で寝ています。前回もコード進行でつまづいたまま・・・。
そこで、今回はコードなんか覚えなくてもギターと三線(三味線)の良いところを簡単に身に付けることができる・・・などという、私にとっては夢のような楽器「
一五一会(いちごいちえ)」に手を出してしまいました。
どこにでも持って行けるようにと一番小さいのを。まだ数ヶ月ですが、これが確かに指一本で全てのコードが弾けてしまうのです。しかしもちろん、全ての名曲が楽しく弾けるにほど遠いことは言うまでもありません。
以下、何年か前の記事を転記。
「私の中の音楽の虫がまた騒ぎ出した。虫といっても私の虫はクワガタやカブト虫のような強固な外殻などは持っていない。フラフラ飛んでいつの間にかいなくなってしまう蚊トンボのようなものだ。
東京での学生時代中期、新宿の安下宿の隣室に奇妙な青年が入居した。一応、法政大学生の身分を持っていたが、彼の部屋にはほとんど書物というべきものはなく、代わりにギターと音譜が散乱していた。年中、裸で寝る北陸出身のこの男は、時々思いついたように私の4畳半にやってきて、当時最盛期だったピンクレディーなどの歌をフリ付きで歌い始めるのだ。
私が彼のギターに興味を示すと、「これは、ギブソンの何とかかんとか・・・」とひとしきり熱く語った後、ホテルカリフォルニアなんかを弾き始める。これがかなりうまいので感心していると、「音楽は素晴らしいですよ~。先輩も是非ギターを始めたらどうですか~」と勧めるのである。
昭和40年代の後半に、高校の音楽の授業で「海行かば」などというとんでもない時代錯誤の歌を披露して、戦中女学校出身の音楽教師を感心させていたような音楽オンチの私が、ギターなんて・・・と躊躇したが、結局、ほどない間に当時5000円の入門用アコースティックギターを手にしていた。
それからほとんど毎日のように遊びに来るこの変な後輩の指導のおかげで、幾つかコードや流行歌の弾き方を覚えた。しかし、決して「素晴らしい」ところまで行くことは無く、私の初めてのギターは、後に質屋で流れて法律の基本書に姿を変えた。
しかし、彼との出会いが私の中の小さな音楽の虫を刺激したのは確かで、その後社会人となった後も、何年か置きにこの虫が騒ぐ。いやおう無く成長してゆく子供の興味にも合わせて、オカリナ、ハーモニカ、電子ピアノ、電子ホルン、数年前はフルート・・・色々手を出してきた。だがまあ、どれも1年も続かない。
それがまた、懲りることもなく近頃、「あ~・・・ギターを弾きたい!!」と天井を見上げることがあるのだ。
思いついたら取り敢えず始めてみないと気がすまない性分はどうにもならないものらしいから、近いうちに多分また、私の事務所の片隅に入門用の安ギターが鎮座することになるだろう。」
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