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寛太郎のカイト日誌

内容はカイトに限らず種種雑多です。好みの選択は「カテゴリー」をご利用下さい。日本語訳は全て寛太郎の拙訳。 2010年10月18日設置

   

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二周忌

今日は父の二周忌だった。ちょうど二年前の本日、午前三時四十五分に、彼は今治の大病院の一室の私が寝ているすぐ横のベッドで息を引き取った。

「脈拍が二十に落ちてます!!」と息を切らしながら病室に飛び込んで来た看護師の声で私は跳ね起きた。しかし、すでにその時、脈も呼吸も停止していた。今夜のように暑い夏の夜だった。

九十歳の彼は、そのちょうど三ヶ月前の四月二十九日の昼食時に左脳の脳梗塞で倒れたのだが、かろうじて動く左半身の細い腕で必死にベッド柵につかまりながら、なんとしても生き抜こうとしていた。普通の人間でも大変な、時に四十度を超す高熱を一ヶ月近くも耐えた。

二ヶ月目に入った頃からしばらくは小康を取り戻し、時に姉や母や私の顔を見て微かに笑い、左手をゆっくり持ち上げて握手し、車椅子に乗せられてリハビリが出来るまでに回復した時期もあったが、ついに言葉を発することはなかった。

そして、三ヶ月目の中頃、再び襲ってきた四十度の高熱に耐える体力はすでに残っていなかった。危険な期間を通して傍《かたわら》に付き添っていた私には、もの言わぬ父が、迫り来る死という大敵と全力で戦っているのが、ハッキリと分かっていた。

十六歳から二十六歳までの人生で極めて重要な時期を、職業軍人として数々の戦場で生き延び、その後の生涯でも、さまざまな種類の戦いの世界と縁が切れることがなかった人間らしい、まったく見事な最後だったと思う。

三十六年前、突然、親友のT君が逝ったとき、私の世界は光を失い大きく様相を変えた。しかし、それから長いあいだ捜し求めた生死の問題への確答はいぜん遠いところにあった。そして今回の父の死は、ゆっくりとしかし確実に、その意味の一端を私に教えつつある。

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プロフィール

HN:
寛太郎
性別:
男性
職業:
self-employed
趣味:
風読み・読書・自転車ほか多数
自己紹介:
瀬戸内の小島生まれです。学生時代は国際法を少し。数年間の堅い団体職の後、子供好きが高じて学習塾を、風が好きでスカイスポーツのイントラを、等と趣味と仕事が重なる生活を数十年経験しました。55歳引退計画に従って現在は基本的にフリーですが、相変わらずあれこれ忙しくしています。

生活方針は「無理をしないでゆっくりと」およそ中庸を好みます。東西を問わず古典思想の多くに心惹かれます。まずは価値相対主義を採用し事物の多様性を愛しますが、ミソとクソを同等にはしません。モノゴトには自ずと高低浅深があり、その判断基準は「大自然の摂理と全ての生命(いのち)の幸福」の中にあると思います。敬愛する人物は古今東西少なからず、良寛やB・ラッセルを含みます。

ナチュラリストと呼ばれることを好みますが、人間が創り出した道具類にも大きな関心を持ちます。人間語だけでなく、あらゆる生き物たちの「ことば」に興味が尽きることはありません。60~70年代ポップスや落語を聞いたりすることも好きです。

・著作:『空を飛ぶ・一つの方法』
・訳書:『リリエンタール最後の飛行』
・訳書:『個人と権威』

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